一昨日の日曜日。田んぼに子どもたちと案山子(かかし)や看板を立てた。すぐ脇は京葉道と東金道の立体ジャンクションになっていて、暴走族の爆音がひっきりなしに頭上から降ってくる。「暴走族」・・・すでに過去の言葉だろうか・・・金魚のフンのように連なって周囲の迷惑を楽しみながら我が物顔で公道を傍若無人に走りまわる一群である。悲しいことに、そこに一人づつの人間としての顔はまったくない。迷惑な一群でしかなく、なんの主張もない。人として生まれた以上、何か言いたいことがあれば、一人でも(むしろ一人であるべき)立って行動、主張すべきである。「烏合の衆」以下であることを、早く気付いてほしいものである・・・一人の人間として。しかし、これも負のスパイラル(連鎖的な悪循環)であり、親から子へ受け継がれているもので、ある代で断ち切るには、相当な本人の気づきと努力、それを親の代わりとなって支える「愛情」が必要である。私が考える一番の更生環境は、質の良い「ボランティア」活動集団に身を置いてみることである。ここも、人間が利害抜きで交差する場所であるから、面倒なことのたまり場である。そこで、自分、それを取り巻く人間たちの関係性と、感謝のこころを自分に叩き込むべきであろう。