【褒められて伸びるタイプなんです(^^♪】※誰を愛し、誰に愛され、誰に助けられているか・・・

※誰を愛し、誰に愛され、誰に助けられているか・・・
【褒められて伸びるタイプなんです(^^♪】
点滴を交換するのに躊躇している新人看護師さんに「ありがとう、がんばれ~」と声をかける。ヘルプで交代したベテランさんには「初めて何の痛みも感じなかった」と言ったら「私、褒められて伸びるタイプなんです」と礼を言われた。
医療現場で働く人々、支えてくれる家族、それぞれの言葉で励ましてくれる縁者の方々、・・・。
新たな段階に入った「新型コロナとの闘い」。第2波を防げるかどうか・・・
愛する人、愛してくれる人、支えてくれる人・・・今までにも増して、「自分一人ではない、周囲の支え合いの中で生きている」ことを強く・深く腹に据えて行動したいものだ。
イラスト画像は、ネット転載です。

 

【コロナ離婚】今の日本の夫婦・家族事情

【コロナ離婚】今の日本の夫婦・家族事情
今朝のNHK「あさイチ」で「コロナ離婚」について取り上げていた。
「一緒にいるのがガマンならない」「今までも考えていたが、このコロナで堪忍袋の緒が切れた」「家事を手伝わない」「子育てに無関心」「夫の親の介護まで押し付けられた」「することがイチイチ気に障る」「文句ばかり言う」・・・食器を出しっぱなし、トイレのふたを閉めない、ゴロゴロしている、鏡の汚れを気にしない・・・。
一方で「不倫の証拠をつかみ、離婚に向けて材料を溜めている」というものも。
「子育てにかかるお金の事を考えると、離婚したいができない。我慢している」といった声も多いらしい。
ある夫婦は「コロナ直前に離婚を切り出したらコロナ期間に夫が謝罪し、少しづつ変わってきた」とか。
また円満離婚し、女性が子供を引き取り離婚後も交流があるパターンでは、その子どもへのインタビューへの返答は「お父さんは怖かったのでよかった」「会えないわけではないのでこの方がいい」といったものだった。
番組では離婚をするための「婚姻費用」や、その他のアドバイスについても専門家を交え解説していた。
なんのことはない、コロナが原因のようであるが、それに関係なく今どきの夫婦の問題を文字通り「コロナ」が炙り出した格好だ。
この番組が「女性目線」であり、且つ「子どもは女性が引き取り養育する」という前提の企画が気になったが、ここで語る本質に影響することではない。
オンラインでは面倒なことになるのでここでは語らないが、コロナに関係なく、なぜこのような状況になっているのか私は見当がつくので、今の男が悪い、女が悪い、政治が悪い、などという気はサラサラない。
バッシングを受けると思うが、このような世相に対して(様々な個別・特殊事情は一切考慮しないで)、誤解を恐れず、しかし「泣きたい思いで誇張して皮肉な仮定」をしなければならない。
【結婚制度は廃止。こどもは欲しいが相手はイラナイという向きには「精子ビジネス、卵子ビジネス、出産ビジネス、子育て・人間教育請負ビジネス、養子縁組・交換ビジネス」をAMAZON(AIフューチャー版)に開放する】・・・こんなのはどうだろうか・・・(;_;)
さあ、どんなSF小説ができるか・・・あるいは、近未来の現実か・・・(;_;)(;_;)(;_;)
画像はすべてネット転載です。

蜘蛛の糸【新型コロナ支援の10万円給付】

蜘蛛の糸【新型コロナ支援の10万円給付】ネット記事より。
 我が家(4人分)はまだ申請書も届いていないが、この所有権を巡って様々なトラブルがあるという。
「主人が全額使うと言っている」
「10歳の子が自分のお金だと主張している」
 法律的解釈、道義的解釈についてはさておき、さてさて、情けない(悲しい)国になったもんだ。あるいは「人間的」と言うべきだろうか・・・
 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想した。家族4人分、40万円からぶら下がった蜘蛛の糸。下から家族4人が競って取りに上る、という構図だろうか・・・
 さらに悲しいのは、これを他人(記事は弁護士ドットコム)に相談しなければならないような家庭がある、ということ。
 4人でぶら下がった挙句、蜘蛛の糸がプッツリ切れ、家族4人は奈落の底へ・・・(;;)
 画像はネットより。

