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【雪原をスニーカーで歩く!?】凍み渡り

子どもの頃の春先の遊びで「凍み渡り=しみわたり」ほど気持ちが良くて楽しいものはなかった。新潟は魚沼地方。3月に入り春の息吹が感じられ本格的な雪解けのころ、良く晴れた、それでも気温はまだまだ凍てつくようなある朝・・・日曜であれば文句なし!の「凍み渡り」日和だ。お昼前までの時間勝負。それこそ朝飯などは忘れて外に飛び出したものだ。
ご存じない方は「雪」と言えば冬の間、野山を全て覆いつくしている柔らかく冷たいもの、と考えるだろう。ところがこれが春先になると、日中に上層部が融け、融けた水分は下層部に滲み込み、これが夜の冷気で固く凍り、朝には人間の体重などではビクともしないほど固く凍りつくのだ。こうなれば厳しい冬の間人間を拒んだ雪原はもちろん、雪山の山頂までだって、スニーカーでも登れるほどの、大人でもワクワクするような雄大な遊び場になるのだ。
どこまでも続く雪の野原、息を切らして駆け上る山の斜面。一山登って一気に谷へ駆け降りては、普段麓からは見れないその向こうの山の斜面をまた駆け上る。山頂からの雄大な眺め・・・あ~~~・・・今思い出してもゾクゾクする!
それでもさすがに雪国の子。あまり遠出しすぎて、帰りの時間を計算に入れないようなことはなかった。日が高く上り雪面が緩んでしまえば腰まで埋まる恐ろしい冬山に戻ってしまうし、春先は雪崩も怖い。また雪が覆って見えないが、下に水が流れる沢は、上から踏み抜いてしまい転落すれば命取りになる。春先の雪山を甘く見てはいけないのだ・・・。
あ~~、私がもう一度「凍み渡り」をする日は来るのかなぁ~~~(^^♪
写真は「魚沼伝習館」のホームページより転載しました。
http://www.uonuma-denshukan.com/archives/1304

【早く「来年のお正月」が来ないかなぁ😁】

【早く「来年のお正月」が来ないかなぁ😁】暮れには仲間と餅を搗き、正月には独立した3人の子どもたちと(コタツで)久しぶりに家族そろってお雑煮を食べ、地域の新年会で気のおけぬ方々と楽しいひと時を過ごす。年男であり節目の年だと思っているが、人生初めてと言っていいくらい、落ち着いたお正月でした。
気が早いが、早く次のお正月が来ないかなぁ😅

【「必ずしも結婚する必要はない」は30代が88%】

NHKの「日本人の意識」調査
【「必ずしも結婚する必要はない」は30代が88%】「結婚しても、必ずしも子どもをもたなくてよい」と答えた人が60%。
(日本では)人間一人づつ(=個人)からすれば、結婚や出産については自由であり、それについて第三者からとやかく言われる筋合いはないことは充分承知しているし、様々な事情があることも理解しているつもりだ。
しかし、このNHKの調査の結果について、「日本の将来=子どもたちの未来」という観点から大きなショックを受けている。
「必ずしも結婚する必要はない」、「結婚しても、必ずしも子どもをもたなくてよい」という考え方は、まさしく「今風」で「時代の流れの必然」とも思える。
現代人(特に若者)がそう考える(そう生きる)のも無理はなく、今や「家」(家系)を中軸にした世襲や政略結婚は、とうに歴史の中の悪習でしかないようだ。現代では「恋愛」も含めて、それらの「しがらみ」は「個性」や「自由」にとっての邪魔者でしかないのだろう。そしてそのしがらみのない個性や自由を実現するのに欠かせないのが、ITに代表される現代の科学とそれらの産物による快適な暮らしである。これらが中心となった「経済」があれば、しがらみ無く、自由に、気ままに、楽しく生きて行けるのだ。特に人間という生き物は「快楽」を求めることには際限がない。おそらく、それに歯止めをかけるのは不可能であろう。(戦争が歯止めとなることは考えたくない)
しかし、結婚をせず、結婚をしても子孫を残さない、という生き方が増えることは、分かりやすい結果を招く。若く、面白おかしく、気楽に暮らしているうちはまだいい。どんなに科学が発達しようが、生き物はやがて年老いていく。このままでは、50年、100年もすれば、年老いてからふと振り向いたところには「若者」の姿はなく、老い先短い高齢者だけ(正しくは、若者が減り、人口も減っていく)になるのだ。 2017年の人口推計でも、楽観的に見ても50年後は現在の1億2千万人強から9千万人弱まで減ることが予測されている。
これはあくまでも楽観値(最新の統計では生涯未婚率は男性が23.37%、女性は14.06%)で、悲観的に見てこのNHK調査(仮に30代の生涯未婚率が88%と考えてみる)のようなことになれば、荒い計算をしてみても50年後に人口は1/10になるかもしれない。
人口が減る、ということは生産や消費が減るということで、国力の衰退とも直結する。仮に1/10にでもなろうものなら、他国からの侵略を受けたり、侵略ではなくても国ごと身売りするような事態となるかもしれない。それとも、外国人の血が混じり、純粋な日本人などいなくなるのか、或いは、AIによる機械が支配するSF映画のような世界になるかもしれない・・・。
「個性」や「自由」、「血縁や子孫」、「しがらみ」とはいったいなんであるか、特に若い世代には深く考えてもらいたい。自分たちの近い将来のために・・・
画像は転載です。

