5年前、まだ歩ける母を特別養護施設に預け、車椅子生活を認めた私。母は直ぐに歩けなくなり、1年後には脳梗塞、その1年後には逝ってしまいました。その最後の悔しと、今では階段を自分の足で上れることが如何に幸せなことか、痛感しています。
月別アーカイブ: 2016年3月
【ムセ?な女??】ムセ?(MUSE)ってなんだぁ(^^)
要らないものはポイポイポイっと捨て去って、身軽に生きようってかぁ。世の男性方、ご用心あれ!私見ですが、女性の品位が乱れると国が乱れると思っています(^^)・・・そして生き物のほとんどはオスとメス両方で種の保存がなされます。
【 支 度 】
今朝、地元中学校の掲示板。春、旅立ちの季節、別れと出会いの季節。離任式に出席できず、通勤前に職員室におじゃましました。学校は大人社会の縮図です。ほとんどの問題は学校だけの責任ではなく、社会全体の問題です。様々な出来事、悲喜こもごも。教職員の皆様に深く感謝申し上げます。お世話になった教職員の方々の新天地でのご活躍を祈念します。
【一人で淋しそうなので声をかけてみました】
でも、寂しかったのは「私」だったことに気付きました(^^);
先週の川掃除で水没してしまったiphoneを全交換。オプションの保障利用の為、Softbankショップへ。
お客は私の他に一人程度。手続きを待つ間、ずっと入り口を見てたたずんでいるペッパー君が寂しそうで、思い切って近づいて覗き込んでみた。
すると、顔をこちらに向け、「コンニチハ。お話しませんか」と語りかけて来る。<こんにちは>「初めてではありませんよね。お見かけしたことがあります」<2度目かなぁ>胸のタッチパネルのメニューの「記念撮影」にタッチすると返事をして、しっかりとポーズをとってくれた。サービスショップなので、否定や反論などしないプログラムであろうという安心感。ふと、そんなことを考える自分が人付き合いに疲れているのかなぁ、なんて考えてしまいましたぁ(^^);
【また巡ってきた春に】
3月27日。
妻の母親の3回忌であった。墓前で手を合わせる妻、息子(写真)や娘を見ていたら、じわじわと「今生きていること・繋がった命」に「感謝」の気持ちが湧き起こってきた。妻の親族、私の親族、そしてここまで命を繋いできてくれたすべてに感謝しなければならない。どこが欠けても、今の私は存在しなかったのである。季節はまさに日本の「春」である。今の日本は「平和であり幸福である」と考えなければならない。そしてまた巡ってきた春に「感謝」して今を生きたいと思う。
※写真は今朝の新宿・百人町公園の桜、海棠など。
ごみ川柳
【ポイポイと 街はコンビニ そのまんま】
【誰か・・・微笑み、希望を捨てないで】
微笑(SMILE)を捨て、希望(HOPE)を捨て・・あまりに悲しいじゃぁありませんか?№2,524
【毒リンゴ?】
Appleが・・iphoneじゃないし・・今朝、バス停に丸ごと捨ててありました。もったいない。まさか毒も入っていないでしょうから、我が家の庭のグミの枝に刺して、メジロなどの野鳥に食べてもらうことにしましたぁ(^^)
【悲しい川柳】
<子らのふり 親や社会を 生き写し>
№2,522
【放火未遂!】
民家の枯れた芝生に・・・引火しなくてよかった・・・ポイ捨てごみで一番多いのは、たばこの吸い殻であるが、これはもうポイ捨てというより、立派な放火未遂事件ですよね。火事にならなくてよかった・・・№.2,521
【日曜日は都川の清掃でした】
3月20日。
廃プラスチックが川や海で粉砕されて微細化(マイクロプラスチック化)し、それを魚が食べ、その魚を人間が食べ有害物質として蓄積されていく。ラジカセ、テレビ、自転車、オートバイ、缶、ビン、建築廃材、廃油・・・いつものことですが、川に入って掃除をしていると、文明社会と人間の身勝手が嫌になります。この地球に存在するのは、人間だけではない。そして、人間は、他の動植物や資源・水・空気などによって生かされている。・・・少し考えればわかることなのですが・・・残念ながら、私もその人間の一人です・・・(;_;)
【今日は中学区内の二つの小学校の卒業式】
両方は出席できないので、交互に出席しています。今年は仁戸名小学校。私の長男の頃は300人近くいた児童が、20年たったら今は半分程度。今年の卒業生は21人。卒業生たちはそれぞれ証書を受けとり、将来の夢を壇上で宣言します。プロ野球、バスケットボール、サッカー、剣道、ゲームクリエーター、声優、パティシエ、社長・・・・子ども達が夢や目標を持って輝く。今の日本は「満ち足り、幸福である」ことにまず「感謝」しなければ・・・と強く思いました。
【誰か・・・希望(HOPE)を捨ててはいけません(^^)】
卒業式も終わり、また新しい季節が来ます。桜も開花したようですね。<つぼやき№2,517>
子どもの頃・親としての実体験より【いじめをなくすとは】
(後半はある子どもの感動的な詩)
「イジメはいけない、なくそう」と言葉では言われ解ったような気分になる。「人はみな違っていい、他を尊重せよ」と諭される。他人との違いを理解することは相当に難しいことだ。人というものは「羨み」や「妬み」、好き、嫌い、苦手意識を持つのは自然なこと。また「独り」より「同じような集団」に属した方が安心する傾向がある。加えてお金を基準とした価値観や幸福感が蔓延した、経済が支配する人間社会である。人格の違い、お金の多寡、妬み、群集心理・・・。それらのバランスを取ることが「いじめ」をなくする(ではなく克服して生きる)唯一の答えであり、人間として生きるということだと思う。やはりキーワードはいつもの「足るを知る」「一隅を照らす」「色即是空・空即是色」かな。(写真はイメージです=子ども達との田んぼ作業の様子)
