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【収穫を祝う(^^)お米作りと日本の文化。はじめチョロチョロ・・】

秋晴れの下、コロナでここ3年やれなかった収穫祭が復活!
新米を炊いて、豚汁。焼き芋、枝豆を茹でる!
故郷では、秋祭りではなかったが、夏の鎮守様のお祭りも豊作を祈念してのものだ。
お釜で炊くと、おこげもできるよ~おいしいよ~~。
なんと、火吹き竹の登場!
はじめチョロチョロ中パッパ・・・の由来もみんなに披露され、子どもたちも大人も大喜び!
便利なだけが幸せではない・・・古くからの知恵と文化が日本という国を形作り、守っている・・・感謝・・・

【男が子どもを産む?子どもを製造する?そんな世を望む?】

【男が子どもを産む?子どもを製造する?そんな世を望む?】
高校生に刈払い機の扱いを教えた。驚いたことがある。今どきの高校生は内燃機関(エンジン)の仕組みを知らないのだ。私たちの中学校時代、男子は「技術科」女子は「家庭科」と別れていた。技術科で内燃機関や木工、電気を学んだものだ。ところが今は男女平等とやらで、技術科は無くなったらしい。
生徒に「ネジを締めるにはどっちに回す?」と聞いても答えが返ってこない。4サイクルと2サイクルのエンジンの違いなど、分かろうはずもない。
男と女は同じことをしなければならない。これが男女平等の世界らしい。
男は外で仕事、女は半歩下がって男を立て、嫁に入って家事と子育てをしながら家を守るべき、などと云うつもりは毛頭ないが、誤解を招くことは承知で言いたいことがある。
男と女は、同じにはなれない。世界に遅れていると言われる日本の「男女平等」が目指すものが今の形であれば、子どもは男女両方が産むか、男女の肉体を経ずに製造される時代が来るんだろうなぁ・・・
男は女を、女は男を、、、尊敬しあってこそ世界の真似をする必要のない「日本」があると思うのだが・・・。
古くからの日本は、どちらかというと「女社会」と言えるほど女の占める役割は大きかったと考えているのだが、それは「不平等」ということになるらしい・・・どこへ行く、日本・・・

【籾摺り】晴天の下、もみすり。

【籾摺り】晴天の下、もみすり。
玄米といっても知らない子ども、そして大人でさえ。
それほど、日本人の米消費は減っているという。
日本文化(祭事、衣食住など)の多くは農業(特に米作り)を支えた暮らしに根差したものだ。
これらが失われてゆくということは「日本の精神が薄れていく」ということに直結する。
寂しいことだ・・・・
日本よ、どこへ行く・・・

【マナーが腐ると・・・】

【マナーが腐ると・・・】
町内の特定のゴミ置き場で同一犯と思われるルール違反が続いている。
いつもパンクズが山のように、ルールを無視して捨てられる。生ごみの為、迷惑千万である。同じ町内会だろうか、外の人間だろうか、日本人だろうか・・・。
中をチェックして伝票やレシートなどを確認したが、犯人の特定までは至らない。行政と相談し、監視カメラを設置することにした。
「ルール(法律)とは マナー(暗黙の常識的な行動)が腐って 生まれ出る」
法律が多い、ということは、非常識な人間が多い、ということなのだが・・・
法律など、無くて済むのが一番良い”(-“”-)”
他(社会や他人)のせいにして生きることだけは、したくないものだ・・・自分の周囲で起こることは全て、偶然ではなく必然(自分が招いたこと)だと思って生きることに努めている。すると、あら不思議・・・す~~~っと、気分が楽になるのだぁ(^^)/

【お米を戴く、ということ】

【お米を戴く、ということ】
故郷の親戚から新米が届いた。感謝とともに、あ~今年も無事に実りの秋を迎えられた・・・幸せなことだ、と感傷に浸った(^^);
早速仏壇にお供えして手を合せる。
父、母、祖父母、叔父、叔母・・・写真が語り掛けてくる。
日本人に生まれ、百姓の息子に生まれ、幸せである。
さて、与生、、をどう生きるか(^O^)

