【3,950日目のフレディ】

【3,950日目のフレディ】ごみ拾い。もう少しで4,000日だ!!
フレディという名の葉っぱがいた。フレディは春に新緑の眩しさを身に着けて生まれ、夏には立派な葉となって燦燦と日を浴び、人間たちには木陰を作ってやった。やがて秋。仲間たちは鮮やかな色に変化し、やがて茶色になり、一枚、また一枚と散り落ちていく。恐々としていたフレディに、ついにその時が来た。今まで自分を支えてくれていた枝に別れを告げ、静かに散っていく。ひらひらと舞い落ちるとき、フレディは初めて、自分たち葉っぱや枝を支えてくれていた立派で逞しい幹の姿を見た。やがて幹の元の大地に舞い降りたとき、はじめて気づく。自分の力だけで生きていたわけではなかった。鳥や虫たちが葉っぱから作った大地に根を張った幹があった。フレディたち葉っぱは二酸化炭素から酸素を作り出す呼吸をしていた。太陽の光と熱によって海から湧きあがった水を含んだ雲を運ぶ風、雲が大地を潤す雨に、その水を浄化する大地、水を海へ戻す川。これらがあったおかげで生きていられたのだ。落ち葉となって次第に朽ち、やがて土になるフレディだが、もう怖くはない。フレディは次の新しい命の元となる喜びに満ち溢れていた。
「葉っぱのフレディ」より

【お米とアイスを交換した時代】

【お米とアイスを交換した時代】
以前にも子ども時代の記憶として書いた記憶がある。が、まだまだ私の周囲ではよくある。そして嬉しいことだ。生業としてITサービスを営んでいるが、最近は引退が近づいたことを意識し、大きな仕事(システム開発)は減らしている。そして原点である地域密着のお客様サービスに戻りつつある。自社製の業務ソフト改修、パソコンの出張メンテナンスやWebページ作成、広報紙やチラシ制作などだ。古くからのお付き合いのお客様がほとんどだ。
先日は、ウィルスが付いたかも・・・というご近所のお個人の客様のパソコンのメンテナンス。幸い、ウィルスではなくトラッキングCookie(履歴追跡の仕組み)の簡単な設定で解決した。
その他にWindowsの更新が蓄積していたので、これを実施したのはいいが、待っている時間だけがかかり、作業時間でお代を頂戴している私としては申し訳ない状態に。普段からお付き合いのある方だったので、世間話や近況などの雑談で持ち時間を過ごした。3時間以上の経過時間であったが、2時間分頂戴することにしたところ、それでは申し訳ないというお客様からいただいたのが、子どもルームで子どもたちの教材として使う予定の試作品のクリスマス飾りとお米。
お米を頂戴するなんて・・・子どもの頃まだ物々交換ができた田舎のこと、アイスキャンディを欲しがる私に親がこれで買ってこい、とお米を手渡されたことを思い出した。
仕事をしてお米を頂戴する・・・なぜか「あ~~生きているんだなぁ」と感傷?に浸ってしまった(^_-)-☆

【故郷にこころが戻るとき】

【故郷にこころが戻るとき】
(数週間前)今年も、故郷の親戚から柿が届いた。今年は干し柿にせず、渋抜きしてそのままデザートとして食べている。
あま~~~い(^^)(^^)
こころは一瞬にして故郷の新潟、魚沼へ・・・感謝・・・
<年輪を 重ねても尚 望郷の つのる想いは 余でなく与生>

【季節は巡る・・・秋】

【季節は巡る・・・秋】養老渓谷。今年もこうやって大自然を愛でる猶予を与えていただいた。地球の中でも、特にこの国に命を授かったことに感謝しつつ、自分の与生で、できることを続けようと思う。

【聞いて聴いて慈しむ】

【聞いて聴いて慈しむ】
養老渓谷に行ってみた。お猿さんが道路脇のフェンスに来てご挨拶。
見ざる、聞かざる・・・ではないが・・・「見ない、聞かない、言わない」の時代ではないと思う。それどころか、隠し撮りのような画像で他人の上げ足をとり、自分の声は上げずに社会的制裁という名のもとに社会の好奇の目を向けさせて自己満足に浸る・・・私にはそんな世に映る。今の世は、表面的には大して見るべきこと、聞くべきことはない。
話をこころで(頭ではなく魂で)聞いて、息遣いを聴いて、咀嚼して、共感して、感謝しなければ、今の世の中、上辺だけの世に向かってまっしぐらだな・・・よく見れば、このお猿さん、何か聞こうとしてますよね(^^)

