タバコ、、、の吸い殻・・・

【高いお金を出して買って、吸って、健康を害して、道端に捨てる・・・】東京の港区では、こんな方々が吸い殻を拾っています。おかげで、駅前でも道路は綺麗です。でも、手に持った袋を見ると、結構ありますねぇ・・・

【丸山穂高議員について】

【丸山穂高議員について】丸山議員を庇う気持ちは1mmもない。むしろ、この問題だけに関していえば、この後の自分の意見すら空しく感じるほどだ。しかし、言わねばならない。前代未聞の糾弾決議の丸山議員であるが、「議員を強制的に辞めさせる仕組みが必要」との一部の意見には(それが国会の仕組みを指すのであるならば)反対である。あくまでも選挙で選ばれた議員であり、進退は選挙で決せられるべきであろう。本人が辞職を否定している以上仕方がないが、このまま議員活動ができるか否かも、選挙民次第だと考える。民主主義なのだから、国民が選んだ議員を、国会で辞めさせるような仕組みは、おかしいと思う。もしそのような仕組みができるとしたら、多数派勢力による少数派排除もできる国会となってしまう恐れがあるからだ。東京大学卒、経済産業省、松下政経塾、とエリート中のエリートで、表街道の日当たりの良いところを歩く人間を無条件で(というより、その経歴を見て)選んでしまう選挙民の気持ちもわかるが、ここは、民主主義の象徴である選挙制度を貶めない為にも、自分たち選挙民の猛省を促したいところだ。こんな人間には、我々の代弁をしてほしくない、が私の本音である。

コンビニエンス!便利の裏側・・・


【コンビニエンス😔】今や世界一のコンビニ大国、日本。その数は55,000店を超えている。その歴史も45年を超えている。まさしく「便利」なのは言うまでもない。(余談だが、私の子どもの頃は一番近くの小さな小さな商店まで歩いて片道30分はかかった。それも隣村のこと。)
最近ニュースでも報じているが、人手不足により24時間営業できないお店が営業時間を短縮したところ、フランチャイズ本部から契約違反とされてしまった、とのこと。この例に限らず、深夜の幹線道路や生活道路で、ポツンと灯りを点けているお店を見る。交通量が多ければ商売になるだろうが、甚だ疑問なお店も多い。煌々と明かりを点け、人を雇い、エネルギーを消費している。
他方、商品廃棄の問題もある。鮮度管理を重視する余り、賞味期限に拘り過ぎ、廃棄の山となることも多いらしい。これも本部から「値引き販売禁止」されている為、売り切ることすらできない場合もあるようだ。(飼料の原料とする場合もあるようだが)
プラスチックごみの問題もクローズアップされるが、コンビニで販売される商品も多いことは言うまでもない。
はたして「便利」とはなんだろう、と考えてしまう。無駄なエネルギーを消費し、過酷な労働を強い、捨てる必要のないごみを排出する。これを求める現代、日本文化、とは、いったいなんだろう?と考えさせられる・・・。

働くのは、お金の為?