【母を叩いた手が痛む・・・】

【母を叩いた手が痛む・・・】
道端に転がったトイレットペーパーのロール。まだ未使用だ。古新聞と交換に置いたものが転がったのだろう。
トイレットペーパーを見ると反射的に思い出す。亡き母が認知症を患い自宅で介護していた頃、田舎育ちの昔の人間なら理解できる「癖」に閉口したものだ。新聞紙で処理していた時代に育った母。野良に出れば「葉っぱ」だ。ティッシュやトイレットペーパーの時代になっても、もったいなくて使えないのだ。用を足しても、ほんの少しだけ切り取っては半分、また半分に折りたたみながら使う。当然、手が汚れ、その手で家じゅうが・・・。仕方なく、寝ていなければ早くて10分ごとにトイレ通いする母の為に、トイレのドアにチャイムをつけ、母を監視。私はペーパーを折りたたんで使おうとする母の手を何度も叩いた・・・。
トイレットペーパーを見ると、その手が痛む・・・。
私の「来た道」は長くなったが、次第に短くなる「行く道」がそこにあるのだ・・・。

【釣り人なら環境を大事にして!】

【釣り人なら環境を大事にして!】川土手の草刈をしていたら、草むらからご覧のゴミ山。人は川にごみを捨てたくなるらしい。これらは、やがて風で川から海へ。
ペットボトルの中に、釣り糸が詰まったものも!釣りをするような人は、自然環境の大切さを分かっているのかと思っていた・・・。釣りはレジャーなのだ・・・
「必要なだけ他のいのちを頂戴する」なんてキレイごとなのだろうか・・・
おいしいものを好きなだけ食べ、余れば捨てる・・・売れなければ捨てる・・・ごみも捨てる・・・
地球には人間しかいないような傲慢さ。
地球上に存在するものすべてには意味があり、それぞれの働きがある。人間には有害なものだって、地球には必要なのだ。
いらないのは、人間と人間が吐き出すゴミ・・・・。
人間は自然に対してもっと謙虚になるべきだ。

【バ・ナ・ナ】

【バ・ナ・ナ】
あ~~~!!
めったに食べられない高級果物(の皮)が捨てられている!
なんて、60年以上前の田舎生まれの少年(私)は、思っただろうなぁ(^^);

【学校という場所】

【学校という場所】誰にでも、学校にはそれぞれの思い出があるもの。嬉しいこと、悲しいこと、いやなこと、初恋、友、先輩、先生、部活動・・・。
60を過ぎ、今だから思うことがある。
①人間である以上、学ぶことが基本である、ということ。
②集団を生きることの基本は学校で学ぶ、ということ。
③親や地域、国の制度によって学校で学ぶことができた、ということ。
④教育が、国の基本(政治・経済)と暮らしの基本を作っている、ということ。
⑤教育の土台となるべき人間の本質は、家庭や地域教育で作られる、ということ。
⑥今の教育は、まだまだ「十人十色の個性を伸ばす」という視点が欠けている、ということ。
・・・大人になった以上、自分の人生と教育(学校)との関わりを見つめなおし、今後の学校との付き合い方を腹に据えなおす必要があると思う。
少なくとも、子どもたちの通学路や、学校周辺の環境が子どもたちの心象風景にどう残るかに、思いを巡らせたいものだ。
子どもたちが、健やかでありますように・・・。

【大人になり40年を生きる、ということ】

【大人になり40年を生きる、ということ】同郷のママが経営するスナックの40周年記念パーティに呼んでいただいた。山と田んぼしかないような田舎の村から出てきて40数年。「生きる」ことのお手本にさせていただいている方の一人である。感謝・おめでとう・これからもよろしく。
気分良く酔っ払い・・・終電に遅れ、始発までお店で寝かせてもらう、の絵である(^^)。
あ!!!数時間後には草刈り作業だぁ・・・!(^^);

【脱穀終了。いよいよ秋だぁ(^^)】

【脱穀終了。いよいよ秋だぁ(^^)】
台風14号を警戒して、予定を1日早めて脱穀作業を行った。今年は、夏も暑かったし、まずまずの出来かな(^^)
収穫を終えた田んぼは、なぜか寂しさを感じるな。故郷で、これから来る秋、冬を予感してそんな気分になることが身についたのだろうか・・・。

【親の背中はバトン】

【親の背中はバトン】通学路に、使い終わった紙おむつが沢山詰まった袋が捨ててあった。
親の背中を見て子どもは育つが、背中からそのバトンを受け取って、確実に次に繋げる。仏教でいう「因縁」というやつだ。
私は、そんな親子関係をいくつも見てきた。
因縁を断ち切るのは容易ではない、が、まずは、他人のせいにせず、他を尊重し、己の価値観で自律して生きることであろう。