追記<生き物とは、種の保存が基本だと思うのです。そして人間に限っては、それにプラスして「知性・愛=魂(霊)」が伴う。命を受け継いで生まれ、譲り渡して死んでいく。決して一人ではできない、尊い命の循環のなかに、一人では成しえないが故、自分以外への感謝と尊敬、愛が生まれ、それが生きる糧となる。これこそが「人間の証明」だと思うのです・・・

3,157日目のごみ拾い【タバコを吸っている人を注意すると・・・

3,157日目のごみ拾い【タバコを吸っている人を注意すると・・・無法地帯!?千葉駅】千葉市では駅・道路などの公共の場所に限らず、店舗などを含め「路上喫煙・ポイ捨て防止条例」、「受動喫煙防止条例」によってポイ捨てや喫煙が禁止されている・・・だが千葉駅でほんの30~40分ごみを拾うだけでご覧の有様である。今朝も駅前のロータリーで腰かけて空き缶を灰皿にしてタバコを吸っている中年の男性に「ここは禁煙ですよ。吸い殻を片付けましょうか?」と声をかけた。この方は「ア、そうですか」とすぐに消してくれたが、こんな方ばかりではない。「お前は何の権利があって取り締まっているんだ!」などと、捨てゼリフ&捨て吸い殻で怒鳴られることもある。路上や掲示でこれだけたくさんの注意書きがあるのに、公共マナーを守れない大人たち。そんな大人たちの中で育つ子どもたち。この国の未来が心配である・・・

3,152日目【好奇の目に晒されて(^_-)-☆】

3,152日目【好奇の目に晒されて(^_-)-☆】毎朝、地元でバスに乗る前、千葉駅でバスを降りてから電車に乗る前、それぞれ30分程度のごみ拾い&挨拶活動である。地元では顔を覚えられ、そんなことは少ないのだが、千葉駅ではそうはいかない。「まあこんな雑踏の中で物好きな」という好奇な目のほうが多いと思う。さすがに一人づつ顔を見ながらではないが、「おはようございます」と言いながら駅前で人々の足元のごみを拾っている。挨拶が返ってくるのは数百人に一人であろうか。時々は「おはようございます」や「ご苦労様です」が返ってきて、超うれしくなる(^^♪・・・そんな日は、元気なスタートが切れるのだ。皆さんは、ゴミだらけの駅と、きれいな駅と、どっちがいいのかなぁ?それともゴミなんて、目に見えないんだろうか?行政や企業の仕事だろう、と考える人も多いかもしれない。
私は、自分ことが精いっぱいで、足元のゴミや草木・花々、街の景観やお年寄り、子らの様子などが見えなくなった人々が暮らすような国は嫌である。そんなことの積み上げが、犯罪やテロ・戦争さえ引き起こすとまで考えている。せめて家族や隣人が暮らす街くらいは、綺麗にしたいと思う。それが自分にできること、だから。

