【生きるのが精いっぱい、社会が悪い、邪魔・・・だから、ポイ!】これらはやがて海へ・・・そして・・・
①橋のガード下で食事をしてポイ!土手を散歩しながらポイ!橋の上からポイ!。信号待ちでポイ!。風に乗って川面に落ちるポリ袋。側溝から川に流れ込むペットボトル。
②私はそこらにポイはしない。定められた資源ごみの回収日に、定められた方法で処分する・・・が・・・
①と②に大きな違いはない。罪は同じだ。
人間は常識やマナー、道徳に頼って暮らし、それらが腐って手に負えなくなると「ルールや法律、罰」を作り出す。そしてそれを盾に(人間だけの)正義を語る。まさに理屈(頭)の世界である。そしてそれは「矛盾」(=人間の身勝手)だらけだ。
理屈には内包し得ないものがある。宇宙、大自然から授かった自他の命への敬意である。
無宗教の私が長年(19年目)こんなことをしながらたどり着いたことを、誤解を恐れずに言ってみたい。
理屈は人間が人間に都合の良いように作り出したもの。それにすがって生きていては、生物として自身の命を生きていないことと同じ。
頭ではなく、生き物としての肚(はら)で生きてみたいものだ。土台に肚(はら)があり、その上に「頭」がある。
・・・人間が生物の一種類として宇宙に永く存在し続けることの、絶対条件だと思うが・・・
核戦争については、人間の愚かさが招いたということはだれも疑わない。なにを意味不明な・・・と思われる方が多いだろうが、今世界を襲っているウィルスの脅威も、実は根っこは同じではないだろうか。
さて、日本人にとって何度目かの秋が来る。そして、人類にあと何度来るかは、人間一人ひとりの「肚」(はら)にかかっている・・・と思う。