【人は「自分にできること」をするために生まれてきた】資産家や実業家、俳優や思想家などだけが、選ばれた人間じゃあない。
■1.私はまだ観ていないが、謙さん、映画『Fukushima50』に主演しているらしい。ネット記事(BuzzFeed News)を見て、感銘を受けた。さすが、堂々の生き方だなぁ(^^)/
BuzzFeed News より—・・・2013年11月からは震災で甚大な被害を受けた地域の1つ、気仙沼に「K-port」というカフェを構えている。
「僕に莫大な資金力があれば別ですよ?でも、そんな資金力もない中で、僕の持つ力が最大限かつ持続的に届けられる方法は一体何かを考えた。その答えが、今の東北への関わり方です」このスペースでは時折、ライブやトークショーを開催している。
「お金をたくさん送って、あとは自由にやっていただくという形もなくはないでしょう。でも、僕にできることは所詮、エンターテインメントなんですよ。箱を作って終わり、という関わり方では意味がない」
「いまだに処理水の問題でさらなる風評被害が発生することが懸念されているように、あの事故は決して終わってはいない。終わっていないというより、まだ解決へ向けた入り口に差し掛かったばかり、と言った方が正確かもしれない」
だから渡辺は、あえて苦言を呈す。
「そんな中でね、東日本大震災という出来事が思い出のような形で語られすぎているような気が僕にはするんですよ」
「ポジティブすぎる言い方に聞こえてしまうかもしれません。でも、僕はこのタイミングで改めてあの時、福島で何が起きていたのかを伝え、賛否を巻き起こすことに意味がある、そう考えました」・・・—BuzzFeed News より
■2.小学5年生が背負った重い十字架。これは、大人でも重すぎる・・・それでも・・・
BuzzFeed News より—・・・買ったばかりの靴があったので、それに履き替えようと思い立った。昇降口まで取りに戻ると、黒い水が流れ込んできていた。横からは大きな波が押し寄せる。目の前で大人が5人、津波にさらわれた。1人の男性が雁部さんに向かい手を伸ばした。「その手を掴んだら、自分も死んでしまう」。そう直感し、手を伸ばすことができなかった。男性は波に飲まれていく。目をそらして、雁部さんは階段を駆け上がった。
「なぜ語り続けるのか」。様々な人にそう問われる。そのたび「社会のために語り部として語ってきたわけではない」と伝えてきた。
あの出来事を自分なりに処理するため。それが本心だ。語ることでしか、震災で目にしたことを整理することができなかったと口にする。
あの日から9年、まだ処理できたものは「1割にも満たない」。
節目で出した本、その意味は?
「災害について節目だけで伝えることに批判があるとは思います。ですが、節目だけでも伝えることに意味はある」
「節目ですら伝えなくなったら、誰が思い出すのか?誰が伝えるのか?だから僕は『16歳の語り部』という本が節目に出された典型的な震災ものの本として消費されても構わないと思ったんです」
「結果的に消費されたとしても、読んだという事実、伝わったという事実は残る」、そう信じる。・・・—BuzzFeed News より
■五十嵐:資産家や俳優、特殊体験者(被災者など)、思想家、など、特別な人間のすることだ、と考える向きも多いだろう。
だが私はそうは思わない。誰かの陰に隠れて用意された石を投げる人間よりも、石をぶつけられることになっても、一人の人間として、日の当たる場所から、自分以外の為に自分ができる限りのことをしたいと思う。それが、一人の人間として生を授かった恩返しにつながると信じて・・・。