【頭上をミサイルが飛んで行った日】5回目だそうである。Jアラートで、当該地域には「頑丈な建物に避難を・・・」と警告していたが・・・10分やそこいらで、頑丈な建物に、当該地域のすべての人が避難するなど・・・無理な話であろう・・・私たちに、選択肢はないのだろうか・・・( ;∀;)
月別アーカイブ: 2017年8月
夏の終わりに【ふるさとまつり】
地区の最大行事が無事終わりました。地区住民総出で自主運営しています。36の町内会の統合運営になって40年以上の歴史があります。また歴史が一つ積みあがりました。4年間続けた実行委員長を交代したので、今年は少し気分が楽でした・・・( ^^) _旦~~
【李下に冠を・・・】
<警視庁の警察官から、理由もなく所持品検査に応じるようもとめられるなど、違法な職務質問をうけて精神的苦痛を負ったとして、東京都内のIT企業につとめるエンジニアが8月21日、都を相手取り慰謝料など計165万円をもとめる国家賠償請求訴訟を起こした。>
ネットでこんなことを言うのは、私だけかなぁ・・・
自分が受けた職務質問が人権侵害だ・・・といいたいのだろうが・・・
この記事だけ読むと、たしかに、当局の横暴もあるように思う。がしかし、一方で、堂々と応じて、手荷物を開示してもいいのにな~・・・とも思う。おそらく、5分で終わったのでは・・・。なにか、見せたくないものでもあったのかな~とも勘ぐってしまう。それが何かによって、それはそれで、分からないでもない。
大事なのは、国家と自分の関係である。国家は国民を守らなければならない。それが法治国家であり、民主主義国家であると思う。怪しいと見える人間を、野放しにしてもらっても困る。今、この国を作っているのは、国民である。それが一番言いたいこと。それらを考えて、腹に据えかねたのであれば、それもよし、かな。モンスターが増えすぎないように・・・
【変わらぬ筈、のもの】
歳をとった、懐古主義、といわれてもしかたないが、ここ数年、ほんの数日の田舎暮らしをすると身に沁みることがある。もっとも「それが日常ではなく、休暇中のほんの数日だから・・・」だと言われれば返す言葉もない。テレビもクーラーもなく、時計もない(壊れていました)。広く天井の高い大広間の囲炉裏を囲んで気の知れた仲間と語り合う・・・時間に追われ、お金に追われ、人付き合いに疲れ、やみくもな競争に晒される・・・過去に戻ることもできなければ、時を追い越して先に進むこともできない。人を気遣い、気遣かわれ・・・せめて「変わらぬもの」を見つめて生きていきたい、なんて、考えてみるこのごろである・・・(^^)
【将来スポーツで食って行くから、勉強はしなくていい!?】
・・・いかにも、子どもにありそうな質問です。が、この問いに、建前でなく核心を明快に諭せる大人はどのくらいいるでしょうか・・・
十種競技の元日本チャンピオン。十種競技で数々の 国内タイトルを獲得しているタレントの百獣の王こと武井壮さんのコメントに100%共感します。
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「スポーツで食べていくから学校の勉強なんてどうでもいいですよね?ってなあ、学校のテストは必要な知識を他の学生より手にすりゃトップ取れるもんだろ?学校ごとにレベルも違うけど、それってスポーツの地区予選みたいなもんだ。。戦うルールと相手分かってて負けるやつなんてスポーツでも勝てねえよ。
『でもスポーツのトップ選手挟まってる勉強なんかしてませんよね?』だとよ。。それは勝ったからだ、お前より学んで鍛えてたったひとりの勝ちを手に入れたからだ。何かで負けることはある、なら他のものでも勝てるように、いつか人生で逆転できるように備えとけ。スポーツだけが勝負じゃねえ、甘えんなよ。
学校のスポーツも勉強も『しなくてもいい』もんじゃねえよ。やればやるだけ人生のプラスになる武器になんだよ。結果スポーツやら勉強、性格や身なり、家族や人間関係や特殊技能、経歴や学歴やら色んなもんの総合点で進んでいい道が決まってくんだよ。何か足りねえものあんなら今のうちだぜ学生たちよ。」
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記事中の坂田監督の『「文武両道」という言葉が嫌い』という言葉も理解できるし、そいうポリシーが必要な教育現場もあるでしょう。
私の持論は武井さんと同じなので書きませんが、喩(たと)えれば「スポーツで食っていくから勉強はしなくていい」=「スポーツで食っていくからご飯を食べなくていい」というところでしょうかねぇ(^◇^)
【日照不足( ;∀;)】
昨日は田んぼ周りの草刈り。一番大事な8月は記録的な日照不足・・・あと2週間で稲刈り・・・晴れてくれ~~~!!
