【他人事?事件の核心は、宗教と因縁】安部元首相の銃撃事件に思う=無宗教の私の思い=
これまでの報道から。容疑者の母親は宗教団体(旧「統一教会」)の会員であり、多額の寄付をしていた。それが原因か経済破綻し、家庭が崩壊したという。容疑者は安部元首相を宗教団体の支援者と思い込み、その恨みを向けたものらしい。
この事件は、当初は政治的動機で民主主義への冒とくなどと言われたが、少しずつ調べが進み、現段階の報道では、個人的逆恨みの様相が見えてきた。そして巷(ネットなど)では警備体制の不備や宗教団体への懐疑が盛んに物議を醸している。
動機とその社会背景を調べ、責任を明確にすることは大事だ。が、だれにでも共通で明確なことがある。それは、(例えば宗教)依存とその因縁についてだ。人間は窮すれば何かに頼り依存したくなる。これが高じると自己放棄となってしまう。地位や名誉、財産まで投げうって依存対象を崇めてしまう。すでにそこに自己は無く、「衆」でしかない。その背中を見ている家族(とくに保護責任がある子ども)への影響は計り知れない。自己のない抜け殻・操り人形のような親に育てられる子ども(人間)はどうなるか・・・。偏った理屈が因縁として受け継がれてしまう場合が多い。
宗教や団体に属することが悪いと言っているのではない。人間の中心には理屈ではない「魂=自己←先天的」があり、それを「知性=理屈←後天的」が覆っている。知性・理屈が勝った人間は芯のない鉛筆のようなもの。
今回の事件で他人事ではなく皆が考えなければならないことは、まさにここにあると思うのだが・・・。
誤解を恐れず、わかりやすく言えば・・・「自分なりに物事の価値を決められる人間であれ」ということだと考える。「地位や名誉・お金が絶対的な価値」のように考えられる世では、いかにも動物的な、伸びしろのない世の中だと思うのである・・・。
(画像はネットより転載)