【生きる力って?】

【生きる力って?】大したことではない。しかし、毎朝のように声をかけてくれる近所の方、道でいつもすれ違う近隣町内の方や通学の男子高校生、自転車で追い抜き様に挨拶してくれる女子高生、グランドで大きな声で挨拶してくれる朝練の中学生たち。
私は、生きているのだ(^^♪

【ドクダミと夏休み、と、山菜とアイスクリーム】

【ドクダミと夏休み、と、山菜とアイスクリーム】庭のドクダミが伸び放題!あの独特の匂いのなかで草取りをしていると、ふと小学校の頃の夏休みを思い出した。
ドクダミやヨモギを採って、夏休み明けに学校に持って行ったっけ。
春は、木の芽やゼンマイ、ワラビ、コゴミ、ウドなどの山菜を採っては、少し離れた商店まで歩いて行って買い取ってもらい、そのお金でアイスを買って食べたもんだったなぁ(^^♪

【街のひと隅で】

【街のひと隅で】毎朝のように会うこの方は、お隣の町内会。1日1万歩は歩くという。ただ歩くだけではない。町のあちこちのごみ置き場を片づけたり、ペットボトルキャップ入れの袋を見てくれたり、道端の草取りをしてくれたり。
気さくに話し相手になってくれるが、なんか周囲がポッと明るく照らされるなぁ~(^^♪
感謝である。

【心の目では見えないもの。外国にはない日本人の「肚(はら)」とは】

【心の目では見えないもの。外国にはない日本人の「肚(はら)」とは】
 「見る」といえば「目で見る」ということになるが、人間の「見る」は「見えたもの」が「何で」それについて「何を考えるか」という脳の働きが伴っている。さらに人間が「考える」ときは「知識」が必要になるが、それは「学習」によって養われる。つまり「考える」ということが「心の目で見る」ということで、それは「学習による知識」が元になっているということになる。
 学校の前に使い終わった紙おむつが何度か捨てられていた。これは当然、乳幼児を抱えた親の仕業だ。
道端に捨てられた傘。雨が上がり、壊れていれば(いなくても)、持ち歩くのが面倒になるのだろう。
 これを捨てる人たちは、普段は何を見て、考え、行動しているのか。
心の目で見ることと、肚(はら)で見ることとは大きく違う。心の目は生まれた後の学習によって脳に蓄積されるため人によって違うが、肚(はら)は今の自分だけではなく、日本人の血(古来からの暮らしや伝統文化)や、先祖からの血筋や因縁によって背負わされたもので、「心」によって覆い隠されている。
さて、物事を「肚(はら)」で見る、といっても一体どうやるのか。誰が教えてくれるわけでもないが、「自分が生まれてきたことも含め、自分に関わってくるすべての物事(偶然と思えることでさえ)を他の責めにしない、他と比べない」ということだと考える。「全ては己が招いたことで偶然ではない」と、当に「肚(はら)をくくる」ことができるかどうか、ということだ。
「肚が立つ」「腹を切る」「肚をくくる」「肚におちる」「肚を決める」「肚をさぐる」「肚の虫」などと云う。
 私は「思想家」でも「右翼」でも「宗教家」でもない、が、考えてみれば「日本人」には昔から「頭=心」より奥底に「肚(はら」」があるのだと思う。
今の日本人は、外国色のついた眼鏡(=心の目)を捨て、もともと日本人に備わった「肚(はら)」で見ることをすべきではないだろうか。

【今年は、やるぞ!】

【今年は、やるぞ!】去年は、コロナの影響で田んぼの維持がやっと・・・ついに米作りができなかった。
今年はやるぞ!
貧乏NPO法人(皆ボランティア)は機械を買えないので、様々な繋がりで機械を調達している(幸運にもいつもなんとかなる)。そして今年は、耕運機を譲っていただいた。
都会の子供たち、大人たちに、なんとか米づくりの大切さを知ってもらいたいものです(^_-)-☆

【一隅を照らす】

【一隅を照らす】最澄のこの言葉を知ったのは、いくつの頃だったか・・・。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」
どんな小さな命も、その周囲をポッと照らしている・・・。何か大きなことを成し遂げたい、大成功したい、偉くなりたい、有名になりたい・・・そんな生き方もあるだろうが、日本中、世界中を照らすことよりも、自分の周りの小さな世界を、ほんの少しだけ照らして生きる・・・これも素敵だなぁ(^^♪