【野次馬には、どうしてもなれない】

【野次馬には、どうしてもなれない】
信号もなく危ない交差点だ・・・誰もが考えていた・・・子どもたちの通学時間帯、いつも通るルートだ。救急車が停まっていたが、その陰になった向こう側で悲劇が起きていた。倒れた自転車と乗用車、路線バスも止まっていた。どうやら、救急車が到着した直後のようで、救急隊員が(おそらく自転車に乗っていた)負傷者の容態を診ていた。パトカーがサイレンを鳴らして複数台走ってきた。
現場の惨状はここでは触れないが、明らかに当事者らしき人の他に3~4人が立ち止まって見ていた。
私は、こういう現場は、自分がなにかできない場合は、立ち去ることにしている。
自分や家族が同じ目に遭い、野次馬たちの好奇の目にさらされることを想像してしまうからだ。
これがもし繁華街だったら人だかりができ、多分、スマホカメラの餌食にされるのだろう・・・
私には、好奇の目でただ見ていることはできない・・・。
もし自分だったら、自分の家族だったら・・・
人間とは怖いものだ・・・
登校していく親子連れに「見ない方がいいですよ」と声を掛けるのが精いっぱいだった・・・
(画像は別の日のものです)

【サクマ式】と【サクマ】?

【サクマ式】と【サクマ】?赤い缶が「サクマ式」(佐久間製菓)、緑の缶が「サクマ」(サクマ製菓)だという。
無くなるのは赤い方の「サクマ式ドロップス」(佐久間製菓)で緑の「サクマドロップス」(サクマ製菓)は残るという。どちらも元は同じで、喧嘩しているわけでもないようだ。だが、どうやら大元は「佐久間製菓」だ。
なんか寂しいなぁ・・・。

【郷ひろみの昭和のオヤジ】⇒男と女は無くなる?

【郷ひろみの昭和のオヤジ】⇒男と女は無くなる?
 NHKの再放送を観た。郷ひろみ扮する昭和オヤジがコミカルに描かれていた。いささか誇張され過ぎている感じはしたが、自分に照らして、苦笑するシーンも多かった。
 定年退職してヒマにもかかわらず、妻に「お~い、お茶!」と叫び、孫のオムツ交換もできない、ひたすら仕事一筋に生きた昭和オヤジを描いていた。
「ジェンダーロール」(性別にまつわる社会的期待)に縛られた夫。妻は「夫源病」(ふげんびょう=熟年妻の不調の原因の多くが夫にあるという説)。どちらも初耳で、なるほど、と感心した。
 誤解されそうだが書いておきたい。私は「男は外で仕事、女は家を守り子育てをするモノ」などとは考えないが、これが「古い・時代遅れ」とは思わない。問題なのは「皆がそうだから自分も・・・」と、借りてきた理屈だけで自己の存在しない生き方だと思う。これを「協調性」、「社会性」、「日本人らしさ」とか言うのは違うと思う。
何を勘違いしたか、昨今はこれらの言葉が「男女平等」という言葉と絡み合っていることが、余計気に入らない。
 男と女が愛し合い子孫を育む。これに新しいだの古いはない。狩猟時代や封建時代ならいざ知らず、この現代において大事なのは「お互いを尊重・尊敬して補い合う」ことではないか・・・。
男と女が無くなるときが、無意識のうちに来ることが恐ろしくてならない。そしてその次に無くなるものは、いったい何だろう・・・。
(お茶の画像と本文は関係ありません。郷ひろみの番組画像はネットより)

【ハロウィン??】

【ハロウィン??】写真は、わが町のハロウィン翌朝の風景。ヨーロッパに起源を持つ宗教(キリスト教)行事と云われるハロウィン。「仮装して歩き回る」ことだけが独り歩きし、若者に定着したようだ。
韓国で150人を超える若者が死亡した「群衆雪崩」・・・死者が悪霊とともに蘇る、という他国の宗教行事で、子どもが仮装してお菓子をもらって歩くという本来の姿がどこかへ吹き飛んでしまい、意味もなく大騒ぎをした挙句、命を落とす若者たち。
物まねではなく、もっと自分を生きてほしい、と願うのみだ・・・

【ルールとは マナーが腐って 生まれ出る】

【ルールとは マナーが腐って 生まれ出る】
町内の路上に誰かがペイントしたようだ。よっぽど、我慢できなくなったのだろう・・・。届くかなぁ、この声が・・・。気遣いのない育ち方(育てられ方)をした人間は、自分を客観視できず、他人の声は聞こえ辛いものだから・・・