【すしはうまい!けど、自分のことじゃなければ「関係ね~!」】・・かな?

【すしはうまい!・・・なんて言ってるけど、自分のことでなければ「関係ね~!」】・・・かな?
宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』は、人間の争いのために瘴気が漂う腐海の底に沈んだ地球が舞台。マスクをしないと、その空気を吸っただけで肺をやられてしまう・・・まるで、新型コロナに侵された今の地球のようだ。本当にこれは「天災」だろうか・・・
週末、都川の草刈。多くの人たちが散歩を楽しむ都川。私たちが川の掃除、鮎や生き物の保護、川土手の草刈り、桜の植樹、稲作、環境保全啓発活動などに取り組んで15年以上になった。だが、人間たちの意識は相変わらず「そんなの関係ね~!」のようだ。本当に、関係ないのだろうか・・・。そんなの政治が考えること、だろうか。人間たちのごみは、今日も川から海に流れ、海の生き物たちの脅威となる。海の生き物が絶滅する前に、魚たちが腹に溜めたプラスチックは人間たちの腹にも・・・。
金が総てだ、自分には関係ね~、めんどくさい、社会が悪い、政治が悪い、教育が悪い、あいつが悪い、それどころじゃね~・・・。
地球には人間しかいない、とでも考えているのだろうか・・・。

【躾や学校・本で学ぶもの=倫理・道徳=理屈=既製品。それを超えるもの=?】

【躾や学校・本で学ぶもの=倫理・道徳=理屈=既製品。それを超えるもの=?】
人に迷惑をかけない、思いやり、言葉遣い、ルール・マナー、社会常識、・・・これらは、親や学校・本やメディアなどの教育、自身の経験によって身につく理論・理屈であり、真似事であり、つまり固有の人間のものではない。いわば規格・既製の衣服のようなものだ。人間である以上、衣服を着、火を使い、言葉を話し、社会生活を送る。生を受け、義務教育を終え、親から離れ、社会人となり、様々な経験をしながら知識を重ね、生きることの糧とし、やがて死を迎える。これが大多数の人間の生き方のような気がする。
しかし、人間、もう一段ある、と最近考えている。既製品、規格品のまま、人生を終えることが人間の真の姿なのだろうか。人間には其々、倫理・道徳(=理屈)を超えて備わったものがあるのではないだろうか。学問・理屈・知識は学ぶものであり、これを備えて尚、その人固有のものがあるのではないだろうか。
当たり前のことだが、理屈は頭で考えるもの。これは後天的なもので人真似(まね)であり、規格品であり、自分自身ではない。本当の自分は「頭」ではなく「腹」の奥底に沈んでいるように感じる。
一通りの理屈を身に付けた今、さらなる知識を身に付けるのはもちろんだが、自分の「腹」に問いかけてみることを試してみたい。
無宗教の私だが、最近、「禅」の本を読み始めた。さて、どこまで「腹」に問いかけられるか・・・(^^)
それにしても、「理屈」さえ備わっていない人間たちのなんと多いことか(;_;)

 

