【またしても!政治家って、なんでこうなの?】

【またしても!政治家って、なんでこうなの?】政治批判はそのまま国民の責め(政治は国民のレベルを超えない)というのが私の持論だが・・・それにしても、IR汚職、選挙違反、法のねじ曲げ、忖度の蔓延・・・。傲りが出てきたか、元々の腹か、安部政治はどこか崩れ始めている!!

【街のこころ遣い!320kg!】

【街のこころ遣い!320kg!】ペットボトルキャップ。税金を使って燃やしてはいけない、と始めた回収だが、買い取り業者が事業から撤退してしまい、引き取り業者を探していた。この度、千葉市が窓口となってやっとリサイクル向けの回収が叶った。無料の回収であるが、税金を使いゴミとして燃やされなければ、目的に叶っている。
いや~~~駐車場が埋もれるところだった~~~ヤレヤレ😆もちろん、回収は続けます!!

【他人事のような顔をして責任者を責めている場合ではない】

【他人事のような顔をして責任者を責めている場合ではない】あなたならどうしたというのです?総理は自分の政治生命をかけていると感じる。国会議員、地方議員は即刻地元で啓発活動をしてほしいくらいだ。【このウィルスに対抗できるのは国民の力・日本の力です!】
政治判断は高度で全方位、総合的なものです。他人事でなく私たちが選んだ誰かが、自分が選んだ仕事として責任をもって判断しなければならないのです。子どもの健康・全国民の健康、家庭生活への配慮、経済活動への配慮、他国への配慮、特に日本はオリンピックという世界的一大イベントを抱えています。国民は非難する立場に甘んじてはいけません。我がこととして一丸となってこの難局を乗り切れるかどうかは「日本国民」の問題だと思います。この難敵に勝つためには「気配り、思いやり、自制、手洗い」が最大の武器です。ガンバロー、ニッポン!!

【逆効果!本末転倒!】

【逆効果!本末転倒!】症状が現れにくい子どもたちが、街からウィルスを家庭に持ち込む?。子どもたちを守るはずが、その子どもたちが、大人の脅威になるとは・・・。日本の子どもたちはここまで教養がないのか・・・いや、自分の若いころだって深く考えてはいなかっただろう。今度ばかりは家庭教育の崩壊を感じた。(というより、親も分かっていないのか・・・)結局これも、大人の責任なのだなぁ。
画像はNHKネット記事より。

【今朝は30分で6枚拾いました】

【今朝は30分で6枚拾いました】行列、他人を押しのけてまでして買って、要らなくなれば「ポイ!」。「自分の人生そのものの現れ」であることに気付いてほしい。あなた、間違いなく捨てられますよ・・・
 心配なのは「子ども用」もよく拾うこと。自分だけでなく、すでに自分の子どもの人生まで壊していますね。きっとあなたも、そう育てられたのでしょう。
 こうして、因果(背負わされた不幸)は、代々受け継がれていきます・・・😔3,419日目、終了。

 

【少し考えればわかる・・・】正しいポイ捨てマナー!?

【少し考えればわかる・・・】だけどその少しが難しい、んだろうなぁ・・・。こうされてしまうとリサイクル(資源)ではなく焼却ごみだ。
 吸い殻はポイして火を消す!!空き缶やペットボトルは異物を入れずポイ!!ガムは包んでポイ!!川や海・山でなく私が拾える範囲に捨てる。
 せめて正しい「ポイ捨てマナー」を守ってほしいものだ、「一生天涯孤独に暮らせる頭脳明晰な正統派自己中人間」ならば・・・。

【「ありがとう」を声に出すこと】

【「ありがとう」を声に出すこと】職場のトイレはいつもきれいで清潔である。掃除をしている方をトイレ内でよく見かける(おそらくビルメンテの委託業者の方々だろう)。ハンドソープ、除菌アルコールの補充もこの方々の仕事だ。最近私は努めて声をかけるようにしている・・・「いつもキレイにしてもらって、ありがとうございます🙂」「どういたしまして。最近はハンドソープと消毒液がすぐなくなりますね」😊「やはりそうですか~」・・・なんて会話を交わす。
感謝の気持ちは言葉と態度で示したいものだ。
『いつもありがとうございます』・・・たったこれだけで、お互い気持ちよく1日を過ごすことができる。

【「ありがとう」が亡くなった社会】

「ありがとうが亡くなった社会」【戦争を引き起こす群衆心理と同じ?】マスクに続き、トイレットペーパー、紙オムツ・・・店に殺到し店員を詰(なじ)る・・・。まるで、戦争前夜・・・あなたも、世の中の8割の「群集」の中に入りますか?それとも、こんな事態だからこそ「ありがとう」が言える2割の「人間」でいられますか?

【こころに掲げた看板】親子の卒業

【こころに掲げた看板】親子の卒業・・・看板も何もない、外見は一切飾り気のない店を出して早4年。当初はドキドキ・ハラハラであったが、今は分かる。彼が心に掲げた看板は、生半可な嵐ではビクともしないものだった。彼は私たち夫婦の子どもを卒業し、私たち夫婦は彼の親を卒業したのだ。