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【自治会長の仕事】

【自治会長の仕事】集会所の玄関先の通路をコンクリートで整備したのはいいが、道路まで少しある傾斜で高齢の方が手押し車で転倒する事案が発生。急遽、注意喚起の路面ペイント。雨の合間を見ての素人作業が、なかなかうまくいきませんでしたが、なんとか・・・(^-^;

【馬で来て、牛で帰る】

【馬で来て、牛で帰る】妻の実家へお盆のお参りに。今はあまり見かけないだろうか・・・早く来て、ゆっくり帰って、というご先祖への想いが、今は分かる歳になりました。我が家の仏壇には、故郷の親戚が送ってくれた百合の花を供えました。様々に感謝の夏休み、お盆の季節がやってきました。

【数ケ月の準備が、パー!】

所属するNPOが毎年開催し15回目になった、川に親しんでもらう企画「アドベンチャー都川」だが・・・この3連休、今年は天候不良の為、やむなく中止。子どもたちに見てもらう予定だった鮎は塩焼きに(^^;空き缶を使ったご飯炊きも、自分たちで楽しんだのです・・・あ~~~残念。

【沈黙の春】

【沈黙の春】60年近く前に出版されたレイチェル・カーソンの名著である。化学物質による環境汚染により、花も咲かず、鳥も鳴かない春になる・・・。少し違うかもしれないが、今朝はそんな単語が頭をよぎった。いつもより10分遅く家を出たのだが、行きかう中学生や大人達に挨拶しても、何の応答も返ってこない・・・。応答もなく追い越していった中学生を見ていると、その先で追い越す生徒同士も無言だ。ごみ捨てに向かうお婆ちゃんが、かろうじて「おはようございます」を返してくれた。お蔭で少し、元気になった。スーパーの駐車場には、無造作にコーヒーの空き容器と紙オムツが捨てられていた・・・。私は子どもたちには、沈黙の春は見せたくない。

【慣れてしまった大人たち。さだまさし「遥かなるクリスマス」】

【慣れてしまった大人たち。さだまさし「遥かなるクリスマス」】雨や仕事の都合などでできなかった朝のごみ拾いが5日ぶりにできた。3,275日目である。今日は多い・・・誰も構わないのか、5日分のごみ達が待っていてくれたのだ。大人達は路上に散乱したごみなどに目が慣れてしまったのだろうか。それとも、綺麗に越したことはないのだが、忙しいし、行政か誰かがやってくれるだろう、かな?さだまさしの歌の一節にこんなくだりがある・・・「子供の瞳は 大人の胸の底を探りながら じわりじわりと壊れてゆく」・・・SNSには綺麗な景色や花々、おいしそうなご馳走が溢れている・・・今日もごみだらけの通学路を、未来の大人たちが学校に通っていく。

【記念写真】

【結婚37年】写真スタジオに勤める長女が記念写真を撮ってくれました。妻、家族、親戚、縁者、ご先祖、全てに感謝です・・・(最後の写真は23年前の長女です。23年前に見ていたものが現実化してきたようです(^^))

タバコ、、、の吸い殻・・・

【高いお金を出して買って、吸って、健康を害して、道端に捨てる・・・】東京の港区では、こんな方々が吸い殻を拾っています。おかげで、駅前でも道路は綺麗です。でも、手に持った袋を見ると、結構ありますねぇ・・・

【丸山穂高議員について】

【丸山穂高議員について】丸山議員を庇う気持ちは1mmもない。むしろ、この問題だけに関していえば、この後の自分の意見すら空しく感じるほどだ。しかし、言わねばならない。前代未聞の糾弾決議の丸山議員であるが、「議員を強制的に辞めさせる仕組みが必要」との一部の意見には(それが国会の仕組みを指すのであるならば)反対である。あくまでも選挙で選ばれた議員であり、進退は選挙で決せられるべきであろう。本人が辞職を否定している以上仕方がないが、このまま議員活動ができるか否かも、選挙民次第だと考える。民主主義なのだから、国民が選んだ議員を、国会で辞めさせるような仕組みは、おかしいと思う。もしそのような仕組みができるとしたら、多数派勢力による少数派排除もできる国会となってしまう恐れがあるからだ。東京大学卒、経済産業省、松下政経塾、とエリート中のエリートで、表街道の日当たりの良いところを歩く人間を無条件で(というより、その経歴を見て)選んでしまう選挙民の気持ちもわかるが、ここは、民主主義の象徴である選挙制度を貶めない為にも、自分たち選挙民の猛省を促したいところだ。こんな人間には、我々の代弁をしてほしくない、が私の本音である。

コンビニエンス!便利の裏側・・・


【コンビニエンス😔】今や世界一のコンビニ大国、日本。その数は55,000店を超えている。その歴史も45年を超えている。まさしく「便利」なのは言うまでもない。(余談だが、私の子どもの頃は一番近くの小さな小さな商店まで歩いて片道30分はかかった。それも隣村のこと。)
最近ニュースでも報じているが、人手不足により24時間営業できないお店が営業時間を短縮したところ、フランチャイズ本部から契約違反とされてしまった、とのこと。この例に限らず、深夜の幹線道路や生活道路で、ポツンと灯りを点けているお店を見る。交通量が多ければ商売になるだろうが、甚だ疑問なお店も多い。煌々と明かりを点け、人を雇い、エネルギーを消費している。
他方、商品廃棄の問題もある。鮮度管理を重視する余り、賞味期限に拘り過ぎ、廃棄の山となることも多いらしい。これも本部から「値引き販売禁止」されている為、売り切ることすらできない場合もあるようだ。(飼料の原料とする場合もあるようだが)
プラスチックごみの問題もクローズアップされるが、コンビニで販売される商品も多いことは言うまでもない。
はたして「便利」とはなんだろう、と考えてしまう。無駄なエネルギーを消費し、過酷な労働を強い、捨てる必要のないごみを排出する。これを求める現代、日本文化、とは、いったいなんだろう?と考えさせられる・・・。

働くのは、お金の為?


