挨拶をしましょう、と教えられたり教えたり、自分で実践をしてきたのは、今の時代には当てはまらないのでしょうか?
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小学生を持つ母親がマンションの住民総会で「子どもに知らない人から挨拶されたら逃げなさい、と教えています。子どもには挨拶(声かけ)してくる相手がマンションの住人かどうかわかりません」という。
別の年配者は「せっかくこちらから挨拶しても無視され、いやな気分になった」という。
いっそのことマンション全体で挨拶を止めてしまおう、と決まった。
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・・・ということらしいのですが・・・。
①住人が挨拶や声かけを止めれば、話しかけてくる人間は総て怪しいと思えるから、逃げられる。
②挨拶をしないと決めてしまえば、無視されることもないから、不快な思いをしなくて済む。
〇さて、この二人の言い分は、住んでいるマンションだけのことを考えているのでしょうが、よく考えるとそれでは意味がありません。誇張するようですが、この理屈だと全国民?(世界中?)がやらねば意味がないのです。
行きつくところ「知らない子どもに声掛けしてはいけない」「大人同士も挨拶を交わしてはいけない」という法律があればよいことになります。
大人が、知らない子どもに話しかける場面はいくらでもあります。
・迷子や困っている子どもに声をかける場合
・危険を知らせたり、指導・教育のために声をかける場合
・お店、交番、図書館などの担当者
これらの大人は総て法律違反になってしまいます。
それとも、認められた大人に「声掛け許可証」でも作るのでしょうか?
〇学校では「知らない人から声を掛けられたら、気を付けよう」「知らない人には付いていかない」は昔も今も止むを得ない教育でしょう。
だからこそ、子どもの安全のためにも、顔と性格を知り、親の代わりに声掛けできる大人が増えるべきではないでしょうか。
子どもは成長とともに行動範囲を広げてゆくものです。
家から出て行動する年頃になれば、まずは親の目の届く家の庭や道路、公園や空き地で遊ぶようになります。
この頃、近所の大人や同世代の子どもの母親などが顔を覚えてくれるようになります。
やがて小学生になれば自宅や学校を中心に行動範囲が広がり、顔見知りの大人も増えてきます。
親以外の大人が顔を覚えることにより、親の目の届かないところでの見守り(時には監視、教育、躾)の力が働くようになってくるのです。
大事なのは、子どもは大人の顔を覚えることはさほど意識していないが、大人は意識して子どもの顔を覚えるから、当然、子どもは知らなくても、大人の方は知っている、ということが多いということです。
このような成長段階で、(子どもが)知らない(が大人は知っている)人が声をかけてきたら無視、あるいは逃げるというような教育を受けたとしたらどうなるでしょう。あるいは、「知らない子どもに声をかけていはいけない」法律があったらどうでしょう。子どもは、その成長過程で、「親以外の貴重な大人の声」が遮断されてしまうのです。(そんな法律のある国自体、恐ろしいことですが・・・)
〇もう一方で、親が自分の見識だけで子育てを行うことへの大きな危険が潜んでいます。このようなことを主張する親は恐らく、自分自身の交友関係も限定的で、独善的だと想像できます。そのような家族環境の子どもが、さらに親以外との交流を断絶させられたらどういう風に育っていくのか、空恐ろしくなります。
〇さて、大人同士の挨拶に目を向けてみましょう。
無視をされるから挨拶なんて止めましょう、という発想のようですが・・・なんとも独善的で貧弱、暗くて後ろ向きの考え方です。
大人の挨拶は、礼儀や社交辞令の側面も多分にありますが、何よりも、相手の人となりを探る手段でもあります。挨拶を交わすことにより自分との相性なども探る、貴重なコミニケーションツールなのです。
〇他にも重要な側面があります。警察が窃盗犯などから収集したデータによると、泥棒しにくい地域性とは、清潔で、人が出ていて人目が多く、あちこちから声を掛けられる地域性だといいます。つまり、綺麗で、あちこちで井戸端会議をしていたり、挨拶されたりする地域は泥棒がしにくいという訳です。これは容易に理解できます。知り合い同士が挨拶を交わしたり、世間話をしたり、他人でも声をかけ合うような地域は、犯罪が発生しにくいのです。
〇私の考える挨拶の意義です。
挨拶とは、己の存在を堂々と示すものであり、人間同士のコミニケーションの入り口です。
明るく、相手を尊重・気遣う挨拶ができるのが、人間同士のコミニケーションの第一歩なのです。
大人が挨拶を交わさなくなったら、子どもたちは、いったい誰から挨拶の仕方を学ぶのでしょうか?
そして、その先にある挨拶のなくなった社会はどうなっていくのでしょうか・・・恐ろしい話です。
かえって誘拐、強盗、窃盗などが増えるのは、明白です。
◎最後に一番恐ろしいこと・・・
この投稿は、ごく一部(二人)の人間の発言によって「マンション全体で挨拶を止める」ことが決まった、というもののようですが、そもそも、たった二人の意見で、このような底の浅い決定がなされることが一番の問題です。これこそが、コミニケーションがすでに崩壊していることの現れで、一番怖いことではないでしょうか・・・。
【自慢ではありませんが<m(__)m>】私が毎朝、通勤途上で挨拶活動を初めて14年目、2,700日を超えました。ごみを拾いながら、すれ違う町のだれかれ構わず挨拶をします。小学校や中学校とも連携しています(授業で取り上げてもらったり・・・)。
これは、「自分の足元を見つめる」ライフワークなんですよ(^◇^)
長文、ご容赦ください<m(__)m>