【戦争がなくなればいい?】

【戦争がなくなればいい?】足元に落ちていた中秋の名月を見て思った。
どうすれば戦争がなくなる?争いがなくなる?喧嘩がなくなる?いじめがなくなる?・・・意見の違いがなくなる?・・・好き嫌いがなくなる?・・・
誰もが・・・プーチンでさえ?戦争がなくなればいいと思っているだろう。だが、本当になくすることができるだろうか?いじめだって同じだ。根底にあるのは、人間の「欲」「自尊心」「虚栄」「妬み」「恨み」「嗜好」「集団心理」「防衛本能」・・・。
これらがない人間ってあるんだろうか?
まぁ~るくなれば角は立たない・・・、が、四角の中に〇を収めようとすれば、隙間ができる。丸の中に四角でも同じ。世の中、〇だけではダメなのだ。だが(A)を寄せ合って共有部を持たせる(B)ならばどうだろう。それとも、お互い隙間なくピッタリと組み合うパズルがいいだろうか?しかし、これだと共有部分は全くない・・・。
う~~~む、むむ・・・眠れなくなりそうだ(^^;

【どう処分するか・・・え~~い、誰か片づけるだろう!道路にポイッ!】

【使い終わった除草剤の容器、どう処分するか・・・え~~い、誰か片づけるだろう!道路にポイッ!】
ということで、片づけたのは私。
これもワークシェアのうちですね(^^;
自分さえよければそれでいい、という人は世の中の2割か、6割か。否、それが当たり前の人間かもしれない。
しかしそういう人は、まさか自分の首を絞めているとは、微塵も考えないんだろうなぁ(;_:)

【勘違い・・・御守り】

【勘違い・・・】多くの人がなにか考え違いをしていると思われる。「御守り」についてである。どこの御守りが効く、だの、交通安全祈願ならどこ、合格祈願ならどこ、だの・・・
だから、ときにこうやってごみのように捨て去られる・・・
御守りの本質は、「だれが、どの様な想いで、だれにあげるか」である。決して「どこの何を」あげるか、ではないのだ。
いただいた物をみて、「あ~~だれそれが自分のことを案じてくれている」と思いを巡らせ、自分の行動を律する。これが、御守りの本質だと思う。
そうすれば、形はなくても愛する人を想い、愛してくれる人の想いそのものが「御守り」になるはずだ。
ひとのこころを大事にしたいものだ、こんな時代だからこそ。

【恥ずかしい国、日本。安部元首相の国葬】

【恥ずかしい国、日本。安部元首相の国葬】国葬がどうの、という論戦が政治家たちの間でホットだ。最近では、国葬の費用がどうの・・・というのがポイントらしい。銃撃事件直後は、私も同情的で、国葬発表後も、安部元首相の実績から、それも妥当だと考えていた。
だが、元統一教会に関する国民の被害の大きさ(日本の被害者から統一教会を通して韓国に数千億円ものお金が流出した)と政治家たちの「癒着」が次第に明らかになってくると、日本を韓国に売った「国賊」に近いようなその大罪に目を瞑っていられなくなった。
知らなかった、とか、直接の関与はない、とか、法律的には問題ない、とかの問題ではない。
予算がどうのではなく、何故「国葬を中止すべき」という議論ではないのか?国民の半数が反対している「国葬」とは、本当に民主主義国家のする事だろうか。
招待した各国には「ごめんなさい」といって、中止すべきではないのか?
ここまできて中止とはいい恥であろうが、国民の半数が反対しているのに強行する民主主義政治の国(どこかの独裁国家と同じか?)、のほうがもっと恥ずかしいことである。
それもできないような「民主主義政治の国の国会」なのであれば、もはや「政治不信」を通り越し、民主主義国家日本の崩壊といってもいいだろう!(画像はネットより)

【何故、このような人間が育つのか・・・】

【何故、このような人間が育つのか・・・】本人の罪より、重いものがある。それを生み育てた親、その祖先。そして社会だ。
華美な世界ををうらやんだり、妬んだり、安易にもてはやしたりしてはならない。
人間は、生まれや容姿、学識・宗教や、地位、財力で計れるようなものではないはずだ。(画像はネットより)