【政治とは何だろ?】立候補のお知らせ

【政治とは何だろ?】千葉市議会議員に向けて千葉市中央区から立候補しました。みなさんは、政治ってなんだと考えますか?元新聞記者である地域の大先輩にご挨拶に行ったときのことです。「政治とは、公平にお金を集めて公平に使うことだ」とおっしゃいました。まったくその通りだと思います。受け売りですが、以来、その教えを心に刻んで「五十嵐の政治の定義」として使わせていただいています。

【川を流れるもの】人間たちの身勝手・・・

【川を流れるもの】先週の日曜日は都川の清掃活動でした。川にはいろいろなものが流れて来る。空き缶やペットボトル、容器類などのプラスチックごみは当たり前。マットレス、冷蔵庫、オートバイ、自転車、廃材、電柱・・・。山と海は川で繋がっている。山や野が汚れれば川が汚れ、やがて海が汚れる。プラスチックごみは海の魚たちが食べ、やがて人間に返ってくる・・・☹️イラストは転載です。

「成功の反対」は?【夢と目標をもって生きる!】

「成功の反対」は?【夢と目標をもって生きる!】「卒業」のシーズンである。小学校の卒業式で壇上で堂々と将来の夢を語る子どもたちに、こころが熱くなった。校長先生とPTA会長の祝辞が図らずも共に「成功の反対は?」という問いかけであった。答えは「失敗」ではなく「なにもしないこと」。これは子どもたちに限ったことではない。私たちが人生を走る中で「夢や目標に向かってチャレンジすること」が如何に大切であるか。これがあれば道を外れることはなく、失敗を糧にして堂々と生きていける。素晴らしい先輩や仲間に出会うこともできる。「私たちは歴史という駅伝の一区間を走るランナー」なのです。それぞれの夢や目標に向かって、力強く走り抜けたいものです。😃

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【子どもを見守る大人の愛とは・・・】

【子どもを見守る】街のごみを拾って歩いていたら、こんなものを見つけた。小学生らしい子どもがバスケットの練習をしていた。
子どもの好きなことを見守り、そっと後押しをしてやる。子どもの良いところを伸ばしてやる・・・
愛情の原点を思い起こさせる光景でした(^^)

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街のごみを拾って16年=3,200日!!

最近は朝だけでなく、夕方もごみ拾いをしています。昨日で3,200日目となりました。2003年(平成15年)から始めたものですが、私のはゴミ削減ではなく、単なるごみの移動です。捨てられているのは「マナー」であって、私は「マナー」を拾い集めていると考えています。
それにしてもごみは減りません。よくよく考えれば、そりゃそうです。ごみは売られていて、私たちは最初からごみを一緒に買っているのですから・・・。見方を変えれば、経済発展の証なのかもしれません。それとも経済発展の光と影とでも言いましょうか・・・。
海や山、川のごみ汚染は深刻です。私たちは、ジワリジワリと自分の首を締めているのですねぇ( ;∀;)

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子どもたちの未来につなぐ環境を考えたいものです。

【妻のバトル😁】

【妻のバトル😁】椎間板ヘルニアを患って、寝たり起きたりの妻だが、そんな身体でも、ある「バトル」をしている!・・・加入している生協の「ワケアリ商品セール」のネット購入なのだが、定期的に企画され、全国ネットなので相手は日本全体の生協会員ということになる。これが結構シビアで、秒単位どころか、数分の1秒という単位での争奪戦となる。パソコンに向かい時報を聴きつつ、勝負は一瞬で決まる。最初の頃は一つも購入できず、ブツクサ言っていた彼女だが、今ではかなりの確率で「戦利品」を手中にする。割安となっているお目当ての商品を手に入れたときは、ニコニコと機嫌がいい😄・・・さて、さて、今日はどうかなぁ🙂

