【やっぱりツバメは歓迎する(^^)】

昔から縁起物とされている軒先のツバメの巣。最近は糞が厄介、と嫌う向きも増えたという。どっこい!寿々喜八百屋さんの軒先には巣が二つもある。しかも、一度風で壊れたのを丁寧に補修してあげたという。そんなご主人の笑顔が、また素敵だ(^^)・・・今日の元気、いただきました(^^)(^^)<m(__)m>

【大観衆の中でプロポーズ!でも、ロッテ、負けたぁ】

昨日は妻とプロ野球観戦!・・・試合前、大観衆の中で始球式&プロポーズした福島県からのロッテファンのカップル。お幸せに(^^)・・・まあまあ好調で2位をキープしているロッテですが、ソフトバンクが強すぎ!!3連敗ですとぉ・・・(+_+)・・・ソフトバンクと6ゲーム差がついてもまだかろうじて2位ですが、明日から始まる交流戦で巻き返してほしいものです(^^)

【5月30日は<530ごみゼロの日>】

今日はごみゼロの日だそうです。GONET21(ゴネット=ごみゼロネット21)というボランティア団体に入って活動を続け13年目。毎朝の挨拶活動&ごみ拾い、ペットボトルキャップ回収、川の清掃、米つくりなど。娘がデザインしてくれたタブーTシャツを着て仲間と楽しくやってま~す!【地球上に存在しているのは人間だけではありません。というより、人間だけでは存続できませ~~ん!】他の生物に「人間は邪魔。居なくていい!」と言われないようにしましょう!
みんなで、未来に繋ぎましょ(^^)<m(__)m>

【下着(ブラやパンツ)まで何故落ちている?】

5月28日(土)は千葉市中央区のクリーン月間に合わせ、松ケ丘中学校地区総出(約140人)で街のごみ拾いでした。仁戸名小学校地区と松ケ丘小学校地区に分かれ歩きながらゴミを拾って歩くのですが、道端の草むらからは、空き缶や空き瓶は当たり前。女性の下着まで出てくる始末・・・あ~~~日本もおしまいだぁ(+_+)

【少子化?小学校の運動会と複式学級の記憶】

地元に二つある小学校。こちらが後だったが(5月28日)好天に恵まれ無事終了。私がPTA会長(20年近く前)の頃と比べると児童数が半分近くになってしまった。少子化を実感する。自分が小学校に入学したのは、山奥の農村で、同級生が5人の分校。複式学級で、1年生の頃、国語をやっている同じ教室で2年生が算数の九九をやっていたので、1年のうちに九九を呪文のように憶えてしまったのです。懐かしい思い出です(^^)
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【田の草取り】

今日は快晴の下、田んぼの草取り。いつもの桜林高校のボランティア部も手伝ってくれ、無事終了。ここのところの夏日もあって水温は高め。生徒と一緒に、裸足で作業しました。「お米はスーパーで作っているのではありません。農家が丹精込めて作っているのです」(^^)

素晴らしい、の一言です。自分の仕事に掛けるひたむきさが伝わってきます!

http://iinee-news.com/post-8600/

以下、ネット記事より転載
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被災地へ送ったパンの半分以上が廃棄 街のパン屋さんが考えた名案が世界へ!
戦後間もない昭和22年に「秋元パン店」として、栃木県・那須塩原市にお店をオープン。
昔から販売されている「甘納豆パン」が今も名物で、店舗だけ見ると、どこの街にもある普通のパン屋さんです.
しかし、実はこの「パン・アキモト」は、ある商品を通じて世界に貢献しているのです。
それは・・・
「パンの缶詰」です!!!

