月別アーカイブ: 2017年6月
“現代のダビンチ”が提唱する「お金のいらない世界」。究極の理想郷「ザ・ヴィーナス・プロジェクト」が進行中
【「時間」を失(亡)くした方はどなた?】
風を切って(^^)
【もう一度・・・風を切ってみたいなぁ(^^】中古で758,000円!!!車より高い!手が出ない!!俺のころは、4本マフラーのZ!・・・もう、乗れないなぁ( ;∀;)
父の日に・・・
【「いのち」を捨てないで( ;∀;)】
猫(描)写技術
ギャラがいいんだろうなぁ(^^)【猫(描)写技術もさることながら、猫(表)情がゆたかだなぁ(^◇^)】同一猫(人)物とは思えない!
【大賀ハスまつり】
行ってきました!天気も最高。お花が、とってもカワイかったぁ(^◇^)
【墜落事故!?のニュースは聞いていないが(^◇^)】
改正組織的犯罪処罰法成立
みんなでよ~く考えよう(^◇^)【共謀罪の趣旨を含む改正組織的犯罪処罰法成立】・・テロは怖いし憎むべきもの。しかし、今はまだ「まさか・・・」と思う人が大半でしょうが・・・(かつての五人組制度や治安維持法のように)監視・密告で疑心暗鬼の社会になるのはいやです!
法律や民主主義の行方には最大限の注意が必要です。
政治の暴走を防ぐのは最後は国民です。最後は、国民なのです。
平和な国だからこそ、今、真剣に、深く考えたいものです<m(__)m>
【難しいことではアリマセン(^_-)】
深夜、酔っぱらって帰ったのでピンボケ(^^;・・・少し乱してしまった履物を揃えました。これで、家族の心が「揃う」のであれば、お易い御用です(^^)/地元の中学校でも実践中です(^◇^)・・・トイレ掃除などもそうですが、揃っていて当たり前、キレイが当たり前ではなく、誰かがしてくれている・・・感謝ですね(^^)
【新発売?紅生姜丼!?】
【仏壇に手を合わせる意味って(^◇^)】
代々我が家は、曹洞宗・・・らしい。我が家の仏壇の遺影が増えている。先祖や亡くなった両親はもちろんだが、お世話になった方々の葬儀に参列するとご遺族にお願いして頂戴したり、生前に自分で撮影したりしたものだ。断っておくが別に、収集癖があるわけではない(^_^);
子どもの頃から、仏壇のお参りを厳しく躾けられたわけでもない。お経も念仏も唱えられない。
若いころはごく一般的な社会常識として(言い換えれば意味も分からず)仏事に参加していただけであったが、40歳が近いころだったろうか。般若心経のほんの一節「色即是空 空即是色」の意味を知ったとき辺りからだ。「仏」の意味を自分なりに確信した。
目に見えない、形の無いものにこそ真実がある。我が身は、何もないところから生まれ、そして、また何もなくなってしまう。ただそれだけのこと。ところが、私が生きているうちに関わるあらゆる事物は、無くなりはしない。結婚をして家族を成す、偉業を成す、財産を成す、思想を遺す、芸術を遺す・・・。何でもよいのだが、それらは有形・無形を問わず、また本人の意思とは無関係に、遺る。
何故、仏壇に手を合わせるか。それは「今を幸せに感じて生きているか」の一言に尽きると考える。「生まれてこなければよかった」などと考えていては、我が身を成した歴史(祖先)を憎むばかりだろう。
「足るを知り」、今に感謝し、多くを望むよりいまの境遇を楽しんで生きる。そうすれば、自然と気も楽になるし、様々な感謝が生まれ、余計な競争や争いをすることもなくなる。そんなことを考えて生きるようになったら、自然と亡き両親やご先祖様、歴史そのものに感謝し、尊敬できるようになってしまっただけのことである。
仏は神と違って「祈る」、「願う」対象とは違う。「仏とは教わるもの」、「神とは恐れ崇めるもの=宇宙や大自然」と考えている。
【気遣い(^_-)】
【天空から降ってきたようです(^◇^)】
う~ん!?どうやら夜中に、天空の城からロボット兵「ラムダ」が落としたようです(^_-)-☆】
「飛行石」欲しいなぁ・・・
【人間も蟻と同じ?( ;∀;)】
【320円を燃やし、80円を捨てる】
【ばちあたり”(-“”-)”】
お米を粗末にすると・・・県道沿いに4か所に分かれてバラまかれていた( ;∀;)
53年、受け継がれている愛と魂[蛇の目のミシン]
結婚して35年。妻が嫁入り道具として持ってきた古いミシン。聞けば、妻が小学校6年生の時に、手縫いで繕いや雑巾を縫っている娘を見かねて、今は亡き母親が無理をして買ってくれたものだという。もちろん、電動・電子式などではなく、足踏み式、直線縫いしかできないものである。結婚し暫くして、ようやく購入したマイホームにミシンを持ち込むときに妻が『「ジャノメ」(メーカー)に申し込めば足踏みのミシンが電動に変えられるというから、是非申し込みたい』という。当時の最新式を購入、という選択肢ももちろんあったが、妻は「母の買ってくれたミシンを使い続けたい」という。
かくして、駆動部分が「足踏み式の人力」から「モーター」に換装された「愛と魂の鉄の塊」が我が家に引っ越してきた。
このミシン、とにかく重いのだ。鉄製で、40kg近くはあるのではないだろうか?そう、昔のミシンはそうであった。
あれから35年近くたったが、3人の子どもたちの上履き入れ、手提げバッグ、給食のエプロン、雑巾・・・様々な作品がこのミシンと妻によって命と愛が吹き込まれて生まれてきた。
電動化するとき、メーカーの方がこう言っていたという。「とにかく壊れないんですよ、この時代のミシンは。まだまだ、何十年も使えますよ・・・」老舗メーカーの社員が語った言葉が、今、熱く心を打つ。
昨日、妻が「ミシンの動きが重いんだけど、見てくれない?」と言ってきた。初めてのことである。
まったく知識のない私であるが、早速にわかメカニックに変身だ。今どきの電子機器には歯が立たないが、昔のエンジンや、アナログなメカであれば、何とかなる、という自信があった。・・・はずみ車を手で回してみると、なるほど「重い」。クラッチ(とはいわないだろうが)を緩めて、モーターと針の駆動系統を切り離してモーターの回転をチェックしてみると、モーターは問題なさそうだ。クラッチを繋いで、針を動かした途端「重く」なるのだ。
筐体のあちこちを開き、はずみ車を回しながら細部の動きを確認してみると、どのパーツも、接合部分も、駆動部分も、破損もないし動きに問題はなさそうだ。とすれば、あとは「機械的な摩擦」だろうな・・・と推察し、あちこちに注油してみた。
奮闘すること1時間ほど。重い筐体を傾けながら底部の回転軸の軸受けの部分に注油したところ、見事に「軽やかな回転」が生き返ったではないか!!
妻の嬉しそうな顔!そして、それを見ていた私は、なにか熱いものがこみ上げてきた。
自分たちの作った製品に自信と愛情を持ち、永く使ってほしいというメーカーの思い。そしてそれを買ってくれた親の思い。さらに、その思いを大切に受け継ぎ、子どもたちに愛のこもった形として伝えている妻。
何でもかんでもコンピュータ制御の時代の今。少しでも具合が悪くなれば「処分」&「買い替え」をしてしまう今。「もの」にこもった人間の魂や愛を、今一度、感謝の心をもって見つめてみたいものである。