【頭隠して・・・】ふ~~ん、青大将かな。頭隠して尻隠さず。あんまり動かないので、背中?をツンツンすると、慌てた様子で潜っていった。時々見かける貴重な光景である(^^)/
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【たかが、あいさつ?】
【暑いときは、コレ!】
【車や、急いた人には見えないモノ・・・】
【レジ袋不足・・・】
【一足、また一足・・・】玄関の靴・・
【お腹が3つある??】
【いつもの晩酌(^^)】
【子どもの世界は・・・】
【コロナ給付金10万円が・・・生活保護とベーシックインカム】
【溢れる】
【溢れる】
自動販売機の脇の容器入れが、溢れている。
道路へ、野原へ、山へ、川へ、海へ。
これは、そのまま地球の姿だ。
それでも皆「自分には関係ねぇ~~~」なんだな・・・(;_;)
写真(後の2枚、ネットより)は、海岸と海底の様子。
【屋号って?・・・】
【屋号って?・・・】
「^」に「勘」という紋章。家に代々遺る道具類のほとんどには、この焼き印が押してある。「勘兵衛」の「勘」である。
我が家系には「家系図」というものがなかった為、自分で作ることにした。この夏、数年かかった家系図がようやく形になった。まだまだ書き加えねばならないが、ここらで少し形にして遺さねばならない歳になった。
初代の「五十嵐勘兵衛」の出所から辿り始めたものだ。この「五十嵐勘兵衛」さんが「屋号」「勘兵衛」の起こりである。どうやら私は「勘兵衛」の5代目ということが分かった。
日本有数の豪雪の地に土着した、山間の貧しい農家であったことは間違いない。「勘兵衛」という家系について、父や親戚に幼少の頃から様々語り聴かされたことがある。その当時、山間の小さな部落全体の問題として、田んぼの灌漑(水の供給)の問題があったようだ。経緯はよく分からないが「勘兵衛」の家の2代目当主が水脈のある山に分け入り、一人で灌漑用の池を掘り始めた、というのだ。2代目~3代目に渡ったこの事業は、池から山裾へ水を落とすための「隧道」(トンネル)の掘削で完了した。
この池は「大池」と呼ばれ、今も山中(守門岳の登山口あたり)で水を湛え(写真は2011年撮影)、隧道も健在に機能している。私もこどもの頃よく「魚釣りに登った」ものだった。
さて、このような「大事業」を2代に渡って成し遂げた「勘兵衛」の家系であるということ・・・ここまでが前置きである。
昔は結婚(婚姻)も「恋愛」などではなく、文字通り「嫁」(「女」辺に「家」と書く)として家に「嫁ぐ」時代であった。田舎では今でも、名前よりも屋号で家柄(家)を指すことが一般的である。私は成長するにつれ、「屋号」で一括りに言われることに反発したこともあった。「私」は「ワタシ」個人であって、「勘兵衛」などではない!といったところか・・・。
やがて私は家業(農家)を継ぐことなく両親を残して田舎を出、家族を持ち、家も持った。歳月は流れ、両親を見送り、次は自分の番、という歳になった。
そして今、ようやく分かることがある。それは歴史の中で生かされてきた、ということ。1つの家の歴史だけのことではない。故郷の歴史、日本の歴史(もちろん、戦火に散った300万人と言われる命、其々の歴史も含まれる。)、世界の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史・・・。人間、「個人で生きる」などということはあり得ない。壮大な歴史に感謝し、「生かされている今」を「真心」をもって生きたい。「自分だけ」などという生き方では、先はない。
・・・5代目の私になって、新しく遺そうとしているものがある。一つは「家系図」。そしてもう一つは「家訓」(77項目にもなってしまったが(^^♪)である。
「私たちは歴史という駅伝の一区間を走るランナーである」・・・次に繋げなければ!!
【川清掃、水質検査、花壇の手入れ】
【川清掃、水質検査、花壇の手入れ】日曜日。猛暑できつかった都川の草刈りも終わり、最後の仕上げに川土手の清掃を行った。水質検査と、ついでに花壇の草取りも。お疲れさんです~!
