【お金にもならないことを・・・】ボランティアなんて、自分の時間を使って何の為にやるんだ?。無言の圧力みたいなものがあるから止む無くやってる。などと考えるのも自然なこと。そんなものは行政がやるべきじゃないのか?。なんて声もよく聞く。不幸にも災害ボランティアの活躍の声をよく聞くが、普段の我々の暮らしの中にも地域ボランティアが当たり前にある。写真は毎朝黄色い旗を持って立つPTA、ハンディのある子どもを家から学校まで送り届ける民生委員の方。同じく下校時は各町内会のセーフティウォッチャーの方々も。夜は交代でパトロール。地域の運動会やスポーツ推進、敬老会、お祭り、マラソン大会、子どもの情操教育支援、高齢者世帯・独居高齢者・障害者の支援、地域防災、交通安全指導、地域のコミニティ醸成、高齢者の見守り、健康相談、ごみの適正化指導など数えればきりがない。もちろんPTA、町内会、子ども会、老人会、こども食堂の運営などもすべて地域ボランティアだ。この他、個人の嗜好も加えれば各種同好会だって一種のボランティアだ。
さて、これらをすべて行政が面倒みるとすれば、相当の職員やお金(税金)が必要になる。それに伴って新しいルールも作られる。税金は当然高くなるだろう。大切なのはそもそもこれらは不要なのか、ということ。またこれらの個人でできないことを無くしたり、行政や企業の「仕事」にしたりすると、個人にとっても社会にとっても大きなものを失くすことになるということ。
この答えはいわゆる社会勉強というもので、大人になるにつれて「普通は」分かってくるものだと思う。また、一つでもボランティアに足を踏み込めば、その理解は一層早く、深くなり、その人数が増えれば、住みよい社会や平和の実現に大きく関わると思う・・・つまり、ボランティアとは、お互い様・思いやり・自律・尊敬・感謝の礎の上に成り立つもので、「人はお金だけ持っても一人では生きていけない」ということの気づきへの入り口になるのではないだろうか(^^)