【「こころに種をまく」ということ】

【「こころに種をまく」ということ】
今年結婚した娘と、13年前(小学6年生)に川土手に名札を付けて植えた桜の木に行ってみた。一緒に川のごみ拾いなどもしたものだ。娘より小さかった桜は、娘の背丈の2倍以上に育っていた。
さて、こころにまいた種は、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのやら(^^)

 

18年目、3,503日目のごみ拾い 【自然に還る】

18年目、3,503日目のごみ拾い
【自然に還る】
 G君がアリさんたちにより消化され、土に還ろうとしていた。K君も、S君も、D君も、木の葉も、命を全うすれば土に還り次の命を育む。
 人間はどうだろうか。自分たちの家(=地球)を自分たちで壊し、自分たちの命を支えている仲間(ほかの生き物)さえ攻撃しているのは、人間だけだ・・・。
 人間たちは皆、自分の事だけで精いっぱいらしい。しかし、今自分たちがしていることは、紛れもなく「自分の命に係わる事」なのだが・・・
 18年、3,500回を超えた私の毎日のごみ拾いは、ごみを減らしているわけではなく「移動」しているだけだ。しかし、正しく処理されなければ、川を流れて、海に蓄積されていく。
 私は、ボランティアやきれいごと、偽善でごみ拾いをしているわけではない。自分と自分の子どもたちのため、自己中心的に考えて、自分勝手にやっているだけ。こんなに自己中な奴はいないのです。
 3カ月前に大腸がんを20cmほど切除した私が、あと何年生きるか分からないが、命が消えるその日まで、街のごみを拾い、街の人々に声をかけながら歩いていられたら、幸せだなあ(^^)/
↑ごみ拾い17年記録動画

【最後のお弁当・・・妻と絶景を見たいものだ】

【最後のお弁当・・・妻と絶景を見たいものだ】今日と明日で、妻が毎朝作ってきたお弁当作りも終わりである。明後日、次男は新居に移り結婚生活を始める。
両親をはじめ、沢山の方々に支えられて育った私たち二人が夫婦になり、一人増え、二人増え、三人増え・・・あれから三十数年。お互いの両親を見送り、沢山の人々と出会い、別れた。今年、一人出て、二人出て・・・。だんだんと元に戻ろうとしている。
そしてやがて、一人になり、ゼロになる。
気が付けば、先よりも、歩いてきた道の方が長くなってしまった。山登りで云えば(気づかないうちに頂上を超え=山頂からの絶景や、下界を見下ろした覚えがない)下り坂に入っていることになる。だが、決して登ってきた道を戻るわけではない。
さて、どの道を下ろうか・・・決めるのは、自分だ。
これからは、振り返らずとも、絶景を見ながら下れる筈なのだ!!(^^)

【生活保護受給者。金と社会】

【生活保護受給者。金と社会】
73歳、山形県出身だ。一人娘は横浜辺りで結婚しているはずだが行方知れず、体を壊して働けなくなって生活保護を受けている。
同様の境遇の人たちが身を寄せるアパート(寮として一般企業が経営。受給者は受給額のうち一定額を寮費として払う)で暮らしている。個室があり、3食が提供される。
数カ月前に声をかけてから、よく話を聴く間柄になった。
1.コロナ対策で支給された10万円を寮で盗まれた。
2.畑を耕作しているが、やめろと言われた。
3.作った野菜を町の人にあげ、礼品をもらったら怒られた。
4.畑作りや掃除など、真面目にやっているといじめられる。
5.「働きたい」というと「余計なことをするな」といじめられる。
6.食ってばかりいて、他人の弁当まで食ってしまう奴がいる。
「寮を出て働きたい。畑仕事が好きで、体を動かしていたい。草刈りでもなんでもいい・・・。働かなくてもお金をもらって、寝る場所と食事がある。みんな、動けるのに働こうとしないで、人の足を引っ張る。自分は一人ぼっちで浮いている。こんなところにいたら、ダメになってしまう・・・」
 彼の育てたほうれん草をいただいてお浸しにして食べたが・・・それはそれはおいしかった。
 私は、行政と連絡を取り、面談をしてもらった。盗難については一緒に警察にも行き、事情を聞いてもらった。
今は「働き口を紹介して欲しい。ここを出て、自立したい」という彼の願いを、なんとか実現しようと思案している。
私は彼に、冬場に新潟から東京に出稼ぎをしていた亡き父の姿をダブらせてしまうことがある。一歩間違えば、父もこうなっていたかもしれない・・・。一方で、働く意欲のある人間を生かせない社会システムと、楽して生きることに浸り流されてしまう人間の業に失望を抑えられなかった。
 私たち日本という国の暮らしは、こういったこと(様々な行政給付など)から、意味のない大型公共投資、一部の人間の利権争い、本当に必要な福祉、教育、公共投資、社会保障まで、国民のレベルに頭打ちされた中でバランスがとられているのだ。
 政治や社会に対して、傍観者となり、評論家となり、批判者となる前に、足元を見つめ、できることから実践してみたい。