【大人社会が変わらなければ、いじめはなくならない】

【大人社会が変わらなければ、いじめはなくならない】いじめ・・・新しい言葉だろうか?人間というものは、一人では生きれないが故、集団を好む。集団ができると、自然と格付けが出来上がり、派閥ができる。派閥には力(発言力や腕力)による支配が生まれる。支配する側とされる側だけであれば、それなりのバランスが取れるのかもしれない。それも集団の論理で、必要な部分もあるかもしれない。しかし、時として「見た目」が違ったり、「考え方」が違ったりしてその集団から疎まれる存在が出てくる。ボスの力量がそれを包み込むものであればいいのだが、そうでなければ「排除」が始まる。これがいじめのきっかけの一つだろう。つまりは、他を許容できず、自分の考えだけで自分の世界を作ってしまうのだ。自分の考えを持たず、楽?に生きようとすれば、こういったボスに従ったふりをする者も多い。こういった集団があちこちでできれば、こんどはその集団同士で喧嘩が始まる。やがては、戦争になり、命の危機を呼ぶ・・・これは、環境破壊も誘発し、結局は自分にツケが返ってくる・・・。「自分が正しいとは限らない」。「他を認め、自分を振り返って見る包容力を付けたいものだ。画像は転載です。

まさか、自分だけは・・・【あなたの家の耐震性は大丈夫?】

【あなたの家の耐震性は大丈夫?】本日、千葉市行政の耐震補強工事補助制度の出張説明会を近隣の4自治会で開催しました。平成12年以前の耐震基準で施工された在来工法家屋が対象になります。ここ30年で震度6以上の地震の可能性がトップレベルだという千葉市。自分自身も含め「まさか」、「自分だけは」という考えは捨てたいものですね。

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【食事を一緒に食べ、絵本を読み聴かせてほしい・・・】

【長期欠席児童】が多い(「行きたくなければ学校に行かなくていい」という親=子どもの面倒を見る余裕がない親たち)、国語を軽視し、「算数」である前に問題の意味が分からない児童。それでも子どもの学力は悪くない、と考えている親たち・・・。
家族の会話はあるのだろうか、本を読んで聞かせているのだろうか、食事は一緒にしているのだろうか・・・。
社会経験が乏しく社会に溶け込めず、子どもの育て方が分からない親。その結果が招く非行や貧困。
経済問題(社会問題)と直結している現代の子育て事情だが、いつでも被害者は子どもたちだ。そして、その子どもたちが大人になって繰り返す負のスパイラル(悪循環)。教養不足、社会性の欠如、言葉の意味が分からず読解力が欠如し、その結果身勝手な自己主張しかできない・・・心配なのは、そんな人間が拡大傾向にあるということだ。それは何を意味するか・・・国家の衰退である。
生計を立てる為に忙しく働き、時間がないのだろうが、せめて子どもが寝る前の30分ほど絵本を読んで聞かせる、食事は一緒に食べる、という時間を作ってほしいものだ。それだけで、この国は随分と良くなると思う・・・。

【季節外れのポインセチア😃】

【季節外れのポインセチア😃】昨年のクリスマスに松ケ丘商栄会(商店会青年部)が配ったポインセチアが、ローソン仁戸名町店のカウンターで3月になっても綺麗な赤色の葉を見せている。この時期まで手入れを欠かさず飾っていてくれるとは、なんか嬉しいですなぁ・・・ありがとうございます。🥰

【桜草の季節】

【桜草の季節】また今年も巡ってきました、この花の季節。別れと出会い、巣立ちの季節です。知り合いから一鉢頂いたので、自宅前に置いてみました。中学校では、3年生が抜けた部活動の生徒たちが朝練に励んでいます。元気な挨拶が飛んできて、私も充電完了です。また春が来ますね😃🙂当たり前の季節の廻りが、とても愛おしくなってくる歳になってしまいましたが☺️それもまたよし☺️

【物は考えよう🙂明るく、前向きに考えたい😃】

【物は考えよう🙂明るく、前向きに考えたい😃】ヘルニアを患っている妻の通院に付き添った先日のこと、会計の受付番号が「499」。「死」「苦」などがイメージされそうな数字が並んでいる。眉をひそめる妻に私は笑顔で言ったものだ。
『「し」あわせ、「く」る「く」るだね~』
・・・楽天家 五十嵐の楽観でしたぁ(^^♪

