【お金を払ってボランティア?】

千葉駅前のごみ拾いだが、平日は通勤電車に乗る前なので問題なし。土日など、仕事がお休みの時は、車で駅まで行き駐車料金を払ってごみを拾っている。つまりお金を払うボランティアなのだ。考え方次第だが、欲得に囚われない真の人間付き合い、様々な社会問題の真因など、ボランティアはお金を払ってでもやる価値のあるものだと思っている私は、、、、、やっぱ、変かなぁ😅

【ナゾナゾ:体に悪いものを、捨てるために買う。なぁ~~んだ?】

最近、火も点けずに捨てられているタバコが多いなぁ、なんて思っていたら、どうやら「電子タバコ」と云うらしい。火を点けず、煙も出ない。もはや「吸い殻」ではなく、「灰皿」もいらない訳だ。こうなると喫煙者にとっては、いつでもどこでも吸えるし、どこに捨ててもいい、という気分になるのだろう。(体に悪いものを)お金を払って買って吸い、そのままポイと捨てる・・・これは「進化」と言えるのだろうか・・・マナーを守る「愛煙家」にとっても、肩身が狭い「進化」ではないだろうか・・・ごみ拾い3,174日目

お隣さんが留守中に勝手に上がってお茶を飲んでいた?😄【孤独死とご近所付き合い】

日本中で「孤独死」が問題視されているようだ。わが地区でも例外ではない。4年前から行政(社会福祉協議会)の肝いりで「見守り活動」なる活動を行っている。私は、立ち上げ時から地元の社会福祉活動として「見守り委員」として携わってきた。見守りを希望する高齢者・障害者を、近所のボランティアを募り、それとなく(新聞は溜まっていないか、洗濯物が干し放しになっていないか、などを)「見守る」という活動である
そもそも、「昔は」お隣ご近所との「普通の」お付き合いがあれば、そんなことはわざわざする必要はなかったが、昨今はお隣さんの顔も知らない、ということも珍しくないようだ。私の故郷では昔は、「留守中に知り合いが勝手に上がり込んでお茶を飲んで待っていた」なんてことはザラだったのだが・・・。
誰にも知られずにひっそりと死んでいく・・・もちろん助かった命もたくさんあった筈だ。今、日本人の生き方はこのままでいいのか、疑問である。

【△にならないおにぎり😌】

【△にならないおにぎり😌】妻のヘルニアで家事全般を分担しているのだが、△のおにぎりが作りたいのに○にしかならない・・・不器用にもほどがあるなぁ😞昔、母が作ってくれたおにぎりは、まぁ~るくて、大きくて、海苔1枚まるごと使って包んであったっけ・・・梅干しか入っていないくて、文句を言ったっけなぁ・・・そんなシャレタことができる人ではなく、おまけに裕福ではない田舎の農家。かあちゃん、ごめんなさい、ありがとう🙂

【なま味噌で治るの?😌】

【なま味噌で治るの?😌】妻のヘルニアで家事の分担が続く。炊事、洗濯、掃除など・・・手が荒れて、生まれて初めて「あかぎれ」もできた。手を洗ったり、物が触れるとピリピリと痛む。「かあさんの歌」にあるように、生味噌なんかすり込んだら痛いだろうなぁ・・・とりあえずオロナインをすり込んで絆創膏を巻いた。この痛みのお蔭で母や妻の苦労に触れることができた。今さらだが・・・感謝・・・☺️
一句できたぁ<あかぎれに 母妻想う 水仕事>

【湧き水・沢の水を飲む】水の大切さ・・・

【湧き水・沢の水を飲む】水を店で買って飲む時代なのだ。ついには買った水を半分も飲まずに捨てる時代にまでなってしまったようだ。子どもの頃、両親について登った山間の田んぼの行き返り、カラカラに乾いた喉。途中にある沢の淵で腹ばいになって顔全体を水につけてゴクゴクと飲んだものだ。背後にそびえる守門の山に降った雪が、配下の山々の栄養豊かな土にろ過され、季節をまたいで麓の谷間に湧き出て沢の源流になる。一年を通じて流れるこの清水は、春先から夏、秋にかけて獣たちや山を訪れる人間たち、麓の田畑、そこに暮らす人間たちの水源として、貴重な命の水である。地元では「大沢」と呼んでいた。都会のカルキ臭い「水道」で命をつなぐ身となった私だが、あの大沢で喉を潤した命の営みを忘れることはない。
【ごみ拾い3,173日目】

【どれが「幸せなおにぎりとお米」でしょうか?