【お墓。「仕合せ」と「幸せ」】

【お墓。「仕合せ」と「幸せ」】
 お彼岸に妻の実家の墓参りに行ってきた。義兄がお参りした後で、きれいに掃除されていた。
 ふと近くにある雑木が茂った一角が目に留まった。行って雑木の中を覗き込んでみると、墓石が見えるが、雑木の枝や雑草が邪魔で刻銘などは読み取れない。
 我が家の墓は故郷の新潟にあり、まだ管理できているつもりだが、それでも私が健在である間の事。子どもたちが面倒を見てくれる保証はない。
 考えてみた。いったいお墓とはなんであろうか・・・。もちろん、死者を荼毘に付して埋葬するところ、であるが、そのように機械的に捉えてしまうと元も子もない。
 お墓を参る意味を考えてみた。私の考えでは、それは自分自身の命と人生を見つめる場所。その人生が幸福であれ、不幸であれ、その源となった先祖の遺骨(魂)が眠る場所。
 不幸であればあるほど、墓参りなどしたくないかもしれない。あるいは、存在すら忘れてしまうかもしれない。墓石の前で、恨み辛みを呟くかもしれない。「生まれてこなければよかった・・・」と涙することもあるかもしれない。
 私は幸いにも、他を恨むこともなく、妻や子どもたち、周囲の人々に支えられて生き、こうやって墓前で祖先に近況報告と感謝を伝えることができる。
 「お墓」を守っていくということは、自分自身を見つめることであり、生きていられることの感謝を伝える場所を後世に繋げていく、ということだと思う。
 そして、生きていられることに感謝するための第一歩は、「他のせいにせず、ありのままを背負って生きる」ことだと思う。
 親を含む前世代からの因縁(生い立ち、育ち、性分)を繰り返して繋げている一族をたまに見る。まるで親のコピーのようなことを繰り返して生きることが、幸せなのかどうか・・・。
善悪のことではない。生物学的な遺伝もあるだろうが、既製品・規格品のような人生ではなく、他の責めにせず自分の責任で、自分で作った人生を全うしたい。「仕合せ」を「幸せ」と考えたいものだ。
 他を恨んで生きるような人生は、悲しいではないか・・・。
我が家系の墓が、この先荒れて朽ち果てるのかどうか、私の今の生き方(因縁)がどう伝わるのかは、子どもたちではなく、孫、さらにその先で分かる。遠く天上から眺めて反省するしかない(^^)/

【誰かがしてくれている】

【誰かがしてくれている】
 このバス停のペットボトル、毎朝1本、キチンとここに置いてあります。おそらく同じ人間だと思いますが、毎日のことなら、昨日置いたのはどこに行ったか、毎日置いているのになぜ増えないか、不思議ではないのでしょうか?
川や海が、廃プラスチックで溢れていることを知らないのでしょうか?
 気づかないうちに誰かがやってくれている。気づかないうちに加担してしまっている・・・身の回りにはたくさんあります。
 ①忙しくて考えていられない。
 ②まったく気に留めない。
 ③気にはなるが関係ない。
 ④政治が考えることで、自分には関係ない。
 ⑤分かってはいるが、面倒くさい。
 ⑥いちいちうるさい。
さてあなたは、どのタイプですか?
 あなたと、あなたの大切な人の未来のために、考えてくれませんか・・・一人では生きていけないことを・・・
17年間、3,497日目のごみ拾いを終えました。
※17年間の記録動画を作ってみました。1時間15分ほどあります。時間があったら、ご覧ください。↓

【男の生きる力って?】

【男の生きる力って?】男は、歳を重ね現役を引退すると、仕事人間であればあるほど、その後の生き方について悩むようである。職場では職制や肩書で決められた人間関係の中で(勘違いしながら)、社会や他人のせいにして生きられたが、いざ、その枠がなくなってしまい裸になってしまうと、社会の中での自分という「芯」がないことに気づかされる(あるいは、気づく事さえできない)のである。
人は一人では生きられないもの。これは、学校や会社では教えてくれない。
我が地域には「お助け隊」なる組織がある。現役を引退した方々が、草取りや庭の手入れなどの地域の仕事をこなしながら、生き生きと、頼られながら、輝いている。
「あなたがいてくれてよかった」と言われることが、生きる力となるのである。
※写真と本文は無関係です。