【餡子(あんこ)のプールで泳ぎたい妻】

【餡子(あんこ)のプールで泳ぎたい妻】妻のこんな願望(夢?)」を聞いたのは、いつのことだったか・・・。それほど甘いものが好きなのだ。「あれから40年(^^♪」・・・小柄だった妻の体型がどうなったかは脇に置いて、知らず知らずに妻の好みに染まって(染められ、洗脳され)いく私であった。「似たもの夫婦」、「夫婦対鏡」という言葉もあるように、良くも悪くも、夫婦はお互いを鏡のように映し合いながら向かい合い、ぶつかり、笑い、泣き、悩みながら経験や思いやり・愛を深めていくものだ。田舎育ちで、塩辛いものが大好きであった私も、妻の「減塩作戦」に見事にはまり、今では「これ、少ししょっぱすぎるかなぁ」なんて私が言い出すほどだ。もっと困ったことに、かつては最中(もなか)が大嫌いだった私が、食事が済むたびに「なんか甘いもんないかなぁ」なんてオネダリする私を作り上げたのは、妻の責任である(^^♪

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【恥ずかしい話ですが・・・】

【恥ずかしい話ですが・・・】皇太子様と同世代であるにもかかわらず、これまで、あまりにも象徴天皇制度に無関心な私でした。そんな私でも、平成天皇の最後のお誕生日会見には心打たれました。日本国民と、初めて民間から迎えられた皇后様への深い愛情が溢れ出るご会見でした。今さらですが、一国民としてこころから感謝したいと思いました。写真は転載です。

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【終業式も終わり、いよいよお正月】

【終業式も終わり、いよいよお正月】中学校では、陸上部の生徒が欅の落ち葉掃き。年が明ければ3年生は卒業の準備で、あまり学校へは姿を見せなくなる。進学、進級。世代交代・・・冬至も過ぎて、新たな春に向かう準備である🙂

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【2日早い、ゴミ拾いサンタさん】

【2日早い、ゴミ拾いサンタさん】毎年恒例、ゴミ拾いサンタさんを一人でやりました。(撮影は電車に乗って出かける前の妻です。)地元では信号待ちの車から子どもが手を振ってくれる。別の車の窓が開いて「サンタさ~ん」と呼んでくれる。千葉駅では親子連れの小さな子どもから「ケーキ持ってないの?」と聞かれ「その代わり、きれいな街をプレゼントするよ」なんて会話も。子どもたち、少しは「元気」になってくれたかな・・・昼過ぎに終えたが、直後から雨が降りだした。明日は晴れそうなので、もう一回やるぞ~😄

【ふるさとは遠くにありて・・・】

【ふるさとは遠くにありて・・・】故郷を出た人間にとって、故郷を思い出させるものベスト3。「1.方言 2.歌 3.酒」
米どころ・水どころ新潟。わが故郷のお酒は数多あるが、それでも魚沼生まれの私にとってごく身近なお酒が、「玉風味」、「緑川」、「八海山」である。先週末の地域の忘年会で、地元の中学校の前校長先生が差し入れてくれた日本酒「緑川」には感激しました。どこにいても、故郷は忘れがたいものです・・・ありがとうございます☺️

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こんなお屋敷に住んでみたい!

【2019年賀状はこれでキマリ!】わが邸宅前で妻と撮ったものです・・・ウッソで~~~す!!今月、埼玉県にある日興証券創始者の遠山元一邸(重要文化財)を見学した時の記念写真です。こんな邸宅に住んでみたいなぁ、はああぁぁ~~・・・と、妻とため息をつきながら見学しました。おっと、他人を羨むとは、イカンイカン😌

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何倍に薄めますか?【カルピス100年】

みなさ~ん。何倍に薄めますか?【カルピス100年】2019年は発売100年になるらしい。子どもの頃は貴重品で、もったいなくて、少なくなると何度も水を足して薄め、しかも小さなスプーンですすりながら飲んだ記憶があります。粉末のジュースや炭酸(ソーダラップ)なんてぇのもあったんだなぁ😄ごみ拾いも3,146日目になりました。

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【中国に喰われて消滅するか日本!?否、我々にしかできない対抗策はある!!】

