【「いのち」のリレー】故郷の神社にて。

【「いのち」のリレー】故郷の神社にて。
『私たちは「歴史という駅伝」をバトンを持って走るランナーだ』
自分で思いついた言葉だが、結構気に入っている。
1か月ほど前所用で故郷を訪れ、子どものころ夏祭りを楽しみにしていた神社を参拝した。
冬囲いのまま・・・今は荒れ果て、誰がお参りするだろうか(・・・責任の一端は、自分にもある)
石灯籠の刻字には、私の3代前(今の屋号で私は5代目)の「五十嵐勘四郎」の名前と明治21年、行年45歳と記されている。確かではないが明治21年に44歳で寄進したと仮定すれば、生まれたのは江戸時代「天保14年」(1844年、177年前)となる。
私はこの先祖がいなければこの世に生まれていなかった。また、この先祖の生き様は、間違いなくその親から受け継がれ、その子育てや語り継ぎで今の私に繋がっている。そしてそれは、今の私と、私の子どもたちの将来にも繋がっていく。
歳のせいか「因縁」について考える。今考えれば、宗教用語でもないし難しい言葉ではない。
今の生き方が、先々(何十年、何百年経って)どこかに形となって現れるのは、実に科学的だと思う。
誰もがいきなり始まった訳ではないし、一人では生きていけないし、未来に責任があるのだ。