【何のために仕事するの?】先日、小学校の学校評議会に出席しました。参考資料としていただいた「校長通信」から引用します。
引用ここから⇒あるアメリカの鉄道会社の社長が、現場の視察に出かけた時の話です。そこには、約10年前、鉄道作業員としていっしょに働いていた友人が今もいて、話しかけてさました。「久しぶりだね!君も随分出世したものだね。10年前は、おたがい50ドルの日給をもらうために働いていたのにね。」社長は答えました。「そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。私は、10年前も今も、この鉄道会社のために、そして世の中の人たちに快適な移動や旅をしてもらうために働いてるんだよ。」⇐(引用終わり、以下省略)
現場労働者を見下している様で、少し展開に無理があり格好が良すぎる話だと感じますが、そこに目をつむれば、平和な現在の日本において働く意義を考える上で、深く共感できます。現在の日本では子どもはもちろん、大人だって、何のために働くか?と聞かれれば、「お金の為」と答えるでしょう。しかし、お金自体に価値はありません。50ドルをもらうために働いている人は、50ドル以上のものを得ることはないでしょう。50ドルもらえればそれでいいのですから、人が見ていないところで手を抜くかもしれません。そういう人は、仕事の内容が50ドルの価値を超えられないのです。もらおうと思って働くか与えようと考えるのか。
もっと、分かりやすく、生々しく言い直せば、50ドルの価値がある仕事を100ドル、1,000ドルの価値にするにはどうするか、ということです。そしてその価値は、会社が決めているように見えるが、会社の価値は世の中の人が決めている、ということです。
仕事とは、お金や生活の為、企業は一部の利権者の為と考えがちですが、決してそうではなく、仕事とは自己実現の場であり、企業はそのための「世の中やお金とのつなぎ役・器・場所」だと考えます。それが分かっている経営者(経営自体が仕事であるのは言うまでもありませんが)の企業であれば、存在するだけで社会貢献なのです。自分の好きなことを仕事にし、嬉々として働き、それで家族が食べて行けるだけのお金を世の中から頂戴でき、子どもにこのことを生き方として伝えていける、としたらどんなに幸せでしょう。
私はこの考え方に立脚できないと、人間社会は崩壊すると考えています。大人の皆さん、「何のために仕事するの?」に答えられますか?(^^)

雑草、されど、雑草・・・

田の草取り【・・・されど、雑草・・・】
「雑草と いう名の草は 無いという コナギオモダカ つぶやいて取る」
コナギ、オモダカ、クレソン・・・「雑草」という名の草はないとはいえ・・・やはり、抜きます・・・😅

【エシカル】って、知ってますか?

【エシカル】って、知ってますか?
ネイティブ・アメリカンの言葉があります。 「この地球は、先祖から受け継いだわけではない。未来の子どもたちからの借り物だ。」
いつの間にか利己的な生き物になってしまった「人類」。地球環境を守るのも壊すのも「人類」次第、となっています。今、考えなければならないのは「未来」です。人類が考えなければ、人間の子どもたちはもちろん、人間以外の動植物や、地球環境のすべてが、それこそ(私は無宗教ですが)「神の手」に委ねられてしまいます。今の私たちが、ほんの少し自分以外(他の生物、自然環境、社会(自分以外))の事を思いやり、そして行動する(考えてから買う、考えてから捨てる、考えて行動するなど)ことができれば、世界は間違いなく変わるのです。
「エシカル」とは「法律」ではなく「良識」に基づくこと。行ってみれば、人間であることの根幹かもしれません。私たちが変わらなければ、何も変わりません。政治や科学が何とかしてくれる、というのは危険な妄想でしかありません。
日本人は、古くから村社会を基本とする共生・共存の精神や、大自然を神として信仰するなど、「エシカル」が当たり前だったのです。
利己から利他へ。あなたも、生活を少し「本来の人間らしく」、変えてみませんか?(^^)

同郷のママ(^^♪

同郷のママ【ここに来ると、朝まで飲んでしまうのです(^^♪】ジャガイモの煮つけは、皮が付いたまま!そして、故郷のイノシシ料理!。。楽しくて、時を忘れてしまう・・・が、後で、妻に怒られる😁]

 

【浜松町金杉橋口と日本人】

【浜松町金杉橋口と日本人】3階の高さの階段がある。この歳になると毎日のことだが、特に上りが辛い。ところで、毎朝、この長い階段を左側2列が下り、(誰もいなくても)右側1列を上りとして空けて整然と歩く日本人の行儀良さが私は好きである。帰りは逆に上りが多いのだが、やはり下りの一列が誰も歩いていなくても空いている。よその国ではどうだろうか。私は、この日本人の気質が、廃れてはならないと思う。