結納なし、結婚する前に同棲する【男と女のかたち】

結納なし、結婚する前に同棲する【男と女のかたち】=我が子どもたち(今どきの若者)に見る結婚観=
「男女平等」「人種差別撤廃」という言葉は世界標準として、どこの国でも(程度の差はある。其々の本気度は別として・・・)お題目としては掲げているようだ。日本も例外ではないが、ここで誤解を恐れず、私見を表したい。
日本には、日本人としての「男と女のかたち」が、かつてはあった。日本の「男らしさ」「女らしさ」が間違いなく、あった。それは「日本人らしさ」と表裏一体のものであり、とりもなおさず、ここでは「日本の男と女・日本人らしさ」の亡失について語るものである。かつての「日本人らしさ」についての詳細はここでは語らないが、これからここで語ることの裏返しと考えていただければ、当たらずとも遠からず、であろう。
戦争が終わり現代では、科学と経済規模の程度が「国」の評価基準になっている。科学と経済の浸食に伴い「希薄」となっているのが「男らしさ・女らしさ」と「人間らしさ」の必要性であろう。男と女に至ってはその境目はもはや「不要」なのかもしれない。それと似たものが「国家」、「国と国の違い」とも言える。
今年、我が子三人のうち二人が「結婚」を表明した。家庭内の会話で浮き彫りとなったのが「結婚観」の世代間ギャップである。(もちろんこれは、私自身と私の親との間でもあったものだろう。)
今の若者は「結婚を失敗しないため」に籍を入れる前に一緒に住んでみる、と考えるらしい。如何にも理論的で、合理的、利己的、である。「結婚」という国の制度があり、「離婚」をすればそれなりの経歴がついてしまうことを恐れての事だろうか・・・。5回(人)でも10回(人)でも、同棲をしてみて、一番気に入ったのと「結婚」すればいい、ということらしい。まあ、5回、10回と「離婚」するよりいい、ということなのだろうか・・・。
私は我が子たちには、父として、家長としてこう言っている。「結婚であろうが同棲であろうが、相手や社会に対する責任がある。お試し的な気持ちでしてもらっては困る。昔からの文化や慣例・しきたり・人生観をそのまま踏襲しろとは言わない。しかし、簡略化してもいい、昔からの慣例・しきたりを学び、結婚の意味と責任をしっかり考えてほしい」
・・・どこまで、古臭い?父親の声が届いたかわからないが、今のところ二人ともそれなりに私の目に叶った進め方をしてくれている。
男と女の境目が曖昧になり、其々がお互いを必要としなくなっている。
結婚(同棲)しても、近代的・現代的な倫理・道徳や人生観がマッチしなければ別れればいい・・・そんな時代なのである。
現代の若者の結婚観は「家と家の婚儀・種(血)の保存」であった昔とは程遠く、「理論的、合理的、倫理的、利己的」に「選択」した先にある「性の違う友人」との個人的マッチングの過程、ということだろうか・・・
それにしても、ネットによると、今どきは70%以上が結納をしないらしい。これにはビックリであった。。。

【気づかないことは沢山ある】

【気づかないことは沢山ある】自分は気づかないが、誰かが見兼ねてしてくれている・・・そんなことが沢山ある。これは自分の問題ではなく、自分を育てた親の生き方、後ろ姿の影響である。そしてそれは、気づかず何もしなければ代々受け継がれていく「因縁」となる。自分の人生は、自分の子どもの「子育て」(=孫)まで見なければ、客観的に評価できない、と私が考える理由がそこにある。
人間が育つ中で学習する理屈は「真似事」であり、自分自身ではない。既製品・規格品で一生を終えるか、自分という人間を生きるか・・・。一番の近道は、損得に囚われずに、他人や社会と生きることができるようになること、なのだが、これが難しい・・・。

【なにも考えなければ・・・】

【なにも考えなければ・・・】街の交差点に何げなくある交通安全の黄色い横断旗。この旗はよく破損するが、誰か(私は知っている)が交換してくれる。横断旗入れの箱にはしょっちゅうゴミも捨てられる。さて、子どもたちの安全を願い手入れされているこの横断旗。なにも考えずごみ箱にするのか、「いったい誰が、何のために・・・」と考えてみるのか。今の日本は、たったこれだけのことも、できなくなってしまった・・・(;_;)

【歳を重ねて(^^)】

【歳を重ねて(^^)】2003年に街のごみ拾い&挨拶活動を始め、18年目。当時小学3年生だった娘も、結婚して姓が変わってしまった。当時娘がデザインした「タブ~」のTシャツが出てきたので着てみた。これは、私のミスでシッポがない!!(^^)/
18年・・・私の体形は、ほとんど変わっていない(^^);・・・さて、生かされた命を、どう使っていこうか?「生きてるだけで、もうけモン!」だな!