【どれが「幸せなおにぎりとお米」でしょうか?(^^;】①昨日(ヘルニアで動けない妻に代わって)次男のお昼用に私が握ったもの(奥に見えるのは妻と子どもたちの朝食用に私が作ったハムエッグ・・・みたいなもの(^^;)、②③今朝、千葉駅前ごみ拾いで回収したもの。
どのおにぎりが「幸せ」かなぁ・・・

【市原悦子 日本昔話】子どもに絵本を読み聴かせてほしいなぁ(^^

【市原悦子 日本昔話】婆ちゃんの『安寿と厨子王』
なんとも、残念である。もうあの優しさに溢れた声の語りで、日本の昔話を聴くことができないのか・・・ありがとうございました。
今時のパパ、ママは、子どもたちに絵本を読んで聴かせてくれているかなぁ?そういえば、うちの子どもたちが子どもの頃、休みの日や夜寝る前に読み聴かせていたあの「昔話全集」はどこにしまったっけ・・・。3人の子どもの内、一人だけは本が嫌いで、私の胡坐(あぐら)の中でじっとして聴いてくれなかったっけなぁ(^^)
私の両親は忙しく、あまり昔話を聴かせたり本を読んではくれなかったが、代わりに婆ちゃんが良く語って聴かせてくれたっけなぁ。。得意なのは『安寿と厨子王』(「山椒大夫」)だったな。婆ちゃんの語るクライマックスの「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」の切なげな語りは、目を閉じれば今でも聴こえて来るなぁ。子ども心に「こんなに悲しい別れは嫌だなぁ」なんて本気で思い、家族みんなで暮らしている安堵を覚えた記憶がある・・
昔話などの本や語り部は、日本の文化として、家庭の情操教育の重要な位置を占めていると思うのだが、今時はどうなのだろうか・・・早く孫が欲しいものである(^^)
画像はネットから転載です。

【あおり運転対策】

昨今の「あおり運転事件」には目を覆いたくなる。私の軽自動車にはドライブレコーダを付けている。運転していると無意識やうっかりで、ちょっとした他車への気遣いが遅れる事がある。そんな運転が相手の「勘に障る」ことがあるのだろう。こちらに非がありそうなときはできるだけハザードランプを上手に使うようにしている。また、こちらには何の責めもなく流れに乗って運転していても、相手の気の焦りによっては「モタモタ」しているように感じられることもあるだろう。
何度か「あおり」を受けたこともあるが、私が「あおり対策」として実行していることがある。単純なことであるが、できるだけ早めに広い場所を見つけて左ウィンカー(ハザードは停止を意味し、相手を刺激する危険がある)を点けて左端に寄って減速し、道を譲ってしまうのだ。
こちらに非が無ければやり過ごす。こちらに非がありそうなときは、窓を開けて手を出すなどして、早めにお詫びの意思を示すようにしている。
これが車でなければ「すみません」、「ごめんなさい」、「ありがとうございます」などとコミニケーションで回避していることである。車同士という、意思の疎通が簡単ではない状況だが、できるだけ「相手」の責めだけにせず、自分自身も顧みて、早めにコミニケーションを取るようにしたいものだ。
これは、普段の生活でもそうなのかもしれないが・・・

【祝!成人☺️】和装文化を大切に。責任ある大人に・・・

和服を着る日本の若者がまだまだ多いことに、少しホッとしています。千葉駅で、すれ違う和服の方々に「おめでとうございます」と声掛けしました。全国で約120万人が成人を迎えたということです。
大人を批判したり、大人になりたくない、今の社会はダメだ、などと批判していればいい年代は終わり、今度は批判される立場になるわけです。いつの間にか、若い頃に批判していたような大人になっていくことがないように、無関心ではなく、積極的に社会に関わってほしいものです。(写真と本文は無関係です)