【バレンタインチョコと「ハム太郎弁当」、とメジロ🙂】

【バレンタインチョコと「ハム太郎弁当」、とメジロ🙂
昼休み、妻の作ってくれた弁当を食べ終わってふと思った。昨日はバレンタインデー。以前は妻からチョコを(形式的だとしても)もらっていたが、ここ10年くらいは忘れられた存在だ。寂しい・・・
「いい歳をして」と思われるかもしれない。だが、枯れても男と女。若い頃はあった愛情も潰えたか?と考え込んでしまう意気地?のない男がここにいた。
・・・が、よくよく考えてみた。なにもバレンタインデーなどと、お菓子などの「ギョーカイ」の思惑だらけのイベントに踊らされて一喜一憂している自分は、いったい妻に対して普段、何ができているのだろう・・・。
妻はヘルニアを患って歩くことも儘ならないのに毎日、朝早く起きて弁当を作ってくれているではないか。そればかりか、こんな我がまま放題の私や家族の為に炊事、洗濯・・・若い頃は子育てまで。毎日毎日、来る日も来る日も、嫌になるような繰り返しであったろう・・・。
休日、ふと庭を見ると妻が好きな野鳥(メジロ)が、私が妻に頼まれてグミの枝に刺したリンゴをついばんでいる。日々繰り返す家事の合間に、ひとりで小さなこの食卓の妻の席から、好きな「餡子菓子」でも食べながら、窓のすぐ外に見える小鳥を眺め一息つく妻の姿を想った。
・・・ありがとう。普段から、充分な贈り物をありがとう。私も還暦を迎えた。そろそろ大人の愛を語れる人間になりたいものだ。お互い「何でもない日々こそ最上の贈り物であること」に感謝し、これからも二人で愛を育んでいきたいものだ。
来年のバレンタインこそ、二人でこんなことを語り合いたい・・・。
😞バレンタインを卒業したい還暦男のつぶやき😌

【占有離脱物横領罪😅】

私は毎日この罪を重ねています。路上に落ちている空き缶や紙屑、吸い殻などを拾って捨てているからです。中には、開栓していない飲み物や、おにぎり、パン、火のついていないタバコなどもあります。半分残った飲み物や弁当も。捨てるのがもったいなくて写真のように私が「預かって」いるものもあります。これらは交番に届けるべき物なのかもしれません。私はこの罪を重ねて既に16年、3,000回を超えました。あ~~神様、罪深い私は許されるでしょうかぁ・・・どなたか、有罪・無罪の裁定を・・・😅😀😔

【見て見ぬふり、、、ができない😅】

落し物を拾う・・・という行為。これが、案外簡単ではない。まずは、ゴミかどうか分からない?。現金であれば(欲しいが(^^);)人目が気になる?・・・それとも1万円と10円で行動が違う(^^);?。定期入れやお財布、車や自転車のキーなど、落とし主は困っているだろうなぁ・・・とは考える?。そんなものに関わっている時間がない?。気にはなるが、交番に届けるなんて面倒くさい?・・・・などなど。
毎日ごみ拾いをしていると、明らかにゴミはまだいいのだが、落し物らしきものも沢山拾う。駅の雑踏などでは、みんなが跨いで通るところを、人通りに気を遣いながら拾い上げる。交番に届けるのだが、書類を書くのが面倒なので「権利放棄」ということで処理してもらう常連となってしまった。(仕事とはいえ、私が捨ててしまえば済むようなものまで届け出られては、お巡りさんも手続きが面倒だろうなぁ、とも考える)
おそらく、100人、200人?・・いや、1,000人?が無視して通り過ぎるものを拾い上げる私は、相当な変人で暇人なのだろうなぁ、それともお人好しか偽善者かもしれない・・・。私は(病的に😅)大方が放っておくことを放っておけない・・・困ったものである😔
だが、こんな「絶滅危惧種」的人間がいてもいいではないか、と考える、こともある、かな・・・。ごみ拾い3,178日目。

【見て見ぬふりしますか?でも自分の愛する人が「見て見ぬふり」されたら、どうですか?】

日曜日。地元の社会福祉協議会が主催する「救命応急処置講習会」に参加した。安全確認、声掛け、状況確認、救急要請、心臓マッサージ、人工呼吸、AED操作、止血、気管詰まりの対処、など、一通り体験した。4回目くらいだが、慣れるものではない。あなたは、他人が倒れていたら積極的に関われますか?怖いですか?関係ないですか?

子どもたちの未来へつなぐ