遠い記憶【村の鎮守のアリジゴク】2,406日目のつぼやき

昨日は発達した低気圧の影響で、千葉市でも強風が吹き荒れた。そんな日の翌朝は、あちこちにごみの吹き溜まりができ、結構難儀する。県道沿いの空き家の軒先にダンボールが飛ばされていた。畳めば、なんとか袋に収まりそうだ。この空き家の軒下には「アリジゴク」がある。最近あまり見かけないので、写真を撮った。「アリジゴク」といえば、子どもの頃、村の鎮守(2012年、帰省した時の魚沼市田小屋の鎮守様の写真)の縁の下に沢山あって、棒や指でチョンチョンと掘り返したり、アリが落ちたときの様子を観察して遊んだものだ。帰省すると、墓参りのついでにこの鎮守様によく立ち寄る。今では訪れる人も年に何人いるだろう。中越地震で崩落した狛犬や灯篭は、だれも台座に戻せるものではなく、地べたに鎮座させるのが精いっぱいで、そのままになっている。それでも、せっせと体の動くうちは、と、屋根やあちこちの修復をしてくれていた親戚の「勇彦さん」も数年前に他界してしまった。荒れ果てた光景を見ると、少なからず心の痛みを感じる。灯篭には、先々々代の「五十嵐勘四郎」の名前が掘ってあることは知っていたが(写真)、これを見るたびにさらなる自責の念に駆られる。これを寄進した先祖の思いとは・・。子どもの頃は、こんな猫の額ほどの鎮守の、年に一度の夏祭りを心待ちにし、その夜は父・母と一緒に出かけ、喜々として赤土でツルツルと滑る急な坂道を駆け上がったものだ。たった一軒の夜店で買ってもらうお面や紙巻火薬のピストルと火薬の燃えた匂い、シャボン玉。梨は長十郎に二十世紀。ブドウは・・ベリーA??。今は遠い、切ない思い出でしかない。昨日、NHKで「消えゆく祭り いま何が」という特集があった。耳が痛い内容であったが、私なりに何ができるのか、考えてみたいと思った。