災害が起こった際の非常食として開発されたもので、乾パンのような硬いパンではなく、賞味期限は3年間ですが、その間ならいつ缶を開けても、焼きたてのようにフワフワで柔らかいパンが食べられます。
しかも味は何種類もあるので毎日食べても飽きません。
二代目社長の、秋元義彦さんは、創業者のお父さんからお店を受け継ぎ、パンメーカーとして発展させました。
しかし、この「缶詰パン」を開発したきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災でした。
現地で食料が不足していると聞いた秋元さんは、少しでも役に立てればと、震災直後の神戸に、無償で2千食の食パンや菓子パンを送りました。
しかし、その後知らせを聞いて愕然とします。
震災が起きて、すぐにパンを送ったのですが、あちこちリレーして送り、被災者に行き渡る前に、半分ぐらいが傷んで廃棄処分になったそうです。
ショックでしたねぇ・・・。
日持ちがして、時間が経っても柔らかく風味が変わらない、おいしいパンはできないだろうか?
秋元さんは、被災者の意見も聞き、あれこれ考えた末に思い付いたのが「パンの缶詰」。
さっそく開発に取りかかりましたが、実際に作ってみると、いろいろ難しい問題にぶつかりました。
パンを焼きあげてから缶に詰めれば雑菌が入り込む可能性があり、品質が損なわれてしまいます。
何とか、焼きたて、フワフワのまま缶詰にできないだろうか・・・?
そこでひらめいたのが・・・
「そうだ、缶の中にパンの生地を入れて、加熱殺菌しながら焼いたらどうだろう!」
殺菌はうまく行きましたが、今度は、新たな問題が起こります。
パンが焼き上がったあと、缶のフタを閉める際、中である程度の湿度を保たないと、パンが「しっとり」しないのです。
しかし、水分が多すぎると、中でカビが発生して、パンがダメになってしまいます。
保存性の高さと、しっとり感・・・
相反するこの課題も、熱に強く、湿度の調節にも適した特殊な和紙を見付け、ベーキングシートの代わりに、缶の内側に敷くことで解決しました。
その他にも、様々な難題があり、途中、何度も挫折しそうになりましたが、励みになったのは、被災地・神戸からの声でした。
パンの缶詰、いつできるの?
楽しみにしてるから、あきらめないで頑張りなよ!
1996年秋、ついに、3年間風味と柔らかさが変わらない「パンの缶詰」が完成したのです。
さっそく、多くの企業や団体、学校、災害を経験した個人が非常食として購入してくれましたが、ある自治体から、賞味期限が過ぎた缶詰の処分を依頼されたとき、秋元さんの中に、どうしても割り切れない思いが残りました。
災害用の非常食は、本当は食べずに済む方がいいんです。
だけどパン職人としては、せっかく作ったパンが食べてもらえず捨てられるのは、何ともしのびない。
そんなとき、2004年にスマトラ島沖地震が起こり、津波で沿岸諸国に大きな被害が発生しました。
被災地のスリランカにいた知人から「売れ残ったパンの缶詰があったら、送ってくれないか?」と依頼を受けた秋元さんは、これをきっかけに、あるアイデアを思い付きます。
それが、
「救缶鳥(きゅうかんちょう)プロジェクト」
です。
パンの缶詰を購入した人から、賞味期限が来る1年前に前倒しで回収。
それを下取りし割引価格で新しい缶詰を買ってもらいます。
回収したパンの缶詰は、飢餓に悩む世界の国々に、NGO団体を通じて寄付。
救缶鳥プロジェクトの缶には「メッセージ欄」があり、パンを受け取る側にメッセージを入れることもできます。
購入する側は、国際貢献ができ、新しいパンの缶詰を割引で買うことができます。
寄付を受ける側はおいしいパンが食べられますし、パン・アキモトも新しく商品を買ってもらえるので、誰も損はありません。
さらに、大災害が起こったときは、被災地にすぐパンの缶詰を送るシステムも作り上げました。
東日本大震災の際は、那須塩原のパン・アキモトも工場が被災しましたが、直後にパンの缶詰を1万5千食、被災地に送り、秋元さんは今でも、毎月社員と一緒に被災地応援に行っています。
先月の熊本地震では、2度目の大きな地震が起こった朝に、ワゴン車に積めるだけのパンの缶詰を積み、翌日にはまず1800食を届け、これまで、すでに2万食を送っています。
救缶鳥プロジェクトは、 寄付やボランティアが盛んなアメリカでも好評で、今後は、海外のパン屋さんでも展開してもらえるように、支援していきたいと思っています。
出典元:www.1242.com
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被災地への支援は、思うようにいかないこともいっぱいありますよね。
このパン屋さんのように半分が廃棄されることも・・・。
でも、それにめげずに次のステップを踏み出したことが素晴らしいと思いました。
あなたはどう感じましたか?
秋元さんの救缶鳥が世界中を飛び回ることを願います。