【引けないノコギリ!爺ちゃん、父ちゃんを想う】
【引けないノコギリ!爺ちゃん、父ちゃんを想う】先日ご近所の庭木の伐採を手伝い、明日はその剪定枝を資源ごみとして出す日だ。直径15cmほどの丸太を、短くカットしようと、田舎から持ってきた先祖伝来?の大ノコギリを持ち出した。渾身の力を込めて引くのだが・・・う~~んっ!!ビクともしない。爺ちゃんや父ちゃんはこれを引いていたのだ。今更ながらに、昔の農家の男たちには感服したのだった!
情けないが・・・チェーンソウの出番となりました・・・トホホ・・・(;_;)(^^);じいちゃぁ~~ん!とうちゃぁ~~~ん!
【小中学校が始まりました(^^♪】
【小中学校が始まりました(^^♪】
特別に短い夏休みが終わり、今日から学校が始まりました。「おはようございます!」、「いってらっしゃい!」。
コロナでひっそりしていた街に子どもたちの声が響きました。マスクをしてうつむき、挨拶にも応えない大人が多い中、子どもたちの元気な様子に、元気100倍(^^)/
【お金に価値はない、けど、捨てなくたって・・・】
【お金に価値はない、けど、捨てなくたって・・・】よく拾うお金。これ自体に価値はないけれど、捨てなくてもいいのにね~~~(^^♪
【脱穀機とメダカとアロエ】
【脱穀機とメダカとアロエ】10年近く前だが、私たちのNPOで米作りを始めるとき、脱穀機を寄付してもらった地域の大先輩。メダカを愛する気のいいお爺ちゃんだ。今朝、路上で数年ぶりに挨拶を交わした。しばらく話をしていると私に、「アロエ、いらないかい?」。どうやら沢山になり過ぎて、貰い手を探しているらしい。
・・・ということで、アロエを5株戴いて帰り、さっそく植えました(^^♪
【「マスクは拾わない方がいい」というアドバイス・・・】
【「マスクは拾わない方がいい」というアドバイス・・・】ごみ拾いをしているとよく声をかけてくれる年配のご婦人。季節になると「これ持って帰りなよ」とフキをいただいたりしている。今日はコンビニの駐車場ですれ違った。ソーシャルディスタンスが気になるらしく、外で私と話をするときもマスクを取り出し、距離を置いて話す方だ。毎日ごみを拾っている私に親切なアドバイスをしてくれた。「マスクは拾わない方がいいよ」。私「そうですね。ゴミハサミを使っていますが、気を付けます」と礼を言って別れた。
コロナによって時代は、変わりつつある・・・
【働かなくても毎月お金が貰えるなら・・・】「ベーシックインカム」
【この花が見えますか?働かなくても毎月お金が貰えるなら・・・】「ベーシックインカム」、「日本ライフポイント制度」の夢を見た。
コロナ施策で全国民に一人10万円が支給された。人口を1億2千万人とすると、総額12兆円となる。国はこれを組み込んだ25兆円を超える補正予算を組み上げて執行している。
仮に、これが毎月支給されたら・・・12兆円×12カ月=144兆円となる。そもそも近年の国家予算は、一般会計と特別会計の合計で約200兆円を超える予算を執行している。しかし、当たり前に考えれば、もしこれで国民が稼がなくなったら、どうやってお金を得るのか?となる。
ベーシックインカム(BI)という考え方がある。基本所得制、最低生活保障、国民配当などとも呼ばれ、世界各国で議論され、実験を行った国(フィンランド)もある。何もしなくても、毎月、国民全員に一定金額が支給されるという制度だ。働かなくてもお金が貰える・・・夢のような?制度が、現実味を帯びているのだ。まさか・・・そんな詐欺みたいな話があるはずがない、と考えるかもしれないが、現実の話だ。