【国会の品位】北方領土、丸山議員発言

https://www3.nhk.or.jp/…/html/20190606/k10011943071000.html… 糾弾決議 自民小泉氏「ふに落ちない」採決棄権】こんな国会議員もいるんだなぁ・・・私と100%同じ考えだぁ】———以下引用
小泉進次郎議員「決議には『人間としての品位を疑わせるものだ』とまで書いてある。個人の批判は自由で、政治家は甘んじて受けなければならないが、国会として批判するのは次元が違う。みんなで糾弾するのは、ふに落ちなかった」と述べました。そのうえで、「丸山氏の発言で、かばえるものは何もないが、議員の出処進退は本人が判断すべきで、辞めなかった場合どうするかを判断するのは選挙だ。それが有権者に与えられた民主主義の力だ」と述べました。
——–国会の品位を国会議員がよってたかって貶めてはいけませんよね。

【自論、夫婦】

【自論、夫婦】日本の離婚率は35%という数字もあるようだ。そのまま当てはまるわけではないだろうが、小学校の1クラスの「片親家庭」の割合も1/3程度だというから、間違いでもなさそうだ。他人同士が結婚する夫婦関係は、人間同士のぶつかり合いの究極だと思う。二人だけのうちはまだいいが、子どもが生まれれば一緒に暮らす人間が増える訳だから、なおさら深刻である。離婚が子育て(人間の成長)にどれだけの影響があるのかは分からない。しかし、60年生きて、青少年関係のボランティアも長く続けていると、一つの理のようなものが見えてくる。それは離婚などの家庭事情に関わらず(両親が揃っていても)、「親の愛情が伝わらなければ、その犠牲になるのはいつも子ども」ということである。今の世の中の様々な犯罪を犯す人間も、子どもの頃があったに違いない・・・。子育てをする大人は、自身の「人間の幅」がその背中に現れて子どもに見透かされてしまう、ということだと思う。
かくいう私も、「離婚」を考えたことが数回ある。ぶつかり、沈黙し、自問自答し、もがき、苦しみ・・・それでも、今一度心を開いて話し合ってみる。そして許し合い、見つめなおし、また歩みだす。そんな雰囲気は、子どもにも伝わったことだろう。それが自然だし、それが「人間が暮らし、子孫を遺す」ということだと思う。人が何かを成すとき、(大げさなことではなく普段の小さなことでも)、まず家族を説得できなければ何もできないと思う。そして、説得できなくても、それは負けでもなんでもなく

、未来へ向けて獲得した大きな財産になる。それが「夫婦愛・家族愛」といってもいいだろう。また説得できて成したことの結果が仮に失敗だったとしても、それは夫婦・家族にとって、とてつもなく大きな目に見えない宝物になると思う。「人間の幅」や「愛情」の定義などないが、「愛情」が子どもに伝わる子育てをしたいものだ。それは、間違いなく社会の礎となる、かけがえのないものの筈だ・・・歳をとると、こんなつぶやきが出て仕方ないものだ・・・

【戦後74年の平和・・・オリンピック】

【戦後74年の平和・・・オリンピック】サーフィン会場となる海岸へ行ってみた。多くの若者たちがサーフィンを楽しんでいた。すぐ近くの太東埼灯台には戦争史跡が生々しく遺っていた。海はひたすら青く、波が静かな6月の太平洋でした。

【必要とされていない人間?】

【必要とされていない人間?】子どもの頃は皆が肘や膝、靴下の踵や指先が破れ、繕ってもらった服を着ていた。「他人に迷惑をかけない」「他人を思いやる」・・・この二つだけが道徳だったように思う。これを守らない時に親や先生、他人からも叱られる。これが当たり前だった。今思えば、この二つを命を懸けて教えてくれたのが「親」という存在で、それが「愛」だった。大人たちは交代で地区内の役を担い、誰が欠けてもそれは皆の暮らしにかかわる大事であった。お金持ちか、なんて関係なくて、皆が助け合い、寄添い、尊重し合って生き生きと暮らしていた。「必要のない人間」などいなかったのだ・・・。「豊で平和」と言われる今はどうだろう・・・何かが間違っていると思うのだが・・・。