【中国に喰われて消滅するか日本!?否、我々にしかできない対抗策はある!!】
冗談ではなく、深刻な懸念だ。中国はかつて眠れる獅子と呼ばれていたが目覚め、今や経済はもちろん軍事力でもアメリカを脅かし、世界を席巻する勢いの超大国である。中国は「一帯一路」構想の名のもとに「金」にモノ言わせて発展途上の国や国交がある国をことごとく借金で縛り付けようとしている。また南シナ海への強硬進出に見られるように、世界のモラルを全く無視した軍事力強化の暴挙に出ている。
中国資本の台頭は対岸の火事ではない。高度成長を終え、少子高齢化の一途をたどり弱体化していく日本経済への中国資本の浸食は凄まじく、日本各地で中国資本による日本国土や日本資本の買い漁りが深刻化している。それは日本文化を代表する京都でも例外ではない。https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20181023000091(京都新聞より転載)
中国資本が進出するということは、中国文化が侵食してくる、ということだ。中国人観光客が去った後の観光関連施設のゴミの山は、各種メディアでもたびたび話題になっている。金権主義、自己本位、規律無視・・・中国文化(特に人民のモラル)は日本人のそれとはまったく異なるもので、かつて儒教を日本に伝えた国とは思えないほどその趣を異としている。
こうは言ったが、別に中国や他国の文化を否定しているわけではない。日本人は神道や武士道を基にした歴史と風土で、儒教の教えを独自に昇華した、世界に冠たる倫理観を持った民族だ(った)、が・・・なんのことはない、当の「日本人」の文化(特にモラル)が薄れ、崩壊しかけているのだ。
「和を以て貴しとなす」という言葉でも表されるのが日本文化(昨今、「和」を「仲良く」と勘違いする向きも多いようだが)である。「個性」を重視するのが昨今の風潮のようであるが、今のそれは「欧米化」と言い換えても間違いではないだろう。日本の歴史や風土に根ざした芸術や祭事、生活習慣、先達の教え、道徳・・・を蔑にしてはならない。それは間違いなく自分たち日本人の色を消していき、日本の消滅を意味するものだ。
国境、人種、宗教などが「壁」と呼ばれ、まるで悪のように言われることがあるが、(差別など、全てを肯定したくはないが)人間であるが故の、仏教で言うところの「業」(=人間としての行為)というものではないだろうか。グローバル化と言われているが、世界中が全くの平面に置かれてしまったら、「個性」もなにもあったものではない。(またそうなっても、どうせ「人間」のことであるから、欲得や権力欲、支配欲によって、もっと醜悪な壁ができる、あるいは「破滅的な」道を辿ってしまう気がする。)
「壁」があるからこそ「違い」があり、己を己として律していけるのではないだろうか。
違いを違いとして尊重し、支配せず、比較せず、妬まず、羨まず、多くを望まず、「和」を尊び、歴史(仏)に学び、自然(神)を畏敬する。これが真の「日本らしい個性」だと信じる私は、変り者であろうか。
国民一人一人が自分の足元を見つめ、日本文化を見直し、歴史を尊び、自分の生い立ちに感謝し、これを継承する。これこそが他文化の浸食を防ぎ世界平和へ日本として貢献し、日本が日本であり続ける、唯一の道であると信じている。
・・・長文、ご容赦😔

【大きな家族で、今年もサンタになれた幸せ】

昨日は私が家族会長を務める特養のクリスマス会でした。私の子どもの頃は「クリスマスって何?」・・・そんな時代の、しかも山間の農家の事で、まったく記憶がありません。しかし、こうやって母がお世話になった施設で、大きな家族のようにクリスマスを祝うことができたことは、自分の子どもたちが大きくなった今の私には、この上ない幸せなひと時でした。今年もサンタクロースの衣装が役に立つころになりましたネ。すべての人たちに、温かいひと時が来ることをこころから願います。☺️

【人生相談】(^^;

【人生相談】悩んでいます。私は異常でしょうか(^^);
雨が降るとよく見る、お店の入り口に用意される傘袋(使い捨て)の事なんです・・・使い終わった袋は、出るときに同じ場所のごみ箱に捨てるようになっています。私はどうしても新しい袋を取る気になれず、他人が使ったものをそのまま使ってしまうのです。妻に言えば叱られるか、軽蔑されるでしょう。ここまでやると、私は病気か変人でしょうか・・・今日も100円ショップでやってしまいました・・・😱🤨😅

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