【大切なのは「究極の自分勝手」】

今朝のごみ拾い&あいさつ活動に地元の小学校の先生が同行(&取材)してくれました。今年の小学校の総合学習のテーマに「地域活動」を取り上げたいということでした。手始めとして私の毎朝の挨拶&ごみ拾い活動と、様々な地域活動についての取材を受けました。私から今回の子ども達の総合学習の到達点として提案したことは「一人では生きていけない。感謝して生きること」でした。誰が家のトイレ掃除をしてくれているのか、玄関の靴を揃えてくれるのは誰か、食事を用意してくれるのは誰か、どうして街が綺麗になっているのか、通学の安全を見守ってくれるのは誰か、軒先や公園・路肩の花は誰がどういう気持ちで育てているのか、公園を整備してくれるのは誰なのか、電球が切れた街灯は誰が直しているのか、誰が町のまつりを企画してくれるのか、etc・・・。自分のしたいことをして自分勝手に生きるのは構わない。しかし、本気になって自分のしたいことを続けるのであれば、それら周囲の目に見えない支えを理解し、他を尊重しなければ成功はあり得ないと思うのです。私はこれを「究極の自分勝手」と呼んでいます。
もうひとつ。「街に割れ窓を作ってはいけない」ということです。空き家のこわれた一つの窓が、次々と壊され、やがてゴミが投げ込まれ、それが周囲に広がっていく。やがて悪人が屯(たむろ)するようになり、犯罪が増え、街が荒廃していく。目の前の「割れ窓」(たとえごみひとつでも)放置してはならないのです。一人一人がこのことを理解していれば、どんなに素晴らしい町になるでしょう。
最後に、「挨拶」の意味は礼儀だけではない、ということです。相手を気遣い、元気を与える、そして元気をもらう。街のあちこちで挨拶が交わされていれば、犯罪だって減るでしょう。そんな素晴らしい挨拶の溢れる街にしたいものです。
私の細やかな活動が子ども達の教育に少しでも役立つのであれば幸せなことです。地域活動は決して他人の為などではありません。長い目で見れば「家族の為、子どもの未来の為・・・イコールそれが自分の幸せの為」なのだと思うのです。
「子ども達の未来に繋ぐ環境を考えたいものです」