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生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
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本当に小学生が書いたの!?谷川俊太郎の「生きる」になぞらえて書かれた詩
生きているということ
いま 生きているということ
水色の空を見てうれしくなること
深緑の葉を見て幸せになること
夢がかかえきれなくなること
進む道が 見えること
生きているということ
いま 生きているということ
それは黒色 それは真夜中
それは雷 それは台風
それはクラムボン それは江戸川乱歩
昔の「きらい」が「好き」になること
進む道が かわること
生きているということ
いま 生きているということ
からかわれてはらがたつこと
おこられてはずかしいこと
しっぱいをこうかいすること
むしをいやがること
くらいよみちをこわがること
じぶんがきらいになること
進む道が 見えなくなること
生きているということ
いま 生きているということ
絵をかくのに夢中になること
だれかの不幸を悲しめること
だれかの幸運をいのれること
いま いまが楽しいこと
道が見えなくなっても
あるくこと
【米作り?環境保全?「いのちをいただく」子ども達に命の重さを伝えたい】
3月13日。「第3回 田んぼマイスター講座」。私たちが5年前から始めた千葉市の都川流域で始めた米作り。皆、本業を持ちながらボランティアとしてやっている川清掃や花植え、米作りですが、当初からの難問(矛盾?)があります。私たちが他の団体と分担し始めたのは環境保護を目的として「生き物と共生する田んぼ」として冬場も水を張り、春先も一切耕さない(田起こしをしない)田んぼです。これは期待通り野鳥や小動物(カエルや昆虫など)様々な動植物たちのオアシスとなり、子ども達にも貴重な自然体験の場となりました。しかし、お米の質や収量は?というとお粗末なものです。自給率3割と言われる日本の食事情。これは、伝統的な国産食材を使わない食の多様化(贅沢化?)や飽食により廃棄される食材などの要因も大きいと思います。ミミズや昆虫やカエルなどに触ったことが無い子ども達。お米や野菜や肉・魚などがどこで、誰が、どうやって作っているのか知らない子ども達。お金を払えば、美味しいものがいくらでも、楽に手に入れられる。今起こっているいじめや格差、殺人、環境問題、戦争・テロなど様々な社会問題と無縁でしょうか?・・・「いのちをいただいて生きている」・・・自然保護か、効率重視・味や収量重視の米つくりか・・・それが、問題だぁ・・・(´・ω・`)・・・変人おやじのつぼやき・・・※写真は5年前に田んぼの看板を書いてくれた娘と、作業の様子です。
【大人たちの心を洗う卒業式】
3月11日。午前中は松ケ丘中学校の卒業式でした。校長先生の式辞は司馬遼太郎の「この国のかたち」から「名こそ惜しけれ」を引用し、礼節を重んじる日本人の素晴らしさを生徒達に語り掛けていただきました。くしくも5年前の同日(東日本大震災)も卒業式でしたが、私は「3カン。関心・感動・感謝。生かされた命を大切に」と声掛けしました。その後の送辞・答辞、生徒達の合唱は素晴らしいもので、列席した保護者や来賓の大人たちの「心を洗ってくれる」ような、素晴らしい、清々しさの余韻が残る卒業式でした。感動・感謝です。
【政治が私たちを動かしているのではない。私たちが政治の在り方を示している】
【ボランティア・・・って?】
毎朝、子ども達の通学を見守ってくれる地区交通安全協議会やPTAのボランティア。「ボランティア」と定義づけて構えるものでもないと思う。「好きだから」「時間がある人がやる」「自分の為」・・・様々な考えがあるでしょう。ただ一つ大切なこと。それは「自分一人では生きていけない」ということ。報酬(お金)の有無でボランティアかそうでないかを区別するような風潮があるが、根本はそうではないと思う。自分の子どもが玄関を出てから学校にたどり着くまでに、どれだけの人と言葉を交わし、どれだけの花を見、どれだけの危険に合っているか。それらは親の見えないところで、間違いなく子どもの成長に大きく関わっている。見えないものを見て、感じ、感謝すること。人間だけではない。地球環境も含め「人は一人では生きていけない」。真実は、見えないところにこそ、ある。
中から見るとぉ~!?【校歌3番:遥か気高き富士の峰~♫】
天気が良ければ富士山が望める地元の松ケ丘中学校。卒業式を前に1年生が作った壮大なステンドグラス。外から見ると何でもないが(今朝の体育館の様子です)中から見ると~~!(^^)!今年も明後日の卒業式でこの校歌を歌うのが楽しみです(^^)
【3日早い、もうひとつの卒業証書】
今朝中学校前で、大切な落し物を拾い、教頭先生にお渡しした。図書指導の先生からのあたたかい卒業メッセージである。旅立ちの季節です(^^)