【躾や学校・本で学ぶもの=倫理・道徳=理屈=既製品。それを超えるもの=?】
人に迷惑をかけない、思いやり、言葉遣い、ルール・マナー、社会常識、・・・これらは、親や学校・本やメディアなどの教育、自身の経験によって身につく理論・理屈であり、真似事であり、つまり固有の人間のものではない。いわば規格・既製の衣服のようなものだ。人間である以上、衣服を着、火を使い、言葉を話し、社会生活を送る。生を受け、義務教育を終え、親から離れ、社会人となり、様々な経験をしながら知識を重ね、生きることの糧とし、やがて死を迎える。これが大多数の人間の生き方のような気がする。
しかし、人間、もう一段ある、と最近考えている。既製品、規格品のまま、人生を終えることが人間の真の姿なのだろうか。人間には其々、倫理・道徳(=理屈)を超えて備わったものがあるのではないだろうか。学問・理屈・知識は学ぶものであり、これを備えて尚、その人固有のものがあるのではないだろうか。
当たり前のことだが、理屈は頭で考えるもの。これは後天的なもので人真似(まね)であり、規格品であり、自分自身ではない。本当の自分は「頭」ではなく「腹」の奥底に沈んでいるように感じる。
一通りの理屈を身に付けた今、さらなる知識を身に付けるのはもちろんだが、自分の「腹」に問いかけてみることを試してみたい。
無宗教の私だが、最近、「禅」の本を読み始めた。さて、どこまで「腹」に問いかけられるか・・・(^^)
それにしても、「理屈」さえ備わっていない人間たちのなんと多いことか(;_;)