【「なが~~い目で見た日本人の幸せ」って?・・入院徒然日記】

【「なが~~い目で見た日本人の幸せ」って?・・入院徒然日記】
選挙に落ちてこの1年、やっと気付いたのは「人が生きる総ての責任は今の自分の内にある」ということ。(他のせいにして生きないこと)
親やその他から受け継いだり刷り込まれた「悪い因縁も」自分で引き受け・消化して、「次に繋がないように生きる」ということです。
私は今まで、あまりにも頭でっかちで「理屈」が先行していました。
一番難しいところですが、理屈(知識・倫理・道徳・因縁も理屈の一部です)は生まれた後に経験や教育などで付加されるもので、これが先行している(いちばん前に出して生きている)うちは「既製品・規格品」でしかありません。(他人が作った人生を生きるようなもの)
理屈やお金は「人間が生きるために必要」ではあるが「一番大事なもの」ではありません。
「入院」という時間を頂戴し、今私は、生まれながらに自分の内に備わったもの(根っこ)に向かって自分を掘り下げることに取り組んでいます。(別に宗教や右翼思想・おかしな団体に染まった訳ではありません。)その根っこにたどり着いたとき、初めて「人として生まれてきた意味」が分かるのだと思います。
私は、選挙に落ちた時、とり憑(つ)いていた「大きな何か」が落ちました、が、まだまだその残骸が離れません。きっと死ぬまで、たどり着けずに探し続けるのでしょうね・・・探し続けながら死ぬ・・・それでいいと思っていますが(^^)
古来、日本人は「文化」を通して、ここに書いたような「何か=根っこ」を繋ごうとしてきましたが、海を越えた近代文明と敗戦が「合理主義=便利で楽=人間の一番の弱点」を日本人にジワジワと埋め込んでしまいました。「日本らしさ・日本文化」は薄れるばかりです。それでも、島国「日本」は地理的にまだ恵まれています。
今は何となく、『日本文化を守ること=「国」という枠組みを守ること=子孫の幸せ』であると考えています。