【部活動】


我が子たちの中学時代は、卓球部、野球部、バレーボール部だった。
そもそもの存在意義、指導方法、指導人材確保、指導員の資質など、様々な意見があることは承知している。
しかし、我が子どもたちを見ていると確信できることがある。それは、部活動で培った体力と人間関係、とりわけ親友といえる付き合いは、長い人生の中で何物にも代えがたいものになっているということである。
ご指導いただいている教職員や関係者の方々に、心より感謝申し上げます。

【里の秋~from魚沼】

【里の秋~from魚沼】
里から秋の便りが届きました。
辛抱の夏、猛暑の夏、想いを深めた夏・・・
故郷の人たちの安寧を心から祈ります。
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里の秋 作詞:斎藤信夫 作曲:海沼実
しずかな しずかな 里の秋
おせどに 木の実の 落ちる夜は
ああかあさんと ただ2人
栗の実 にてます いろりばた
あかるい あかるい 星の空
なきなき よがもの 渡る夜は
ああとうさんの あのえがお
栗の実 食べては おもいだす
さよな さよなら 椰子の島
お舟に ゆられて かえられる
ああとうさんよ ご無事でと
今夜も かあさんと 祈ります
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この繋がりに、感謝です・・・

【失せたご近所付き合い。「国」とは・・・】

【失せたご近所付き合い。「国」とは・・・】5年に1度の国勢調査の年である。自治会長を11年務めている私は、3度目の「指導員」として関わっている。実際に各世帯を担当する「調査員」の推薦から始まり、期間中の調査員のサポートが主な役目である。
200世帯程度の町内会であるが、それでも毎回思うことがある。それは、調査員(同じ町内の住人)の方が訪問すると「個人情報」を盾に、あるいは理由は不明だが(役所の職員とでも思っているかも?)調査員を「毛嫌い」し、邪険に応対する家がある、ということだ。
「国勢調査」とは、国民世帯の基礎的な調査のことで、最も重要な「人口」をはじめ家族構成など、文字通り政治(行政)の基礎となる様々な数値の基となる調査である。これがいい加減になるということは、行政もいい加減になる、ということと等しい。
どこかの国の様に、人口もはっきりしないような国にはなりたくないものだ。
1.自分の暮らしは「日本」という「国」の枠があり、「文化や慣習」、「法律というルール」があり、それに守られているからこそ成り立っている、という基本中の基本を考えられない国民が多すぎはしないだろうか?
2.「個人情報」とやらを気にしなければならない危ないご時世も問題だが、ご近所同士の付き合いが希薄になることは、その危険な状況に拍車をかけることになることをよく考えたい。
人間同士であれば、顔を知り、気心を知り、生活の様子を知り合うことこそが、心安く暮らすことの基本だと思うのだが・・・

【ごみを捨てないように、学校で教えないといけない・・・】

【ごみを捨てないように、学校で教えないといけない・・・】でしょうか!?
今朝、通りかかったあるご婦人が、私が持っていたごみ袋の中をのぞいて言った。「結構、落ちているもんだねぇ。学校でちゃんと教えてほしいねぇ」。私は微笑みながらこう応えた。「昔は「道徳」、今はなんというか知りませんが、学校ではちゃんと教えていますよ。それがなぜか、大人になると忘れてしまうのです・・・。何よりも、これを教えるべきは学校ではなく、家庭・親だと思いますよ」・・・みんな、自分のせいではないのだ。学校が悪い、社会が悪い、政治が悪い・・・自分は、関係ない・・・(;_;)
(写真と本文は関係ありません)

