月別アーカイブ: 2022年4月
【火のついたタバコをポイ!後から登校する子どもが・・・】
【またまた田起こし】
【またまた田起こし】先週のボランティア田んぼに続いてまた田起こし。ボランティアには違いないが、こっちは我がNPO法人の活動費ねん出のための千葉市の委託事業で、法人には収入がある・・・が・・・キツイ(^^);
【故郷の春を思う、木の芽】
【雨上がり。妻はみっともない、と言うが・・・】
【いよいよ田んぼ(^^)】
【川の清掃】
【嫌がらせを受けるロシア人】「国」とは・・・
【嫌がらせを受けるロシア人】
これも、誤解を受けそうだが敢えて発言したい。
在日ロシア人たちが、差別による嫌がらせを受けているという。宿泊拒否、営業妨害、いじめ、嫌がらせ・・・。
被害者によると、もはや「ロシア人」と言いにくく「ブルガリア人」などと偽ることもあるらしい。
気の毒だと思うし、被害者に罪はないことも理解している。
が、ここで言いたいことがある。「国」とはそういうものだ、ということ。日本人だって例外ではない。「日本国」が何か起こせば「日本人は・・・」ということになる。
「国なんて関係ない、個人は個人だ」、「政治の問題だ」、「よその国の話だ」、「独裁者がいるからだ」、「民主主義国家じゃないからだ」、「歴史が違う」、「自分は外国に行かないから関係ない」・・・などなどが聞こえてきそうだ。
どうか私の考えにも耳を傾けてほしい。「そういう考えの人間の集まり(国)だからリーダーが暴走する」のだと思う。別の言い方をすれば「国を意識していない人間の集まりだから」ともいえる。
日本はまだ「平和」だ・・・が、戦前の日本(見方によっては未来の日本)を見せられている気がする。国を作る(変える)のは「民衆」なのだ。決して政治が先ではない。個々人があり、生活があり、文化が生まれ、血が流されながら国が形作られ、政治が生まれ育つ。そして「感謝」と「尊敬」を育みながら久しく営まれなければならない。国というバリアがあるから自分も、愛する人たちも生きていける。今こそ、目に見えない「国」という存在の重要性を考える時だ。
ロシア・ウクライナの戦争を対岸の火事のように見物していてはならない。
【誰がこの地球に、大地に値を付けた?半額とは!!】
【誰がこの地球に、大地に値を付けた?半額とは!!】たった1時間、路上のごみを拾っただけでご覧のあり様。人類は、愚かにも地球に値付けをしてしまった・・・。
【まっくろクロスケ(^^)】
【まっくろクロスケ(^^)】妻と自然公園を散策。妻が足元を指さして「あ!まっくろクロスケだ!」。私「ナイスですねぇ!」(^^)/・・・幸せなことに、日本は春爛漫である。(まっくろくろすけの画像はネット転載です)
【根っこは・・・】
(平和ボケした?それも平和の証?)日本人の考えは置いても、人類も人間である前に動物だいうことかな。食べ物を奪い合い、テリトリーを奪い合い、子孫を残すためメスを奪い合い、そのために戦う。普遍的な自然の摂理や弱肉強食の世界が根底にあるも、文化という見えない線(国境)を引き、そこに知恵を絞って国家を成し、法と秩序の覆いをかけ、武装して外敵を排し、倫理道徳という教育を行う。それでも、こぼれ落ちる(溢れ出る)動物としての本性はどうにもならない・・・
さて、どう生きる?何を遺す?
【ラーメンで思う故郷】
【どこか楽しめないお花見】
【どこか楽しめないお花見】頭の片隅から離れないものがある。とくに今の身の回りの平和を感じれば感じるほど・・・。今の平和は、かつて身を呈して国を守ってくれた祖先があってこそ。忘れてはならないし、日本人だからこそ戦争や核を肯定してはならない。そして、すべては人間の所業なのだから、無関係などと考えてはならない。