<<1等を決めない運動会競技、複数いる桃太郎>>昨今の幼児・児童教育の現場の話。幼稚園や学校の様々な催しで少数の親の声が全体を変えてしまうということを耳にする。運動会では、かけっこが姿を消し、みんな一緒にゴールしたり、順位を決めない競技?が増えたり、劇では主役の桃太郎が複数いるなど、昔では考えられないことが起こっているという。「平等」と「公平」を混同し、「共存・個性・分担」を理解していないのであろう。本来は言葉で説明するものではなく、その答えは個々人が成長の過程で学んでゆくいわゆる自立・自律のバロメータであろう。人(生き物)は皆違う。できることも、存在価値も、皆違う。そして、人は一人だけ(人間だけ)では生きていけないのである。自分以外の存在と価値を認め尊重して、初めて「自分として生きる」ことができると思う。序列のない社会では秩序は保てない、主役ばかりのドラマは成り立たない。なによりも、いつでもみんな同じでなければならないという理屈は、自己を否定するに等しい。親は、我が子が他を認め、尊重できるようになってこそ「自立・自律」したと喜び、己の子育ての成果とすべきだと思う。1等になれないことや、主役になれないことで、誤った平等観を振りかざし、子どもの成長・自立・自律を阻害してはならないと思う。もっとも「自分の子どもだけは主役に、あとはどうでもいい」などという利己的な考えのものであるならば、論外であるが・・・(;_;)
※写真と本文は無関係です※