【中国などは全員が・・・日本は15%・・・】

右寄り、とかなんとか言われそうですが、誤解を恐れずに引用します。
【中国などは全員が・・・日本は15%・・・】故 黛敏郎氏(作曲家)講演より(33年前)~抜粋~
前略・・・
 日本人は自分のことを知らない。つまり、自分の国を大事にしませんね。今、若い人に特に言いたいことは国家意識がないことです。つまり、自分は日本の国民なんだという意識がない。また、あってもそれを大事にしない。
 「日本なんかどうなったっていい。日本人でなくたっていい」という若者がたくさんおります。しかし。日本の国籍を捨てない限り、日本にいても、また、外国に行けばなおさらです。その人は日本人の一員という立場でしか評価されない。そういう宿命を持っているわけです。
 昔、テルアビブで、跳ねあがりの日本の学生が大量殺戮ということをやりました。その時私はヨーロッパにいたんですけども、あの時くらい、私は惨めな思いをしたことはない。そこに生まれた以上は、そういう宿命を分かち持っているのであります。
 私が言いたいのは、「日本人であることをやめることができないなら、なぜもっと日本を大事にしないのか、国というものをなぜ大事にしないのか」ということです。今の日本の若者たちには、その意識が非常に足りない。
 ある時、一人の若者が私に言いました。「黛さんの年代の人達は、日本の歴史や伝統を大事にしなければいけないというけれども、若者たちはそうは考えていません。むしろ、世界中の若者たちが手をつないで、世界国家を建設しようという意気に燃えています。今更、民族だとか、歴史だとか、伝統だとかということに凝り固まるから、戦争が起こるんじゃないでしょうか」
 私はその若者に言いました。
君の言うように、国も民族の差もなくなって、暮していければこんなにいいことはないよ。しかし、ちょっと考えてごらんよ。君が外国を旅行するときにどうするか。まずパスポートを手に入れなければ、飛行機の切符も買えないし、その国のホテルにも泊まれないじゃないか。そのパスポートにはなんと書いてある?最初のページをめくると、そこに”日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行せしめるよう、その筋の官憲に要請する”そして、日本国外務大臣、誰それと、大きなハンコがペタンと押してある」「つまり、日本国外務大臣がオフィシャルに、この旅券の所持人が日本の国民であるということを証明してこそ、相手の国の機関は、切符を売ってくれるし、ホテルも泊めてくれる。君が『庵は日本人である必要はない。平和を愛する世界の若者が一緒になればいいんだ。パスポートもいらない』といって破ってごらんなさい。とたんに君は飛行機にも乗れないし、ホテルにも泊めてもらえず、やがて国家機関に拘留されてしまうんだよ。君は自分が生まれたこの国をもっと愛し、もっと大事に考えたほうがいいのではないか」
 その青年は苦笑しながら何も言いませんでしたけれども、そういう青年が言う次のセリフは大体決まっています。「今の日本の政治の現状がいけない。自民党政府がダメで、国民の身になって政治をやってくれる政府でなくちゃいけない」。
 私か申しあげたいのは、今の政治がよくないだの、自民党政権がいかん、総理大臣がいかんという前に、そういう人たちを選んだのは自分たち国民だということです。私は、この日本の将来を考える上において、私たちの責任はみんなが分担し、感じなくてはならないと思うのです。自分たちの責任ということをやはり考えなくてはいけないのです。それを他人の責任ばかりに転嫁している考え方が、今の日本の社会全般を覆っている、由々しい風潮ではないかと思うのです。・・・中略・・・
 ある新聞社が日本の若者、18歳から24歳までの男性に、次のアンケートを試みました。「もし日本が外国から侵略をされたら、君はどうするか?」。一番多かったのは、「武力によらず抵抗する」という答えで、48%ありました。サボタージュみたいなことでしょうが、外国の軍隊に囲まれているときに、具体的に何をやるのか分からないけれど、これが一番多い。
 その次に多かった答えは、「逃げる」これが37%。どこへ逃げるんでしょうか、日本は周り中が海ですね。
 最後に、「武器をもって立ち上がる」というのが15%でした。私はわずか15%でも、武力を持って立ち上がると書いてあったことは、素晴らしいことだったと思います。今の日本の現状からすれば、この15%の人達が唯一の希望の星だといえます。自分たちの国土や家族が敵国の軍隊に侵略されて、どうすればいいかという時に、かなわないと知りつつも、武器を持って立ち上がるというのが人間の男たちがやることではないでしょうか。
 しかし、日本の戦後教育はそういうことは教えない。「武力を使うことはいけないことだ」というお題目、平和主義というのだそうですが、相手の言うなりになって、武力に頼らず抵抗する。どうやるのか、私にはわかりません。精神的に抵抗するんでしょうが、武力をもって侵略してきた軍隊は、そんなこと屁とも思わないでしょう。
 同じような統計が、世界の国々で行われた参考資料がありました。日本の、武器を持って立ち上がる15%は、申すまでもなく最低でした。中国などは、全員が武器をもって抵抗するわけです。そうでなくても、世界の国々では大体過半数以上の若者達が「武器を持って立ち上がろう」のところに○をつけていたのです。
・・・後略・・・

【頭隠して・・・】

【頭隠して・・・】ふ~~ん、青大将かな。頭隠して尻隠さず。あんまり動かないので、背中?をツンツンすると、慌てた様子で潜っていった。時々見かける貴重な光景である(^^)/

【たかが、あいさつ?】

【たかが、あいさつ?】
 小学校の挨拶活動。正門に元気な「おはようございます」の声。校長先生も毎朝お出迎えだ。こんな風景を見ると、一気に元気になる。
 挨拶は礼儀と考えがちだが、難しく考えることはない。挨拶の仕方でその人柄まで推察できる。その仕方によっては相手を元気にしたり、反対に元気を奪ったりもする。気遣いのある挨拶、時と場所を弁えた挨拶。そんな挨拶ができる人間になりたいものだ。
 子どもの頃できた挨拶が、大人になるにつれてできなくなる・・・悲しいことである・・・