【日本人が捨て去ったもの、私が今朝拾ったもの】放火事件、33人もの尊い命が失われたという。犯人の動機の解明は未だだが、アニメ作品に対する批判的想いが昂じた結果だろうか・・・。
私たちは物心に関わらず様々な物を捨てながら生きている。科学や経済の拡大と比例して増えるごみ。不要となったものを捨てることと、こころの問題は無関係だろうか。「自分にとって不要なもの、邪魔なものは捨て去る」・・・果たして、「自分にとって」「不要」とは、なんであろうか・・・私は宗教は持たないが、「自分」とは未完成で不完全、変わっていくものだと考えている。言い換えればそれが「可能性」でもある。そしてその「可能性」を伸ばしていくには、「関心」を持ち「感動」し「感謝」することから始まり、そこから自分なりの「感性による経験」を繰り返しながら、「教養と徳」を積み、「寛容」(他の罪や欠点などをきびしく責めないこと)のこころで、「涵養」(ゆっくり養い育てること)すること、だと考えている。
いささか宗教的だが、人間は「今生」だけで生きていない。前世の様々なしがらみを背負って生まれ、後世にしがらみを遺しながら死んでゆく。せめて、自分の生き方が後世へどんなしがらみとなるかを日々考えながら、今生を全うしたいものだ。この地球は、後世からの借りものなのだから。
毎日ごみを拾って17年、不思議と捨てるものに拘る様になった。というより、拾い・得るものが多くなり、捨てるものが少なくなった。
今朝は通勤バスで部活動(テニス)の試合会場に向かう隣の地区の女子中学生たちが、自発的に座席を譲ってくれた。今日も「得る」ことから始まった、良い日である(^^)/