【雪原をスニーカーで歩く!?】凍み渡り

子どもの頃の春先の遊びで「凍み渡り=しみわたり」ほど気持ちが良くて楽しいものはなかった。新潟は魚沼地方。3月に入り春の息吹が感じられ本格的な雪解けのころ、良く晴れた、それでも気温はまだまだ凍てつくようなある朝・・・日曜であれば文句なし!の「凍み渡り」日和だ。お昼前までの時間勝負。それこそ朝飯などは忘れて外に飛び出したものだ。
ご存じない方は「雪」と言えば冬の間、野山を全て覆いつくしている柔らかく冷たいもの、と考えるだろう。ところがこれが春先になると、日中に上層部が融け、融けた水分は下層部に滲み込み、これが夜の冷気で固く凍り、朝には人間の体重などではビクともしないほど固く凍りつくのだ。こうなれば厳しい冬の間人間を拒んだ雪原はもちろん、雪山の山頂までだって、スニーカーでも登れるほどの、大人でもワクワクするような雄大な遊び場になるのだ。
どこまでも続く雪の野原、息を切らして駆け上る山の斜面。一山登って一気に谷へ駆け降りては、普段麓からは見れないその向こうの山の斜面をまた駆け上る。山頂からの雄大な眺め・・・あ~~~・・・今思い出してもゾクゾクする!
それでもさすがに雪国の子。あまり遠出しすぎて、帰りの時間を計算に入れないようなことはなかった。日が高く上り雪面が緩んでしまえば腰まで埋まる恐ろしい冬山に戻ってしまうし、春先は雪崩も怖い。また雪が覆って見えないが、下に水が流れる沢は、上から踏み抜いてしまい転落すれば命取りになる。春先の雪山を甘く見てはいけないのだ・・・。
あ~~、私がもう一度「凍み渡り」をする日は来るのかなぁ~~~(^^♪
写真は「魚沼伝習館」のホームページより転載しました。
http://www.uonuma-denshukan.com/archives/1304

【早く「来年のお正月」が来ないかなぁ😁】

【早く「来年のお正月」が来ないかなぁ😁】暮れには仲間と餅を搗き、正月には独立した3人の子どもたちと(コタツで)久しぶりに家族そろってお雑煮を食べ、地域の新年会で気のおけぬ方々と楽しいひと時を過ごす。年男であり節目の年だと思っているが、人生初めてと言っていいくらい、落ち着いたお正月でした。
気が早いが、早く次のお正月が来ないかなぁ😅

【「必ずしも結婚する必要はない」は30代が88%】

NHKの「日本人の意識」調査
【「必ずしも結婚する必要はない」は30代が88%】「結婚しても、必ずしも子どもをもたなくてよい」と答えた人が60%。
(日本では)人間一人づつ(=個人)からすれば、結婚や出産については自由であり、それについて第三者からとやかく言われる筋合いはないことは充分承知しているし、様々な事情があることも理解しているつもりだ。
しかし、このNHKの調査の結果について、「日本の将来=子どもたちの未来」という観点から大きなショックを受けている。
「必ずしも結婚する必要はない」、「結婚しても、必ずしも子どもをもたなくてよい」という考え方は、まさしく「今風」で「時代の流れの必然」とも思える。
現代人(特に若者)がそう考える(そう生きる)のも無理はなく、今や「家」(家系)を中軸にした世襲や政略結婚は、とうに歴史の中の悪習でしかないようだ。現代では「恋愛」も含めて、それらの「しがらみ」は「個性」や「自由」にとっての邪魔者でしかないのだろう。そしてそのしがらみのない個性や自由を実現するのに欠かせないのが、ITに代表される現代の科学とそれらの産物による快適な暮らしである。これらが中心となった「経済」があれば、しがらみ無く、自由に、気ままに、楽しく生きて行けるのだ。特に人間という生き物は「快楽」を求めることには際限がない。おそらく、それに歯止めをかけるのは不可能であろう。(戦争が歯止めとなることは考えたくない)
しかし、結婚をせず、結婚をしても子孫を残さない、という生き方が増えることは、分かりやすい結果を招く。若く、面白おかしく、気楽に暮らしているうちはまだいい。どんなに科学が発達しようが、生き物はやがて年老いていく。このままでは、50年、100年もすれば、年老いてからふと振り向いたところには「若者」の姿はなく、老い先短い高齢者だけ(正しくは、若者が減り、人口も減っていく)になるのだ。 2017年の人口推計でも、楽観的に見ても50年後は現在の1億2千万人強から9千万人弱まで減ることが予測されている。
これはあくまでも楽観値(最新の統計では生涯未婚率は男性が23.37%、女性は14.06%)で、悲観的に見てこのNHK調査(仮に30代の生涯未婚率が88%と考えてみる)のようなことになれば、荒い計算をしてみても50年後に人口は1/10になるかもしれない。
人口が減る、ということは生産や消費が減るということで、国力の衰退とも直結する。仮に1/10にでもなろうものなら、他国からの侵略を受けたり、侵略ではなくても国ごと身売りするような事態となるかもしれない。それとも、外国人の血が混じり、純粋な日本人などいなくなるのか、或いは、AIによる機械が支配するSF映画のような世界になるかもしれない・・・。
「個性」や「自由」、「血縁や子孫」、「しがらみ」とはいったいなんであるか、特に若い世代には深く考えてもらいたい。自分たちの近い将来のために・・・
画像は転載です。