フィンランドの実験参加者(失業者2,000人)へのインタビューでは「BIで気持ちは軽くなり、自由になれる。自由になれると人はより生産的になれる。好きなことに集中できる」と話している。実験結果の分析によると「BIを受けていても、家でただ座っているのではなく、政府の雇用支援策を利用して自分の状況を改善しようとしている。実験でわかったのは、人間は怠け者ではないということと、雇用に関わる行政サービスが役に立っているということだ」ということらしい。
これは外国の実験であり、日本がどうかは分からない。だがはっきりしているのは、本来お金は、物々交換をしていた時代に、間を取り持つために生まれたものである、ということ。つまり、農業者が作った米と、漁業者が獲った魚を、「共通の価値を持ったもの=お金」を媒介して流通(循環)させる為のもの、なのだ。元を辿れば、自分では作れないもの、を、自分で作ったものと交換したい。その間にあるのが、たまたま「お金」と呼ばれているだけなのだ。
こう考えると、お金が全て、お金を貯めなくては、お金持ちになりたい、などと考えて生きている人間は、交換するものを何も作り出せない(獲れない)人間、ということになる。
しかし飽くなき人間の欲望によって、お金を中心に科学や経済が膨張し、様々なものがお金によって手に入るようになると、資源獲得のために戦争という殺し合いまでし、今ではまるで「お金を稼ぐこと=生きること」のようになっている。
そんなお金の本来の役割からすれば、何もしなくても一定のお金が配られ、それで最低限の暮らしができれば十分、ということにならないだろうか。働かずに最低限の暮らしが保証され、プラスアルファ(=欲望の赴くままの贅沢)が欲しければ「働いて稼ぐ」でいいのではないだろうか。
しかし、なにもしなくても国から最低限の暮らしを保証されるといっても、お米を作る者、魚を獲るもの、それを流通させる者がいなければ仕方がない。そこで私が考えたのが「日本ライフポイント」である。国民一人一人の「働き」によって「ライフポイント」なるものが付与され、そのポイントで様々な物を購入(交換)するのである。お米を作るポイント、魚を獲るポイント、機械を作るポイント、サービスをするポイント・・・・。そして大事なのは「ボランティアのポイント」である。個人間でも自由にやり取りでき、社会に貢献する様々な活動に対して与えられるポイントである。
どうだろう。衣食住について、働かなくても国から保証され、それ以上の付加価値のついた暮らしについては、お金ではなく「ライフポイント」の交換によって実現する社会。海外からの借金がなく、国内の経済だけで考えるならば夢でもないだろう。
ただし、これは共産、社会主義と言われる社会制度と混同されそうだ。権力が独占、暴走しないように、高度な「民主主義」に基づいた国民主体の自主統治が大前提となるのは言うまでもない。
最後に、これが実現すれば一時的に国際競争力は低下するだろう。しかし「他と競争しない、真の人間らしい生き方」が実現する。際限のない欲望に支配され、それに伴い取り返しのつかない状態に向かいつつある地球環境を未来に繋ぐため、日本が世界のリーダーとなることは間違いないだろう。
・・・そして日本人には、その底力が、まだ、備わっている。コロナに揺れる日本だが、足元には一輪の花。急いた心や車で通りすぎていては、決して見えない花がそっと咲いている。
【どんな所でも、花を咲かせる・・・】
【どんな所でも、花を咲かせる・・・】灼熱のアスファルトで、カブト虫が干からびていた。先日の蝉に続いて、拾い上げて植え込みに移動した。しばらく行くと、乾ききった駐車場の地面に咲く小さな黄色い花に目が留まった。
・・・ふと、土に還れない虫たちと自分を重ねていたことを反省した。そうだ、どこでだって花は咲かせられる。
今いるところを悲観するのではなく、どんなところでも根を張り、どんな花を咲かせるかだ・・・小さくたっていい、目立たなくてもいい・・・
そう考えたら、またひとつ気が楽になった。ゲンキンなものだ(^^♪