今朝の出来事【ゴミ拾い&あいさつ活動3,133日目】

今朝の出来事【ゴミ拾い&あいさつ活動3,133日目】地元で30分、それからバスに乗って通勤電車に乗る前に千葉駅で30分、いつものようにごみを拾っていたら、駅前ロータリーの工事現場でいつも挨拶を交わす安全誘導係のオジサンが、私がタバコのポイ捨て(吸い殻)写真を撮っていたのを見ていたらしい。「喫煙監視のパトロール員は何をしているんだろうね~」と話しかけてきた。千葉市内全域の道路を含む公共の場所では条例によりタバコが吸えない(罰金2,000円)。監視員が随時パトロールしているが、そのことを言っているらしい。「取り締まりが甘い」と言いたいのだろう。私は苦笑しながら「タバコを吸うことは条例で禁止されているが、吸い殻を含むごみのポイ捨ては、もっと昔から国の法律違反なんですがね~~(^^);」と応えた。「取り締まりが甘い」と言いたいのはよく分るし、ごく一般的な大方の意見である。しかし「マナーが悪いから法律(ルール)を作り取り締まる」の繰り返しで社会が良くなるとは到底思えないのだ。ルールが増えれば自分の首を締めることになる。その一方で「個の尊重」だの「自由の侵害」だのを声高に叫ぶ人たちに大きな矛盾(勘違い)を感じずにはいられない。自由(=権利)とは、国という枠組みにおいて、国民がその義務を果たしたうえで主張することができるもの。太平洋戦争の後、権力の暴走を防ぐ意味で制定された日本国憲法であるが、その元で制定された様々な法律が、今度は国民の暴走を防ぐ意味合いが強くなってきていることに気づいているであろうか・・・。ルールを作り、それを取り締まることに目を光らせることが国民の務めではなく、義務を果たし、高い品格と精神を尊び、少ないルールで最大限の自由を謳歌することができる国こそが、真の民主主義国家だと考えるのです。自分たちの責めで雪だるま式に膨らんだルールを監視する権力者を非難(=更なる強権化を望むようなもの)している様では、どこぞの独裁国家や共産主義国家に近づいていることに他ならないのではないだろうか。