【何が楽しいのか・・・】

【何が楽しいのか・・・】
本業の仕事やその他で結構忙しいくせに、ほぼ毎週の日曜日、所属するNPO法人(川に関する環境保護活動)の活動に参加している。
全員ボランティアで、草刈などの事業収入はすべて活動経費で消えてしまう。昼食は文字通り自腹の手弁当である。
ごみ拾いや生態系保全、子どもたちの環境学習イベントなどの環境活動のほか、年2回の川周辺の広大な面積の草刈事業を行う。
決して楽な活動ではなく、体力的にもきつい!
なぜやっているのか・・・と言われれば・・・
キレイゴトは一切省いて、一言。「30代~70代まで(とその家族など)の様々な人間の集まりで、ひとつの目的を達成することの喜びがある」からである。聖人君子どころか、欠点だらけの人間の集まりである。時には酒を酌み交わし、様々な世代の仲間と語らいながら、冗談や口論、そして尊敬、労り・・・。
それがあるから続けられていることに、間違いない!
誰かに従ったり、命令されているわけではない。
何か大きなものを得ている確信がある、素晴らしき仲間たちである(^^)/

【旧統一教会問題・・・政治と宗教】

【旧統一教会問題・・・政治と宗教】
私が特に憤っているのは、多くの政治家たちが、旧統一教会を認識していた、いないに関わらず、政治活動に利用し、かつ広告塔(政治家が名を連ねているなら、政治家が後援(講演)しているなら、と国民が信じてしまう)として利用されていた、ということ。そして旧統一教会が韓国に根があること。
一見、歴史認識問題では、韓国に毅然と対応しているように見せかけ、実は裏では手を握り、おんぶにだっこし、結果的に国民を食い物にして韓国に多額の援助をした・・・という事実に、腹が立っているのだ。旧統一教会問題が私にとって特別な理由だ。
今の政治は国を売ったに等しい!
(画像はネットより転載)

【川にごみを捨てたくなるのは?】

【川にごみを捨てたくなるのは?】
川土手の草刈と清掃。麻袋に3つ分のゴミの山。空き缶、ペットボトル(中身が残っているものも沢山)、空き瓶、プラスチック容器、マスク、ボロ切れ、衣類(女性用の下着まで!)、ビニール袋、CD、・・・。
人は、なぜ川にごみを捨てたくなるのか。
このゴミは放っておくとやがて川に流れ込み、海に流れ出し、漂流し、海底に蓄積されるか、魚たちが間違って食べるか・・・海は汚染され、その魚や海藻を人間が食べる・・・
人は、なぜ自分の首を絞めるのか?
今がよければ、自分さえよければそれでいい?
あまりにも「愛」が足りないではないか・・・(;_:)

【子どもたちに夢と目標を】

【子どもたちに夢と目標を】
朝、中学校のグランドで夏休みの部活動の生徒と挨拶を交わし声をかける。「昨日はロッテが勝ったぞ。試合見たか?」首を振る子どもたち。「そうか~。今日は佐々木 朗希が投げるぞ!」
そんな会話を子どもたちと交わすのが好きだ。
子どもたちには「夢や目標」が必要だ。これさえあれば、道を踏み外すことはない。そして大人は、それを子どもたちに示せる社会を作らなければならない。

【ナニしてるんだろう?】

【ナニしてるんだろう?】・・・と思われるでしょうね。でも、この方、私のお隣の町内会のトモダチ(かなり先輩)です。
毎日1万歩を目標に歩いているという。そのついでに、道端の草をとったり、あちこちの販売機の空き容器入れやごみ置き場のペットボトルからキャップを取り外しては、リサイクルに回してくれている。
達者に歩き回り、元気にお話ししてくれ、いつもパワーをもらっています(^^)/

【名前がカワイソ過ぎる(^^)】

【名前がカワイソ過ぎる(^^)】
我が家のツツジに巻き付いた蔓に花が咲いた。名前は「ヘクソカズラ」!
葉っぱを揉むと強烈な匂いがすることからついた名前のようだが、別名「サオトメカズラ」とも言うらしい。
それにしても、なんて可哀そうな命名だろう・・・。
私は「愛らしい」この花が気になって仕方ないのだが(^^)/

