「猫」というと頭をよぎる幼いころの辛く貴重な経験がある。過疎の村の百姓家に生まれた私だが、暮らしぶりはどこの家も似たり寄ったり。当時は家にネズミがいるのは当たり前で、農家にとってネズミは作物を食い荒らす害獣以外の何物でもなく、それを捕って喰うのが「家族としての」猫に与えられた「仕事」であった。その猫だが、子どもを産んだ時に人間の子どもに与えられる辛いお勉めがあった。なんと、大人たちは「箱に入れて、川に捨ててこい」と命令するのだ。ネズミ取りの仕事をしなければならない猫だが「人間の食い扶持(くいぶち)」も余裕などない貧しい生活だ。猫には煮干しを噛み潰してご飯に混ぜ(ネズミを捕るように)最低限の食事を与えるのも、子どもの仕事であった。
【猫は人間と一体になって命を分かち合って生きていたのだ】
ミャーミャーと鳴く、生まれて間もない子猫を3匹・4匹と段ボール箱に入れ、家の近くの沢にかかる橋の上から投げ入れるのだが、そのときの心境は表現しがたい。箱のふたを閉じることができずに、少し開けて投げ入れたのを憶えている。
「ペット」と表現される今の小動物たちだが、その使命、その命の尊さの捉え方は随分と変わったように思う。この豊かな時代に、「人間の心を癒す」という、昔とは別の使命を担った小さな命たち。飼えなくなった、飽きた、などの理由で、ペットが捨てられる世の中。幼かった私が、箱のふたを開けて子猫を川に投げ入れたことと、同じなのだろうか・・大人たちは、何を教えたかったのか・・。後悔と自戒の念は今でも心に沈殿している。