働くのは、お金の為?


【何のために仕事するの?】先日、小学校の学校評議会に出席しました。参考資料としていただいた「校長通信」から引用します。
引用ここから⇒あるアメリカの鉄道会社の社長が、現場の視察に出かけた時の話です。そこには、約10年前、鉄道作業員としていっしょに働いていた友人が今もいて、話しかけてさました。「久しぶりだね!君も随分出世したものだね。10年前は、おたがい50ドルの日給をもらうために働いていたのにね。」社長は答えました。「そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。私は、10年前も今も、この鉄道会社のために、そして世の中の人たちに快適な移動や旅をしてもらうために働いてるんだよ。」⇐(引用終わり、以下省略)
現場労働者を見下している様で、少し展開に無理があり格好が良すぎる話だと感じますが、そこに目をつむれば、平和な現在の日本において働く意義を考える上で、深く共感できます。現在の日本では子どもはもちろん、大人だって、何のために働くか?と聞かれれば、「お金の為」と答えるでしょう。しかし、お金自体に価値はありません。50ドルをもらうために働いている人は、50ドル以上のものを得ることはないでしょう。50ドルもらえればそれでいいのですから、人が見ていないところで手を抜くかもしれません。そういう人は、仕事の内容が50ドルの価値を超えられないのです。もらおうと思って働くか与えようと考えるのか。
もっと、分かりやすく、生々しく言い直せば、50ドルの価値がある仕事を100ドル、1,000ドルの価値にするにはどうするか、ということです。そしてその価値は、会社が決めているように見えるが、会社の価値は世の中の人が決めている、ということです。
仕事とは、お金や生活の為、企業は一部の利権者の為と考えがちですが、決してそうではなく、仕事とは自己実現の場であり、企業はそのための「世の中やお金とのつなぎ役・器・場所」だと考えます。それが分かっている経営者(経営自体が仕事であるのは言うまでもありませんが)の企業であれば、存在するだけで社会貢献なのです。自分の好きなことを仕事にし、嬉々として働き、それで家族が食べて行けるだけのお金を世の中から頂戴でき、子どもにこのことを生き方として伝えていける、としたらどんなに幸せでしょう。
私はこの考え方に立脚できないと、人間社会は崩壊すると考えています。大人の皆さん、「何のために仕事するの?」に答えられますか?(^^)