【学校教育の限界】

【学校教育の限界】路上ごみを拾っているとつくづく考える。人類が作り出すものは、その目的を真っ当したとき、あるいは必要なくなった時のことを考えていなかった。ただ、目の前から見えなくなればそれでいい・・・という考えだった。その残骸は間違いなく、どこかに蓄積されていただけなのに・・・。昨今、機運は高まってきたが、それでも消費者は他人事で、相変わらず様々なものが作られ、捨てられていく。私たちの地球環境は荒れる一方だ・・・。
「ポイ捨てはいけません」なんていう倫理道徳の授業では、どうにもならない。物事をすべて他人の責任にする生き方を筆頭に、生きていること、生きていられること、尊敬、感謝、悲しみ、愛すること、を自分のこととして一人ひとりが腹に据えないといけない。家庭・家族や家系、歴史、文化、地域社会、世情について、自分にも責任がある、と考えなければならない。
この歳になると分かってくる。つくづく「教育」には限界があり、その土台に「愛」がなければ、ダメなんだなぁって・・・。
ああ・・・今日も「責任転嫁」の産物が路肩に転がっている・・・(;_:)