【南極観測船初代・2代目「しらせ」】
見学してきました。南極観測60年の歴史に感動です。「タロ、ジロ」の感動悲話。オゾン層破壊の発見は日本の観測によるものです。「宗谷」→「ふじ」→初代「しらせ」→2代目「しらせ」・・・携わった方々と歴史に感謝です。
【世界一平和な国】
スーパーでは、溢れんばかりに商品が並んでいる。お盆前には、お供え用だろうか、佛花がどれにするか悩むほど。食品は好きなものを買える。大型店に行けば、ハンドバッグやアクセサリー、ファッショナブルな洋服、最先端の家電製品がズラリ!・・・これは「日本の当たり前の風景」
一方テレビでは、スペイン・バルセロナのテロ?のニュース。死傷者も多数の模様だ・・・
私たち日本人は、おそらく、世界一平和な国に暮らせることを、深く感謝しなければならない、と思う・・・
何か勘違いしていないか?現代人よ・・・
【自分の家や部屋に入れない!?】
IoTなどと言われ、様々な身の回りの機器がインターネットでコントロールできる(される?)ようになった。数日前の出来事だが、ネットによるリモートアップデートに失敗したロックシステムが開錠不能になり、500以上のユーザが被害にあい、錠を自分で取り外して交換するしかない、という。
これがライフライン(家のエアコンやお風呂、水道、電気やガス器具など)や自動車の制御などに関わる機器だったらどうなるか。
人類は「便利」「楽」をはき違えてはいけません。
————–以下、記事と写真は転載です————-
Airbnbも利用を推奨しているWi-Fi接続型のスマートロック「RemoteLock LS-6i」が、ワイヤレスで行われたファームウェアアップデートの失敗が原因で、一部のユーザーがドアのロックを解除できなくなるという問題が発生しました。
木の芽・・・アケビの芽
【神輿を担ぎ、太鼓ひとつで踊る】
昼間は若い衆に交じって神輿を担ぐ。
夜は鎮守の境内で酒を酌み交わし、ひたすら踊る。
・・・なにもない・・・音楽もなにもない。ただ、太鼓に合わせて、踊る。ひたすら、、、しかしその踊りの輪には、なにかがある😃
【故郷の古民家で静寂の夜を】
生家を思い出す夜であった。何もない、何もいらない生活。しかし、なんと満ち足りたひと時だろう・・・(^^)
帰省・・・童心に返り川で泳いだ(^^♪
【子どもに返る】帰省中。なんと30年ぶりに川で泳いだ!!清流は冷たいが、なんと気持ちいいことか!!!
【故郷にて】
故郷の新潟・魚沼へ帰省。年に1度だが、待ちに待った「山海里」さんで、懐かしい仲間と時を忘れて(5時間!)、、、至福のひと時でした(^◇^)ノドグロ・・・ンまかったぁ~~~!!!
子どもたちがお墓を参ってくれる。。。嬉しい(^^♪
戦争、というもの・・・・・
私個人のコメントなど必要ないですね・・・
報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
・・・以下転載 抜粋・・・
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
【歴史に触れる・・・笠森寺観音堂】
先日の日曜日。少し時間ができたので一人でドライブ。へ~~~芭蕉も訪れているんだぁ。清水の舞台と、どっちが高いかなぁ(^◇^)
【「制服」という歌・・・吉田拓郎】
日本国憲法はアメリカに押し付けられたものか?
【本当に押し付けられたの?改憲議論はさておき、事実としては・・・】原爆記念日によせて・・・憲法9条の条文。
『1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』
昨日のTBS報道特集。
『天皇制の維持と、戦争の放棄は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時)が連合国軍総司令官・マッカーサー(GHQ)側に提案した』という事実を、史実とその子孫への取材を重ねて報道していた。
「押し付けられた憲法」という主張をする向きもあるが、自衛隊云々は別として、少なくても「戦争放棄」に関しては「二度と戦争をしてはならない」という、日本人が自分で選択した、歴史上の重大な重い意味があることは間違いないだろう。日本人として、深い国民的議論を望むところである。