【何のために仕事するの?】先日、小学校の学校評議会に出席しました。参考資料としていただいた「校長通信」から引用します。
引用ここから⇒あるアメリカの鉄道会社の社長が、現場の視察に出かけた時の話です。そこには、約10年前、鉄道作業員としていっしょに働いていた友人が今もいて、話しかけてさました。「久しぶりだね!君も随分出世したものだね。10年前は、おたがい50ドルの日給をもらうために働いていたのにね。」社長は答えました。「そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。私は、10年前も今も、この鉄道会社のために、そして世の中の人たちに快適な移動や旅をしてもらうために働いてるんだよ。」⇐(引用終わり、以下省略)
現場労働者を見下している様で、少し展開に無理があり格好が良すぎる話だと感じますが、そこに目をつむれば、平和な現在の日本において働く意義を考える上で、深く共感できます。現在の日本では子どもはもちろん、大人だって、何のために働くか?と聞かれれば、「お金の為」と答えるでしょう。しかし、お金自体に価値はありません。50ドルをもらうために働いている人は、50ドル以上のものを得ることはないでしょう。50ドルもらえればそれでいいのですから、人が見ていないところで手を抜くかもしれません。そういう人は、仕事の内容が50ドルの価値を超えられないのです。もらおうと思って働くか与えようと考えるのか。
もっと、分かりやすく、生々しく言い直せば、50ドルの価値がある仕事を100ドル、1,000ドルの価値にするにはどうするか、ということです。そしてその価値は、会社が決めているように見えるが、会社の価値は世の中の人が決めている、ということです。
仕事とは、お金や生活の為、企業は一部の利権者の為と考えがちですが、決してそうではなく、仕事とは自己実現の場であり、企業はそのための「世の中やお金とのつなぎ役・器・場所」だと考えます。それが分かっている経営者(経営自体が仕事であるのは言うまでもありませんが)の企業であれば、存在するだけで社会貢献なのです。自分の好きなことを仕事にし、嬉々として働き、それで家族が食べて行けるだけのお金を世の中から頂戴でき、子どもにこのことを生き方として伝えていける、としたらどんなに幸せでしょう。
私はこの考え方に立脚できないと、人間社会は崩壊すると考えています。大人の皆さん、「何のために仕事するの?」に答えられますか?(^^)

雑草、されど、雑草・・・

田の草取り【・・・されど、雑草・・・】
「雑草と いう名の草は 無いという コナギオモダカ つぶやいて取る」
コナギ、オモダカ、クレソン・・・「雑草」という名の草はないとはいえ・・・やはり、抜きます・・・😅

【エシカル】って、知ってますか?

【エシカル】って、知ってますか?
ネイティブ・アメリカンの言葉があります。 「この地球は、先祖から受け継いだわけではない。未来の子どもたちからの借り物だ。」
いつの間にか利己的な生き物になってしまった「人類」。地球環境を守るのも壊すのも「人類」次第、となっています。今、考えなければならないのは「未来」です。人類が考えなければ、人間の子どもたちはもちろん、人間以外の動植物や、地球環境のすべてが、それこそ(私は無宗教ですが)「神の手」に委ねられてしまいます。今の私たちが、ほんの少し自分以外(他の生物、自然環境、社会(自分以外))の事を思いやり、そして行動する(考えてから買う、考えてから捨てる、考えて行動するなど)ことができれば、世界は間違いなく変わるのです。
「エシカル」とは「法律」ではなく「良識」に基づくこと。行ってみれば、人間であることの根幹かもしれません。私たちが変わらなければ、何も変わりません。政治や科学が何とかしてくれる、というのは危険な妄想でしかありません。
日本人は、古くから村社会を基本とする共生・共存の精神や、大自然を神として信仰するなど、「エシカル」が当たり前だったのです。
利己から利他へ。あなたも、生活を少し「本来の人間らしく」、変えてみませんか?(^^)

同郷のママ(^^♪

同郷のママ【ここに来ると、朝まで飲んでしまうのです(^^♪】ジャガイモの煮つけは、皮が付いたまま!そして、故郷のイノシシ料理!。。楽しくて、時を忘れてしまう・・・が、後で、妻に怒られる😁]

 

【浜松町金杉橋口と日本人】

【浜松町金杉橋口と日本人】3階の高さの階段がある。この歳になると毎日のことだが、特に上りが辛い。ところで、毎朝、この長い階段を左側2列が下り、(誰もいなくても)右側1列を上りとして空けて整然と歩く日本人の行儀良さが私は好きである。帰りは逆に上りが多いのだが、やはり下りの一列が誰も歩いていなくても空いている。よその国ではどうだろうか。私は、この日本人の気質が、廃れてはならないと思う。