【未来電話】

【未来電話】家族旅行で行った昇仙峡。未来の自分と話ができる電話らしい。
私は怖くてできなかったが、わが息子は何を話したのやら・・・(^^)/

【見えなければいい?毎日1時間。これが私が拾った1週間分の資源ゴミ】

【見えなければいい?毎日1時間。これが私が拾った1週間分の資源ゴミ】
草に隠すとは・・・上手に捨てるものだ。まったく手が付けられていない弁当もある。だが、地球はこうしたゴミが海に流れ込み、すでに末期的状態だ。
「自分さえよければ、それでいい=自己中」人間・・・こんな人間の辞書にないのが「思いやり」と「感謝」だろう。その原因は「愛情不足」だ。そしてそれは繰り返される。
この行為によって自分の知らないところで何が起こるか・・・そんなことを常に考えるのは「しんどい生き方」だろうか?
今朝、バス停でよく会うご婦人の足元のペットボトルや吸殻を拾っていると、私が持ったごみ袋を見て・・・ご婦人「結構捨てられているんですね」私「ええ、こういう人は自分の部屋もゴミだらけでしょうね」ご婦人「案外きれいにしているかもしれませんね」私「自分の町は自分の家と同じですよね。家族も暮らす町。町が荒れると、人も荒れますから」ご婦人「その通りですね。いつもありがとうございます」私「お気をつけて行ってらっしゃい」
よく考えると、私も自己中だ。自分と、自分の家族のことしか考えていない・・・しかし、これが自分にできる精いっぱいでもある・・・。

【秋?かなぁ(^^)】

【秋?かなぁ(^^)】
亀山ダム、片倉ダム。
暑い、熱い夏も、終わりが見えてきたかなぁ。
明けない夜はない。やまない雨はない。
四季それぞれの風を感じていたいものです。日本人として、人間として。(^^)/

【お忍びで、墓参り(;_:)】

【お忍びで、墓参り(;_:)】
お盆は帰省して墓参り、そして旧友たちと語らい、祭りで神輿を担ぐ・・・。毎年の楽しみだったが、ここ3年はそれもかなわない。故郷に感染症を持ち込みたくはない・・・。
仕方なく、日帰りで、コソコソと墓参り・・・。
あ”~~~早く治まれ~~~!

【すかんぽ】

【すかんぽ】子どものころは春先の若い芽を採って皮をむいて食べたものだ・・・が・・
こうなってしまったら・・・硬くてもう食えない~
あ”~~~草刈の敵でしかないのだぁ~~!

【沈黙の夏】

【沈黙の夏】60年ほど前の著作だが、レイチェルカーソンが化学物質の環境破壊により鳥たちも鳴かない「沈黙の春」が来る、という警鐘を鳴らした。
新型コロナ、熱波、ウクライナ危機・・・・。
今朝、朝8時前の街。蝉も鳥も鳴いていない、誰もいない・・・「沈黙の夏」だな・・・と恐ろしくなった。

【いらない命?今朝の会話より】

【いらない命?今朝の会話より】コンビニの入り口付近で猛暑の日差しの下で立っているお婆ちゃんに声をかけた。「暑いでしょう。日陰で待っていたらどうですか?」「これからバスでワクチン接種に行くんです。あと15分ほどあるので、待っているところです」「15分も・・・そこの日陰でもバスは見えますから、どうぞ・・・」「どうせいらない命ですが、ありがとうございます」「なにをおっしゃいます。いらない命など、一つもありませんよ。他に誰も待っていなかったら、5分前くらいに行けばいいですよ」私は、お婆ちゃんをバス停近くの日陰に連れて行った・・・。

【カラス~(^^)って歩行者?試された?】

【カラス~(^^)って歩行者?試された?】
車で田園が広がる交通量の少ない県道を走っていたら、なんとカラスが横断歩道を渡っているではないか!思わず減速して停まろうとしたら、真ん中あたりで回れ右してもと来た方に戻ってから、飛び立って行った・・・。道路を渡りたければ、飛んで渡ればいいのに・・・。私は、試されたのか・・・(^^);
道交法を調べたら・・・
<横断歩道等(横断歩道又は自転車横断帯)を横断していたり、横断しようとする歩行者や自転車がいる場合は、横断歩道等の手前で一時停止しなければなりません(道路交通法第38条第1項)>
・・・ということで、カラスは歩行者(人)ではないから停まらないでいい、ということだ。が、カラスが自転車に乗っていたら、一時停止しなければならない、ということがわかった(^^)/
イラストはネットより転載。

【学校教育の限界】

【学校教育の限界】路上ごみを拾っているとつくづく考える。人類が作り出すものは、その目的を真っ当したとき、あるいは必要なくなった時のことを考えていなかった。ただ、目の前から見えなくなればそれでいい・・・という考えだった。その残骸は間違いなく、どこかに蓄積されていただけなのに・・・。昨今、機運は高まってきたが、それでも消費者は他人事で、相変わらず様々なものが作られ、捨てられていく。私たちの地球環境は荒れる一方だ・・・。
「ポイ捨てはいけません」なんていう倫理道徳の授業では、どうにもならない。物事をすべて他人の責任にする生き方を筆頭に、生きていること、生きていられること、尊敬、感謝、悲しみ、愛すること、を自分のこととして一人ひとりが腹に据えないといけない。家庭・家族や家系、歴史、文化、地域社会、世情について、自分にも責任がある、と考えなければならない。
この歳になると分かってくる。つくづく「教育」には限界があり、その土台に「愛」がなければ、ダメなんだなぁって・・・。
ああ・・・今日も「責任転嫁」の産物が路肩に転がっている・・・(;_:)