【自分の家の広さは?】

【自分の家の広さは?】小さな我が家には、子どもたちや妻の部屋はあるが自分の部屋はない。しかし、私の家は毎日の掃除さえ満足にできないくらい広い。今日もいつも通りゴミを拾い、倒れた自転車を起こし、草を取り、掃き掃除をした。行き交う人たちとは「おはようございます」のエール交換だ。これだけ広い家に住めば、きれいにしたくなるし、そこに住む人たちのことも心配になり、何か自分にできることをしたくなる、というものだ(^^)・・・今日も希望(HOPE)を捨てずに、変人イガラシは行くノダ(^^♪

【町内の雑木の伐採】

【町内の雑木の伐採】放っておくと伸び放題の雑木。通行に支障があると苦情も出る。梅雨の合間を見計らって、自治会で購入したチェーンソーが大活躍である(^^)

【ハチドリの一滴】

【ハチドリの一滴】床屋、八百屋、靴屋、エステサロン・・・地域の商店会仲間が集めてくれたペットボトルキャップを回収して回った。プラスチックごみの削減が叫ばれる中、小さなことかもしれないが、13年目の活動である。ワクチン寄付ではなく、ごみ削減(リサイクル)が目的で続けている。(^^)<m(__)m>

【新潟の親戚からお花を戴いた】

【新潟の親戚からお花を戴いた】母の好きだった百合の花を今年も頂戴し、仏壇と玄関に分けて飾らせてもらった。結婚し、自分や妻の親戚を見送り、やがて親を見送った。仏壇に増える遺影。今年はコロナの影響で、帰省、墓参りも心配な状況である。少人数で、気を配りながら、日帰りしてでも、お墓参りだけはしたいものである・・・今の自分があるのは、祖先と歴史や文化のおかげなのだから・・・。

【香港は他人事?いつか自分に返ってくる。そして日本は中国や北朝鮮の様になってしまうのか!?】

【香港は他人事?いつか自分に返ってくる。そして日本は中国や北朝鮮の様になってしまうのか!?】
何でもかんでもルールや法律にしてしまう日本。法律を作るということは、体制に委ねる、ということ。そして体制は、法律によって自由と民主主義を束縛し始める。香港がいい例だ。人と交わる、社会で生きる、共生する、ということは、トラブルや摩擦を法律や権力(他人・他力)任せにするのではなく、自分が関わり、自分の事として、ともに解決する道を考える、ということではないのか!?

【コロナで変わるもの・・・】

【コロナで変わるもの・・・】「新しい生活様式」とは、なんだろう。外出を控え、できるだけ人と接触せず、近寄らず、マスクを着ける。昔ながらの文化的・歴史的行事は取りやめる。仕事はできるだけ家で行い、必要なものはネットで、宅配で注文。外で何かに触るたびアルコールで消毒をする。県外のよそ者やマスクをしていない者に疑心暗鬼になり、繁華街や夜の遊びをする若者を非難する。
残念だが、そんな世の中になろうとしている。
追い打ちをかけるように最近多発する豪雨被害や地震。
私は、そんな世の中が怖いし、いったい日本は、人類は、どうなってしまうのかと不安である。
そして、ある疑問を抱く・・・本当にこれらは天災なのだろうか。。。

【レジ袋、有料化】

【レジ袋、有料化】「有料化」という言葉だけが独り歩きしているようだ。何のための「有料化」なのか、「そんなの関係ネェ!」なのかなぁ(´・ω・`)・・・あ!!紙ストローだ!同じポイ捨てするなら、この方がイイ、ということか・・・(;_;)

【アベのマスクの行方(^^)】

【アベのマスクの行方(^^)】使い道がないかと思っていたアベのマスク。思わぬところに救世主が。なんと、我が息子が職場(美容室)で使っていた。なんでも、通気性がよく、夏場は汗をかかないで快適なのだ、という。洗って何度も使えるところもイイらしい。安倍さんに感謝である(^^)