~写真は今朝の千葉市消防局前の河津桜です~(本文は一部ネット情報を引用しています)
独り善がりの正義を振りかざして他を攻撃する人が目立っているようです。
その最たるものが昨年、相模原市の知的障害者施設を襲撃し「障害者が安楽死できる世界を」という主張のもとに大量殺戮を犯した容疑者の男でしょう。これほどではないにせよ、「自分が正しい」と疑わず、他を攻撃する人は至るところにいるようです。
「そんな仕事のやり方、教えてもらっていません!」、「それってパワーハラスメントじゃないですか」、失敗すると「そんな仕事を自分に押しつけた上司が悪い!」などと言って逆ギレする人間もいるようです。ある男性社員は行きつけのお医者さんから「抑うつ状態、配慮を要する」という診断書をもらい、これを盾に自分のイヤな仕事も残業も一切せず、忙しくなると休む等々・・・にもかかわらず、休んでいる間に海外旅行に行ってその写真をフェイスブックにアップしていたとか・・・。ついには「別の病院でセカンドオピニオンを聞いてくるように」と指導されたとたん勤務態度が改善したとか。
パワハラと訴えたり診断書を職場に出している人が皆「過剰防衛や仮病」だと言うつもりはありませんが、中にはそれらを錦の御旗にしたり、職務放棄の言い訳にしたりする人もいるようですね。
「警察官は犯罪者ばかり。公務員は給料が高くて皆仕事をしていない。生活保護受給者は皆働けるのに働かない。・・・学校が悪い、教育が悪い、政治が悪い、周りが悪い・・・」などと十把一からげの論法を振り回す人も身の回りにかなり見受けられます。近年、学校を悩ませているモンスターペアレントと呼ばれれる親たちもこの部類ではないでしょうか。
有名人の不倫報道があれば直接関係ないのに、夫を許すと発表した妻を「なぜ許すんだ」と攻撃する人たち・・・。
「間違っている」「許せない」と声高に叫びながら他人を攻撃する人の心の奥底には、しばしば羨望が潜んでいる、といいます。
「他人が自分と違うことが妬ましく、我慢できない怒りとなってしまう」という人間が世の中には少なからずいるということです。自分がやりたくてもやれないことや、やりたいのに我慢していることを他の人がやっていると、それに対して我慢できない怒りを抱いてしまう・・・。正義を声高に叫ぶ人の心の奥には、しばしば、身勝手な思惑、怒り、恨みなどが渦巻いていることがあるということです。自分の持つ正義感を疑わず、それに従って突き進んでいると、とんでもないことになりかねません。決して無関心でなく、しかし自身の考えに過度に囚われず、他人の声を謙虚に聞き、分をわきまえ、一見もっともらしい理屈がはらむ危うさを見極め、人の数ほど存在する「正義」に振り回されないように注意したいものです。
「幸せ」とは、そんなところから始まるのかもしれません、ネ(^^)