4月の衆院の補欠選挙の選挙運動妨害事件や7月の都知事選の奇想天外ポスター問題で、選挙の在り方が問われている。
余りの品のなさに、「立候補者には資格試験を」などという声も上がっている。選挙ポスターの内容について、踏み込んだ規制が必要、という意見はもっとものようだが・・・。
ポスターを掲示した立候補者の品格や、何の規制もない公職選挙法がおかしい、というのが大方の声のようだ。
私が以前立候補した時も、確かに選挙ポスターの自由度には驚いたものだ・・・というより、掲示・印刷責任者の明示と、大きさ、貼る場所、貼る位置、以外はほぼ自由なのである。
ポスターの掲示枠を金で買って(当然、売る候補者がある)、意見広告ポスターを貼るという、真面目?な有権者まで出現した。
民主主義とは、表現の自由とは・・・なにより、私には平和ボケしてしまった日本が切ない。
さて、私が言いたいのは・・・事が起これば法律と罰則を厳しくする、という繰り返しで肥大化してしまった社会の在り方だ。
・法律でいじめが無くなったか?
・法律で戦争が無くなったか?
・法律で詐欺がなくなったか?
・法律で殺人が無くなったか?
・法律で喧嘩が無くなったか?
・法律で差別が無くなったか?
・・・・
マナーが消え失せ、ルール(法律)が生まれる。肥大化した法律と論理(理屈)、経済(お金至上主義)・・・その反動で、教育と政治が悪いから世の中が悪くなる、と考えてしまう自己喪失と責任転嫁主義・・・性善説を推しているのではない。
世の中に正義や偶然などは存在しない。すべては(社会悪といわれることも、病気も・・・)己(達)が招いた必然だと思う。
他に依らない、他を責めない生き方は、案外ストレスフリーな楽な生き方だと思う(^_-)-☆
今日も散歩を兼ねて街に挨拶をしながら路上ごみを拾い、こんなことを考えながら、あちこちから戴いて来た花を庭に植える日々である。