【私を裏切らないもの(^^)】

【私を裏切らないもの(^^)】
土日は所用でできなかったごみ拾い。だけど大丈夫(^^)・・ゴミは裏切らない!しっかりと二日分、私を待っていてくれた!
最早捨てる人間が悪いわけでもない。いらないものがあれば捨てるのは道理だ。
誰が捨てただの、政治や行政がどうのだの、マナーがどうのではない。「地球というごみ箱が溢れている」という現実を、汚した張本人である人間として、どう考えるか?ということだ。

【あいさつは恥ずかしい?】

【あいさつは恥ずかしい?】小学校正門で子どもたちの挨拶に元気をもらった。大人はどうだろう・・・
子どもの頃元気にできたあいさつは、大人になるにつれ、次第に声が小さくなるようだ。恥ずかしさが故だろうか。初対面の相手は然り、増して通りすがりの他人になど、声が出よう筈もない。
挨拶は「礼儀」として教えられるもの。これはもちろん大事だが・・・私は・・・
「私という人間がここに生きています」
「あなた様はいかがですか」
という思いで声を出し表情に表すことを心掛けている。
そんな思いで挨拶を交わしていると、歳を重ねていくにつれ、相手を思いやったり、相手のトーンや表情から人間性や本心を伺い知れるようになってくる。
挨拶とは最大の自己表現であり、思いやりであり、コミニケーションツールであり、自己防衛の手段でもあると考える。
挨拶は、恥ずかしいこと、などではないのだ。

【稲刈り(^^)】

【稲刈り(^^)】田んぼに親子して出て、子らがあぜ道で遊ぶ、という風景。
これが、今はなき日本の原風景であるような気がする。
お米はどこで作るの?という問いに「スーパー」と答える子どももいるという。お米はどうやって作られているか、など大人だって関心がないのかもしれない。
日本の食文化も変化し、お米の消費自体も減っているという。
日本の文化(祭りや民謡など)は、農業や漁業、林業などの第1次産業に根差すものが多い。
これらを忘れた日本人が向かう先は、いったいどこなのだろう・・・。

【他人を労われない人々・・・】

【他人を労われない人々・・・】
久しぶりにバスに乗って千葉駅へ。
二人掛けの席が空いていたので、日が当たる窓側には座りたくなかったが、仕方なく窓際へ。座席はいくつか空いているが、立っている人が多い。よく見ると・・・日が当たるからか窓側が空いているのに通路側に座っていたり、座席に荷物を置いてあったり。
乗り込んでくる人たちも、それらに対して声をかけるのを躊躇うのか、席が空いたまま、どんどん混雑してくる。
すぐ前の入口脇の席では、窓側に荷物を置き、通路側に座ってスマホに集中している若い女性。
幸いにも、お年寄りや席を必要としそうな人はなさそうだ。
自分さえよければ、それでいい。周りなど見えないふりしていればいい・・・そんなところだろうか・・・

【あの子どもが今や・・・】

【あの子どもが今や・・・】
子どものころ、父の頭(髪)をバリカンで「刈る」のが私の役目だった。頭頂部が剥げていた父は、裾野だけ刈ればよかった。
・・・その私が今は、息子に髪を「刈って」もらっている。頭髪の量も、父に近くなってきた。
思えば、遠くにきたもんだ・・・(^^)/