【小学校であいさつ運動。あいさつの意味とは?】

毎朝、すれ違う町の人々に「おはようございます」をいいながらゴミを拾って歩いて13年になろうとしています。無視する人、小声で応じる人、元気ににこやかに応じる人、向うから先に挨拶してくれる人。たかが挨拶、されど挨拶。挨拶や井戸端会議が多い町は泥棒がしにくい、という調査結果もあります。また、同じ挨拶でも相手を気遣い、相手に良い気分になってもらいたいという心遣いができたら、素晴らしいことです。軒先で丁寧に育てる「花」を褒めてもいい、軒先に巣作りするツバメを見守るやさしさや、今日の天気のことだっていい。「今日は学校の入学式でした、卒業式でした、運動会でした」でもいい。子ども達にも「小さいとき、大人たちに声をかけてもらいながら学校に通った」と記憶に記してあげたい。そんなささやかなコミニケーションが潤滑油となり思いやりの溢れる街と未来を作る、と信じています。№2,568

【糖質制限ダイエットでご飯を残す人が増えた・・・とラジオ】

「あれを食べると肌に良い」「これを食べると健康に良い」「あれを食べると太る」「これを食べると・・・・」近年、情報がすぐに広がるので、それに振り回され、市場を動かすこともあります。
だからといって、残さ(捨て)なくてもいいと思うんですが・・・提供する側も、もっと工夫できると思います・・・みんな、何のためにダイエット(痩せる)んでしょう・・・病気治療は別としても、もしも「キレイになる為」であるのなら、食べ物を捨ててまで追求する「キレイ」とは、いったいなんだろうなぁ・・・なんて考えちゃいますねぇ。これも「平和の裏返し」でしょうか・・・

【つなぐ・・・つながれ!】

昨日は快晴の下、中学校の体育祭でした。見どころはリレー。級友へ、男子から女子へ、先輩から後輩へ、部活動仲間へ・・・子ども達の想いが繋がりますように・・・平和な未来へ繋がりますように・・・

映画「3丁目の夕日」

【のすたるじー】もう10年前の映画になってしまったんですねぇ。
昭和33年(1958年)、東京タワーが12月に開業し、私はその翌月に生まれました。10年前、この映画を見たとき(ひとりでした)、オープニングで早泣き出してしまい、終わった頃には涙でクシャクシャになったおかげで、なかなか外に出れなかったのを憶えています。ここから、日本の高度成長が始まります。そして昭和39年には新幹線の開業、東京オリンピック。日本は世界でもトップクラスの経済大国となって行くのでした。しかし、私のようなオジサンには、その過程で消えて行ったものが愛おしく、残念でならないのです。歳をとったなぁ・・・
【評論家:川本三郎「大きな過去は歴史として尊重されるが、祖父母や父母が生きてきた近過去は否定される。おかしな話である。近過去を大事に思い出す。それは自分の足元をしっかりと固めることであり、亡き人々を追悼することでもある。」】
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きっかけはなんでもいいんですね。気付くことが大切ですね・・・人間として・・・