【与えられた時間に感謝して】中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聴きながら・・・

【与えられた時間に感謝して】中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聴きながら・・・
 救急病棟のベットで3日目の目覚めを迎えた。あっという間に世界中に蔓延した新型ウィルス感染症による緊急事態宣言の影響で面会は一切できない、そんなご時勢だ。
 3日前に救急搬送してもらったが、今は状態が落ち着いて痛みもない。昨日は「仕事上の月の締め日」ということもあって、家族に届けてもらったパソコンを広げ、バタバタとした1日であった。そもそも、3日前は仕事などできる体調でなかったこと、そして少し良くなっても、仕事などできる環境でないことから始まり、仕事を始めてみれば普段なら当たり前の「印刷」や「押印」、「スキャン」、「郵送」といったことですら、一人ではできない情けない状況に、改めて「五体満足」という言葉を噛み締めた。
 しかし、それよりもっとゝ大事なことに気づかされた。
今更ながらに、人間は「一人では生きていけない」ということ。
妻や子供たちが協力し合って、身の回りのものを揃え、届けてくれた。家族にとっては自分以外の人間の我が侭なリクエストが、自分の日常に容赦なく割り込んで来た訳だ。それが元で「イライラ」したり「ぶつかり合う」ことすらあるだろうに・・・ありがたいことだ。
 病院でもそのことが痛感させられる。私のような消化器系の病気は表見には普通で、体も動かせ、排せつも洗顔も着替えも、何でも自分でできる。容体が落ち着いたからではあるが、余裕ができると看護師をはじめ医師、清掃、薬剤師など医療スタッフの方々の心のこもった行き届いたケアサービスにこころが洗われる思いだ。とても「仕事だから」などという言葉で置き換える気にならない。
 昨夜、点滴の注入口のソケットが緩み薬液がもれていることに気づいた。ナースコールをしたところ、夜間対応の若い女性看護師さんが駆けつけてくれた。様子を見てすぐに申し訳なさそうに「すみません。新人で私には対処できそうにないので、別のものを呼びますのでしばらくお待ちください」と詫びた後、先輩看護師とともに対処してくれた。深夜、眠れずにいた私は、様子を見に巡回に来てくれた同じ看護師さんに問うてみた。
「大変なお仕事ですね。ありがとうございます。夜間当番は何時間くらい働くんですか?」彼女は点滴をチェックしながら「え~~と。16時から9時までですから・・・・」私は頭の中の時計を回して計算してみた。「え~~~!17時間もあるじゃないですか!!」「でも2時間は休憩できます」「それでは、3日くらいは休めるんでしょ?」「う~~ん。今週は1.5日ですね」・・・私は絶句した・・・。
 新型ウィルスで医療現場は未経験の状況に見舞われている。挙句、感染を恐れる余りあろうことか「感染するから近寄るな」といったバッシングすらあるという。ここ2か月ほど私は野次馬的に「酷い言葉をかける人間もいるもんだ。医療現場で働く人たちがあるからこそ、我々はこんな状況でも元気に暮らしていられるのに・・・」などと考えながらも、他人事として暮らしていた。
 しかし、いざその渦中に(新型ウィルスではないが)そのサービスを受けることになると、まったく別の思いが湧き上がってきた。
 これは他人事でなない!ウィルスが発端ではあるが、政治、経済、環境問題、そして現在の人間たちのあり様に突き付けられたシナリオ通りの試練ではないだろうか!?
 他人事のように考えていた私自身、大事なことに気づいていなかったのだ!この事態は、わが身のこと。人間一人一人が他人事と考えている限り、真の解決はないのではないか!?
 一人ベッドの上で心を静めて己に問うてみた。
父のこと、母のこと、今の家族、祖父母、親戚、ご先祖、友たち、生まれ故郷のこと、私に関わってくれた人々、大自然・・・何一つ欠けても今の私は無い!!
「人は一人では生きていけない。いや、人は人や大自然と生きるためにある」
 私は何を遺して、何を引き継いで命を全うできるのか。
政治が悪い、誰が悪いなどと己を庇い偽って生きるより、万象総て引き受けて生きることができたなら、なんと自分本位に背負ってしまった荷が軽くなるであろうか・・・
 家族が届けてくれたイヤホンをスマホに差し、愛用の音楽プレーヤーを立ち上げた。通勤途上のBGM用に溜め込んでいたもので、ジャンルを問わず2,000曲近くある曲の中から、最初に流れてきたのは中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」だった。聴き入っているとなぜか、涙が溢れた・・・。
 相部屋の患者さんと看護師の会話が漏れ聞こえてくる。「○○さん、息子さんが何か欲しいものがあれば言ってくれ、ですって」・・・
 点滴だけで3日間何も食べていない。無性に妻の作る手料理が食べたくなった・・・。

地方議員の本懐【千葉市議会議員 給与年額1,300万円+360万円。新型コロナに乗じた給与泥棒!?

