【与えられた時間に感謝して】中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聴きながら・・・
救急病棟のベットで3日目の目覚めを迎えた。あっという間に世界中に蔓延した新型ウィルス感染症による緊急事態宣言の影響で面会は一切できない、そんなご時勢だ。
3日前に救急搬送してもらったが、今は状態が落ち着いて痛みもない。昨日は「仕事上の月の締め日」ということもあって、家族に届けてもらったパソコンを広げ、バタバタとした1日であった。そもそも、3日前は仕事などできる体調でなかったこと、そして少し良くなっても、仕事などできる環境でないことから始まり、仕事を始めてみれば普段なら当たり前の「印刷」や「押印」、「スキャン」、「郵送」といったことですら、一人ではできない情けない状況に、改めて「五体満足」という言葉を噛み締めた。
しかし、それよりもっとゝ大事なことに気づかされた。
今更ながらに、人間は「一人では生きていけない」ということ。
妻や子供たちが協力し合って、身の回りのものを揃え、届けてくれた。家族にとっては自分以外の人間の我が侭なリクエストが、自分の日常に容赦なく割り込んで来た訳だ。それが元で「イライラ」したり「ぶつかり合う」ことすらあるだろうに・・・ありがたいことだ。
病院でもそのことが痛感させられる。私のような消化器系の病気は表見には普通で、体も動かせ、排せつも洗顔も着替えも、何でも自分でできる。容体が落ち着いたからではあるが、余裕ができると看護師をはじめ医師、清掃、薬剤師など医療スタッフの方々の心のこもった行き届いたケアサービスにこころが洗われる思いだ。とても「仕事だから」などという言葉で置き換える気にならない。
昨夜、点滴の注入口のソケットが緩み薬液がもれていることに気づいた。ナースコールをしたところ、夜間対応の若い女性看護師さんが駆けつけてくれた。様子を見てすぐに申し訳なさそうに「すみません。新人で私には対処できそうにないので、別のものを呼びますのでしばらくお待ちください」と詫びた後、先輩看護師とともに対処してくれた。深夜、眠れずにいた私は、様子を見に巡回に来てくれた同じ看護師さんに問うてみた。
「大変なお仕事ですね。ありがとうございます。夜間当番は何時間くらい働くんですか?」彼女は点滴をチェックしながら「え~~と。16時から9時までですから・・・・」私は頭の中の時計を回して計算してみた。「え~~~!17時間もあるじゃないですか!!」「でも2時間は休憩できます」「それでは、3日くらいは休めるんでしょ?」「う~~ん。今週は1.5日ですね」・・・私は絶句した・・・。
新型ウィルスで医療現場は未経験の状況に見舞われている。挙句、感染を恐れる余りあろうことか「感染するから近寄るな」といったバッシングすらあるという。ここ2か月ほど私は野次馬的に「酷い言葉をかける人間もいるもんだ。医療現場で働く人たちがあるからこそ、我々はこんな状況でも元気に暮らしていられるのに・・・」などと考えながらも、他人事として暮らしていた。
しかし、いざその渦中に(新型ウィルスではないが)そのサービスを受けることになると、まったく別の思いが湧き上がってきた。
これは他人事でなない!ウィルスが発端ではあるが、政治、経済、環境問題、そして現在の人間たちのあり様に突き付けられたシナリオ通りの試練ではないだろうか!?
他人事のように考えていた私自身、大事なことに気づいていなかったのだ!この事態は、わが身のこと。人間一人一人が他人事と考えている限り、真の解決はないのではないか!?
一人ベッドの上で心を静めて己に問うてみた。
父のこと、母のこと、今の家族、祖父母、親戚、ご先祖、友たち、生まれ故郷のこと、私に関わってくれた人々、大自然・・・何一つ欠けても今の私は無い!!
「人は一人では生きていけない。いや、人は人や大自然と生きるためにある」
私は何を遺して、何を引き継いで命を全うできるのか。
政治が悪い、誰が悪いなどと己を庇い偽って生きるより、万象総て引き受けて生きることができたなら、なんと自分本位に背負ってしまった荷が軽くなるであろうか・・・
家族が届けてくれたイヤホンをスマホに差し、愛用の音楽プレーヤーを立ち上げた。通勤途上のBGM用に溜め込んでいたもので、ジャンルを問わず2,000曲近くある曲の中から、最初に流れてきたのは中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」だった。聴き入っているとなぜか、涙が溢れた・・・。
相部屋の患者さんと看護師の会話が漏れ聞こえてくる。「○○さん、息子さんが何か欲しいものがあれば言ってくれ、ですって」・・・
点滴だけで3日間何も食べていない。無性に妻の作る手料理が食べたくなった・・・。