http://iinee-news.com/post-529/

以下、ネット記事より全文転載
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ある会社の入社試験の話
その会社の社長は次のようなことに気づかれたそうです。
ノウハウや制度ばかりを追求しても社員の心が豊かにならないと組織は活性化しない。
本当の感謝とは何か?
を社員に実体験させてこそお客様に心から感謝できる社員が育つ。
このことに気づいた社長は、毎年の入社試験の最後に学生に次の二つの質問をするようになったそうです。
1.あなたはお母さんの肩たたきをしたことがありますか?
ほとんどの学生は「はい」と答えるそうです。
2.あなたは、お母さんの足を洗ってあげたことはありますか?
これには、ほとんどの学生が「いいえ」と答えるそうです。
すると、社長は
では、三日間差し上げますので、その間にお母さんの足を洗って報告に来てください。
それで入社試験は終わりです。
学生達はそんなことで入社できるのならと、ほくそ笑みながら会社を後にするそうです。
ところが、母親に言い出すことがなかなかできないのです。
ある学生は二日間母親の後をついてまわり母親から「おまえ、気が狂ったのか?」と聞かれました。
息子は「いや、あのー お母さんの足を洗いたいんだけど。」
母親は「なんだい?気持ち悪いねー」
こうしてその学生は、ようやく母親を縁側に連れて行きたらいに水を汲み入れました。
そして、お母さんの足を洗おうとしてお母さんの足を持ち上げた瞬間・・・・
母親の足の裏があまりにも荒れ放題に荒れてひび割れているのを掌で感じて、絶句してしまいました。
その学生は心の中で
「うちはお父さんが早く死んでしまって、お母さんが死に物ぐるいで働いて自分と兄貴を養ってくれた。この荒れた足は自分達のために働き続けてくれた足だ。」
と悟り、胸が一杯になりました。
そして
「お母さん、長生きしてくれよな」とひとこと言うのが精一杯でした。
それまで、息子の「柄にもない親孝行」をひやかしていた母親は「ありがとう」と言ったまま黙り込んでしまいました。
そして、息子の手に落ちてくるものがありました。
母親の涙でした。
学生は、母親の顔を見上げることができなくなって「お母さん、ありがとう」と言って自分の部屋に引きこもったそうです。
そして翌日、会社に報告に行きました。
学生は「社長、私はこんなに素晴らしい教育を受けたのは初めてです。ありがとうございました」
すると社長は
君は一人で大人になったんじゃない。
お父さんやお母さんやいろいろな人に支えられて大人になったんだ。
そして、これからはな自分一人の力で一人前になるのではないんだ。
私も、お客様や従業員やいろいろな人達との出会いの中で一人前の社会人にならせていただいたんだよ。
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これは、木下晴弘さんが描いた
「できる子にする賢母の力」という本に
出てくるお話です。
何度読んでも涙が出てきます(ToT)/~~~

これが本当の教育なんでしょうね。
出典: 木下晴弘「できる子にする賢母の力」

【桑いちご(桑の実)とカメムシと・・・】

今日も快晴。7時半ころ。いつものようにごみ拾いを終え、バス待ち。桑いちごの季節が来たようだ。
・・・大きめのフキの葉を探して茎を長めに付けて採り、漏斗状にまるめて桑いちごを山のように入れ、皮を一枚残して茎を折る。出来上がった天然の即席ジューサーを両手で真っ青な天に向かってかざし、垂れ下がったフキの茎の皮を口の中に垂らし込み、両手でフキの葉の漏斗を「ギュッ」と絞る。野山を駆け回って遊び、乾ききった少年の口の中に、フキの葉の香りと共に果汁100%の天然生ジュースが皮を伝って流れ込む。あまい、甘い!・・甘~~い!!五十嵐少年の良き思い出だ。。【ジューサー使用上の注意:1.残った搾りカスは必ず食べること。2.ジュースが衣服に着くと洗濯しても落ちないので母ちゃんに叱られます。3.桑いちごが好きなカメムシがよく紛れ込んでいるので、一緒に絞ってしまわないこと。絞ってしまうと・・・・(^^)/】№2,563
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【私たちは歴史という駅伝の一区間を走るランナー】

文化とは時代と共に生まれ変化するもの。しかし暮らしに深く根付き、そこに魂が宿るものは自然と引き継がれてゆく。文化を受け継いで行くこころ、それこそが人間の姿であり、目に見えぬが、最も大切なものだと思う。
無宗教の私ですが、歴史・先祖(仏)に学び、大自然(神)に感謝して生きたいものです。

【故郷より、心のこもった最高の季節の便り】

昨日、仕事から帰宅すると・・・わぁああ!!!木の芽、たけのこ、うどなどの山菜が食卓に並んでいるではありませんか!!!私の故郷、魚沼市の親戚からのうれしい便りでした。うどの皮のキンピラも最高です!!疲れなんか、いっぺんに吹き飛んでしまいました!!あ~~うれしや!