地方議員の本懐【千葉市議会議員 給与年額1,300万円+360万円。新型コロナに乗じた給与泥棒!?
 千葉市議会は遊んでいるのか?情勢に甘んじていないで、こういう時こそ本来の議員の本懐に立ち返り、工夫を凝らした議会運営をしたらどうか!!
 千葉市議会の日程を検索してみると、臨時会議も含め、平成2年の会議は3月16日までで、次の日程は6月8日からとなっている。新型コロナの一番のピーク期間は、ぐっすりとお休みしている格好だ。他の地方議会を調べれば、やはり新型コロナ対策と称して休会や延期をしているところも多いらしい。
 行政が新型コロナ対策に追われ、議会の答弁にかける時間が惜しい、という情状酌量については一定の理解はできる。が、国会も含め、議会の形式については、以前から疑問がある。質問者が事前通告を行い、それによって行政が多大な時間をかけて整えた答弁書により答弁を行うという、形骸化したような運営に終始している。中には、質問や答弁がシナリオ化され、まるで学芸会のような(決して子どもたちが真剣に演じる学芸会を卑下しているわけではありません)茶番を演じているところもあるらしい。また議事録を見てみると、他愛ない世間話的な質問と杓子定規な答弁も目立つ。
こんな会議を運営するために我々は税金をかけて選挙を行い、血税から年間1,300万円もの給与を払っているのだ。(さらに政務活動費が年間360万円加算される)
新型コロナにより庶民生活は混乱を極めている。それも質の悪いことに、静寂なる大混乱なのだ。こんなときこそ、地方議員は本懐をよく反芻(はんすう)してほしいものだ。高級スーツにバッジをつけ、胸を張って闊歩し、あるいは、後援者に腰を低くして媚びへつらっている場合ではないだろう。
会議はこの時代、オンラインでもできる。なによりも、行政に時間をかけさせ決まりきった答弁を引き出すような質問をするのでななく、議員50人(必要であれば分科会にして)で其々の地元の声をもとにしたテーマを決め、ディスカッションしてもいいだろう(ぜひ、公開してほしいものだ)。その結果を、政策提言として行政の代表(首長)に届ければよい。
これはこんな時だからこその切なる願いと叫びだ!地方議員の本懐をよく考えてほしい!!
(画像はネット転載です)

【これはもう「日本文化」】たわし!日本が世界に誇るもの!!

【これはもう「日本文化」】
日本が世界に誇るもの「亀の子たわし」
連休に庭で家族でBBQ。その片付けに大活躍!
温故知新。新しさや容易さだけを追うのではなく、古き良き文化も大切にしたいものです。日本が、日本であるために。
恵まれた島国「日本」。しかし、文化を疎(おろそ)かにすると、やがて国境がなくなり、国がなくなり、ついには自分のこころのよりどころがなくなります。
日常では気付きにくいことですが、日本人の心は「日本文化」でできていますね~。これは、世代を超えた(というより、世代で受け継ぐからこそ)いのちの営みですね~。
今は・・・いや今こそ、「日本人であることの意味」をしっかり考えるときですね~(^^)

【自粛・・・】の一方で・・・

【自粛・・・】「自粛」のせいか、路上ごみが目に見えて少ない。替わりに、家庭ごみが増えているという。ニュースでは、高級食材の消費先が休業し、値が下がったため一般消費者へのネット通販が大幅に伸びているという。一方で、職を失い、今日の食事や寝る場所にも困窮している人たちも目立っているという。
妻と二人で九十九里海岸を歩いてみた。
田植えを終えたばかりの房総の田んぼに上る朝日を見て、目頭を熱くして手を合わせないではいられなかった。
「一体、私たちはどこに向かって歩いているのだろう・・・」

 

【母の日に亡き両親と子らを想って】「親孝行 したいときには・・・

【母の日に亡き両親と子らを想って】「親孝行 したいときには 親はなし」という。父は18年前、母は6年前に他界しているが、歳を重ねるにつれ、だから「親孝行」できない、とは思わなくなってきた。
子らが独立した未だに(いや益々)、「親」とはなんだろう、と考えるようになった。親も人間だから良きにつけ悪しきにつけ様々な姿を見せてもらい、教え育んでもらった。
今思うことは、「間違いないのは、この世に生を受けたのは親の存在があったればこそ」という紛れもない事実に気づく事こそが、親孝行なのだということ。
今が悪いのは親のせい、社会のせい、などと考えていては「いのち」に対して背くことだと思う。生まれてきた以上、万象すべては己に起因してのこと、と引き受けて生きてみたいものだ。子らの成長を見つめつつ、それを鏡として今やっと、わが身の不甲斐なさを責めている。最早、言葉では伝えようもない。
子らには、同じことに早く気付いてほしいと思う。
今日、両親の遺影に手を合わせ、改めて「親孝行をしなければならない」と深く思った。