バナナと安保(集団的自衛権)

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 戦後の高度成長の真っただ中の昭和34年1月、新潟の山間にある寒村の農家で生まれた私です。(東京タワー完成が昭和33年12月。東京オリンピックが昭和39年)
父は満州に兵役動員されたということでしたが、決して多くは語ろうとしませんでした。片田舎の私の村は幸いにして直接の空襲被害などはありませんでしたが、戦火で焼けた町での暮らしぶりは、衣食住もままならず、強盗、詐取、闇市などが横行し、秩序を守ることすらできていなかったのです。
 そんな中、もともと自給自足に近い生活を送っていた農家に生まれた私でしたが、自家では作れないので買わなければならず(当時はまだ、お米と商品が交換できた時代でしたが)、世の中で一番贅沢でうまいと思っていた食べ物が「バナナ」でした。台湾産が多かったと思います。父がバイクに乗って月に一度程度買い出しに行くのですが、月刊の漫画本と、お土産に買ってくるバナナなどが、待ち遠しくて楽しみで・・・(^^)/
母が、自分が食べるよりも、子ども達に食べさせることを優先して分けてくれていたことが、切ない思いと共に蘇ります。
 そんなバナナと私の付き合いなのですが、高度成長を遂げた現代では食べようと思えば何でも手に入る時代になりました。
 今朝、半分食べかけのバナナが、道端で日に焼けて真っ黒になっているのを拾いました。バナナに限らず、飲みかけの缶飲料やペットボトル、時には手つかずのおにぎりなどが当たり前にのように捨てられています。
 300万人を超える犠牲者を出し、敗戦を経験した日本。敗戦から70年が経ち、ほとんどが戦争を知らない世代になってしまったそんな私たちが今、考えなければならない「平和」とはなんでしょう?
憲法9条にある、不戦の誓いの本当の意味はなんでしょう?
 明治維新から大正を経て、太平洋戦争に突入した当時の日本は、「民主主義」国家の形をまねた「軍国主義」国家でした。
今国会で審議されている安保関連法案が、やがて治安維持法のような悪法を生み出すことはないのでしょうか?
ただ一つだけ戦前と明らかに違うことがあります。
それは、現在の政治は、国民の自由意思で選んだものであり、その政治が管制する自衛隊であるということです。つまり、(まだ)国民の意思で動かせる政治や自衛隊であるということです。自衛隊は軍隊ではないのです。
 私たちは、もっと日本の歴史、先祖の歴史、自分の生い立ちや命、暮らし、政治に関心を持たなければなりません。現在が「平和」と言うのならば、それは何の苦労もなく手に入れたものではなく、先達が、明治維新を経て、大正・昭和初期の軍国主義と敗戦を経て、血の滲む歴史の中で作り上げてきた「平和」であると認識しなければなりません。
 バナナが一番贅沢でご馳走だったあのころが、実は一番「平和」だったのかもしれません。