角を折られたアトム、天国へ

【アトム天国へ】
2010年5月に全国的にニュースになった動物虐待事件がありました。私たちのNPOで飼育していた山羊2頭(アトムとカシュー)のアトムの角が何者かによって無残にも力ずくでへし折られたのです。山羊の角は、生え代わる鹿の角と違って頭蓋骨の一部である為、脳髄が見えるほどのひん死の重傷でした。それでも手厚い治療によって4か月後には、元気に退院したのです。ヤンチャなカシューと、それと対照的に優しいアトム。いつも川土手でのんびりと草を食む2頭はとても仲が良くいつも一緒で、子ども達の人気ものでした。2015年11月25日、アトム永眠。心からありがとう。安らかに眠ってください(;_;)

松中野球部のマシーン

【これも駅伝のバトン】2,447日目のつぼやき
今朝の通勤途上。いつものごみ拾い&あいさつ活動の途上で、地域のことで少し校長先生とお話しさせていただく機会がありました。帰りがてらにお願いして、野球部の部室にあるバッティングマシーンを撮影させてもらいました。多分もう14・5年も前になりますが、次男が野球部に所属していたころ保護者会を立ち上げ、皆でお金を出し合って購入(50万円くらいだったかな)したものです。子どもの成長が、そのまま親の生きる張り合いになっていました。(それは今でも変わりませんが・・・歳月は経ていきますね(^^))
息子たちも卒業して、それぞれの道を歩き、みな良い友としていまでも付き合っているようです。
今を生きる若者達へ⇒私たち親の「人生の駅伝」で次のあなたたちにつなぐバトンはいろいろあります。形にこだわる必要はありません。しかし、必ず受け継ぐものがある筈ですので、よろしくお願いします、ね。(^^)

【自分が死んで遺せるもの】

雨の日のつぼやき・・もう100年以上も昔ですが、内村鑑三氏が学生に行った講演「後世への最大遺物」があります。<<「一人の人間として我々は何をこの世に遺せるか。金か、事業か、文学(思想)か・・・・・。だが、それらは誰しもが残しうる最大の遺物とはいいがたい。誰もが遺せる最大の遺物、それは勇ましく高尚なる生涯だと思うのです。」(岩波文庫版)>>
これを読んで心が清々したことを憶えています。以来、私は「背中を見る・見られる」ことを心の片隅に置きながら、自然体で生きることを目指すようになりました。

母がお世話になった特別養護施設にて

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昨日は、私が家族会会長の立場ゆえ評議員を務める特別養護高齢者介護施設の評議会でした。(母が世話になる以前、虐待事件があり行政処分を受けた施設ですが、今では千葉市でもトップクラスの優良施設です。)こういった施設は介護保険からの補助を受け、行政が監督し、民間団体である社会福祉法人が運営します。親とは、子とは、介護とは、命を繋ぐとは、認知症とは・・・、組織とは、経営とは、お金とは、働くとは・・・、行政とは、メンツとは、肩書とは、しがらみとは・・・。様々、考えさせられます・・・

松ケ丘小学校の文化祭

先週の土曜日は地元の松ケ丘小学校の文化祭(学習発表会+PTAバザー)でした。学校評議員会に出席しつつ、各教室を廻り子ども達の発表を見てきました。どんぐりや落ち葉を使ったバッヂづくり、砂やビーズを使ったマラカスづくり、世界の国の主食調べ、将来の目標(職業)の発表、農山村留学の発表など、子ども達の自主性を重視し、それぞれの個性が見える素晴らしい発表でした。

【都会の落ち葉はゴミ扱い・・】

2,443日目のつぼやき
コンクリートやアスファルトに舞い落ちる落ち葉は、故郷である大地に戻れない・・・・掃き集め、ごみとして燃やされてしまいます(;_;)せめてもの救いは、子ども達の心の栄養になることですね。
<秋深し 都会の落ち葉 地に着かず 都会の落ち葉 帰る里なし>

千葉駅前の清掃活動にて・・

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これから冬が来るというのに・・皆、知らないふりをして通り過ぎていく都会の雑踏である。心配になって声をかけたら、薄目を開けて迷惑そうにまた目を閉じてしまった。私が子どもの頃、毎冬、雪に閉ざされる頃になると、新潟から関東に出稼ぎに出ていた父を思い出してしまうのです。一歩間違えば、このようなことになっていたかもしれない・・・それでも家族を守るために働いてくれた父でした。

地元の小・中学生と地域清掃活動

今日は仕事を午前中で切り上げ、午後から地域の小中学生と住人が合同の地域清掃活動でした。袋に入ったままのパン、紙くず、空き缶、ペットボトル、マウス、LANケーブル・・・果ては便器まで。最後に子ども達の前で挨拶する機会をいただいたので一言。「何がゴミか。ゴミはいつからゴミか。ゴミが見えない人間になったら大変なこと。地球の為、そしてそれはいつか現れる大切な人の為、ゴミを捨てる人間になるのか、目の前のゴミを考え拾える人間になるのか、良く考えてほしい」と話しかけました。君たちの未来は、君たちが考える番ですよ(^^)

【私たちは、歴史という駅伝の一区間を走っている】

【歴史という駅伝の一区間を走っている息子夫婦より】
父は癌を患い先に。母の晩年は認知症が進み、90歳の頃には私たち子どもの顔を忘れ、字も書けなくなっていました。それでも懸命に手紙を書こうとしていましたが、ついに投函されることはありませんでした・・・『前略、父ちゃん、母ちゃん。風になった今は好きな野山や、山ユリの花の間をすり抜けて、ときには我が家の庭までその香りを運んできてくれますね。あなた方が繋いでくれた命のバトンは、いま私たちの手にあります。その私たちも、自分の受け持ち区間の終わりが見えるところまで走ってきました。お蔭様で走りきることができそうです。私たちがバトンを繋ぐその駅には、きっと迎えに来てくださいね。そしてまた・・いえ、こんどこそ親子になりましょう。私も親を経験して、少しは子どもらしくできるようになりましたから。だからついに云えなかった言葉も今度は云えるでしょう・・・「ただいま。ありがとう」と・・・』

【わが町内の自慢の風景】

【わが町内の自慢の風景】
我が仁戸名自治会には写真のような自慢の市民緑地(石橋山市民緑地)があります。自治会が千葉市から管理を委託されていて、毎月清掃をしたり、花壇を作ったりしています。今朝は、毎朝のごみ拾いの寄り道をして、花壇の写真撮影をしてみました(^^)

 

シンデレラの階段?【2,430日目のつぼやき】

 

これ、地元の松ケ丘中学校の名物 の階段です。1階から3階まで吹き抜けになっていて、まっすぐに上ることができます。こんな造りは千葉市では初めて?全国でも珍しい?のではないでしょうか?
子ども達よ【人生も1段づつ、まっすぐに前を見て、登ってゆくのだヨ】(^^)