追記<生き物とは、種の保存が基本だと思うのです。そして人間に限っては、それにプラスして「知性・愛=魂(霊)」が伴う。命を受け継いで生まれ、譲り渡して死んでいく。決して一人ではできない、尊い命の循環のなかに、一人では成しえないが故、自分以外への感謝と尊敬、愛が生まれ、それが生きる糧となる。これこそが「人間の証明」だと思うのです・・・

3,157日目のごみ拾い【タバコを吸っている人を注意すると・・・

3,157日目のごみ拾い【タバコを吸っている人を注意すると・・・無法地帯!?千葉駅】千葉市では駅・道路などの公共の場所に限らず、店舗などを含め「路上喫煙・ポイ捨て防止条例」、「受動喫煙防止条例」によってポイ捨てや喫煙が禁止されている・・・だが千葉駅でほんの30~40分ごみを拾うだけでご覧の有様である。今朝も駅前のロータリーで腰かけて空き缶を灰皿にしてタバコを吸っている中年の男性に「ここは禁煙ですよ。吸い殻を片付けましょうか?」と声をかけた。この方は「ア、そうですか」とすぐに消してくれたが、こんな方ばかりではない。「お前は何の権利があって取り締まっているんだ!」などと、捨てゼリフ&捨て吸い殻で怒鳴られることもある。路上や掲示でこれだけたくさんの注意書きがあるのに、公共マナーを守れない大人たち。そんな大人たちの中で育つ子どもたち。この国の未来が心配である・・・

3,152日目【好奇の目に晒されて(^_-)-☆】

3,152日目【好奇の目に晒されて(^_-)-☆】毎朝、地元でバスに乗る前、千葉駅でバスを降りてから電車に乗る前、それぞれ30分程度のごみ拾い&挨拶活動である。地元では顔を覚えられ、そんなことは少ないのだが、千葉駅ではそうはいかない。「まあこんな雑踏の中で物好きな」という好奇な目のほうが多いと思う。さすがに一人づつ顔を見ながらではないが、「おはようございます」と言いながら駅前で人々の足元のごみを拾っている。挨拶が返ってくるのは数百人に一人であろうか。時々は「おはようございます」や「ご苦労様です」が返ってきて、超うれしくなる(^^♪・・・そんな日は、元気なスタートが切れるのだ。皆さんは、ゴミだらけの駅と、きれいな駅と、どっちがいいのかなぁ?それともゴミなんて、目に見えないんだろうか?行政や企業の仕事だろう、と考える人も多いかもしれない。
私は、自分ことが精いっぱいで、足元のゴミや草木・花々、街の景観やお年寄り、子らの様子などが見えなくなった人々が暮らすような国は嫌である。そんなことの積み上げが、犯罪やテロ・戦争さえ引き起こすとまで考えている。せめて家族や隣人が暮らす街くらいは、綺麗にしたいと思う。それが自分にできること、だから。

【餡子(あんこ)のプールで泳ぎたい妻】

【餡子(あんこ)のプールで泳ぎたい妻】妻のこんな願望(夢?)」を聞いたのは、いつのことだったか・・・。それほど甘いものが好きなのだ。「あれから40年(^^♪」・・・小柄だった妻の体型がどうなったかは脇に置いて、知らず知らずに妻の好みに染まって(染められ、洗脳され)いく私であった。「似たもの夫婦」、「夫婦対鏡」という言葉もあるように、良くも悪くも、夫婦はお互いを鏡のように映し合いながら向かい合い、ぶつかり、笑い、泣き、悩みながら経験や思いやり・愛を深めていくものだ。田舎育ちで、塩辛いものが大好きであった私も、妻の「減塩作戦」に見事にはまり、今では「これ、少ししょっぱすぎるかなぁ」なんて私が言い出すほどだ。もっと困ったことに、かつては最中(もなか)が大嫌いだった私が、食事が済むたびに「なんか甘いもんないかなぁ」なんてオネダリする私を作り上げたのは、妻の責任である(^^♪

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子どもたちの未来へつなぐ