【「雑草という草はない。】どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのは いけない」
昭和天皇が侍従を諌めたという逸話である。これを引用して、私が関わる稲作仲間(先輩)が先日こんな話をしてくれた。「仮に蓮田(レンコンの田んぼ)に、稲が生えたとすれば、稲は雑草になる」
まったくその通りで、自分(人間)の目的に照らして必要のないものはすべて「雑草」ということになってしまう。これは、ゴミについてもそのまま当てはまる。自分(人間)にとって必要のないものは「ゴミ」なのである。野山の木々を伐採し、宅地を造成する。採れ過ぎた野菜を捨てる。飲みかけのペットボトル飲料を捨てる。口に合わない食べ物を捨てる。雨が止んだので、傘を捨てる。
自己中心的な人間は、自分の狭い判断基準で要不要を判断してしまう。さらに、人類は「人間」を基準に要不要を判断してしまう。
「この草が、生き物にとって必要不可欠な酸素を作り出している・・」などと考えながら庭の「雑草」を引き抜き、田んぼに生えたクレソンや畔に生えたミントを引き抜く、自己中のどうしようもない人間が、ここにいる。