2014年9月。香港の若者たちが民主的な選挙を求めてデモを始め、香港の中心部を3か月近くにわたって占拠しました。香港(中国)には、日本のような民主的な国政レベルの直接選挙制度はありません。
『日本の皆さんが、自らの手でリーダーを選べるということがいかに尊くいかに稀有なことであるか、気づくことを願っています』(http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/6b8ef2ddd2e84ff61d538847cccf8e1a)
これは香港の若者が日本に向けて発信したメッセージです。しかし、今回(2014年12月)の衆議院選挙の投票率を知って、切なくなってしまいました。
『その他大勢のうちの一人でしかない』、『自分が行かなくたって』、『どうせ何も変わらない』、『政治や社会に期待しない』、『世の中が悪い、大人が悪い』・・・・身近でもそんな声が聞こえてきます。しかし、5年前(2009年)の衆議院選挙では、歴史的に長い間政権与党の座にあった自民党が民主党に惨敗し政権を明け渡したことを思い出してください。(変動議席数 自民党:300→119、民主党:115→308)
年金記録問題や長引く不況に「もう我慢できない。任せておけない」という思いに駆られた有権者たちは、「自分の1票なんて」「どうせ何も変わらない」などとは考えず、怒りに似た思いをその1票に託したのです。その結果、自民党はついに野党に滑り落ちました。
投票権が欲しくても民主的な国政選挙がない中国。それどころか、生きる権利すら危うく、暴力や差別に怯える中東やアフリカの国々。私たちの日本がいかに民主的で平和な国であることか。
傍観者を決め込み、他人が、誰かが動くのを待つ。それは人のまねをして誰かの後をついて生きることを意味します。それは軍国主義でも、共産主義でも、独裁政治でもできることです。それが楽な生き方と考えて生きていくのか、「自分の考えで生きる」生き方をするのか。幸いにして、そんな時代を経験しつつも現在は民主主義で軍隊や原爆もなく、単一民族の島国という、素晴らしい国日本に生まれたことを、今一度考えていただきたいと思います。一人一人が考えた1票が集まった100票は、人のまねではなく、間違いなく民主国家の証なのです。「民主政治の1票」は歴史の中で先達が権利として勝ち取った、自分の生き方そのものなのだと思います。