【何気ない日々の幸せ、の一首】
【つい拾って、チェックしてしまう(^^);】
【子どもたちに夢と目標を】
【ナニしてるんだろう?】
【名前がカワイソ過ぎる(^^)】
【ほてい草の花】
【未来電話】
【見えなければいい?毎日1時間。これが私が拾った1週間分の資源ゴミ】
【見えなければいい?毎日1時間。これが私が拾った1週間分の資源ゴミ】
草に隠すとは・・・上手に捨てるものだ。まったく手が付けられていない弁当もある。だが、地球はこうしたゴミが海に流れ込み、すでに末期的状態だ。
「自分さえよければ、それでいい=自己中」人間・・・こんな人間の辞書にないのが「思いやり」と「感謝」だろう。その原因は「愛情不足」だ。そしてそれは繰り返される。
この行為によって自分の知らないところで何が起こるか・・・そんなことを常に考えるのは「しんどい生き方」だろうか?
今朝、バス停でよく会うご婦人の足元のペットボトルや吸殻を拾っていると、私が持ったごみ袋を見て・・・ご婦人「結構捨てられているんですね」私「ええ、こういう人は自分の部屋もゴミだらけでしょうね」ご婦人「案外きれいにしているかもしれませんね」私「自分の町は自分の家と同じですよね。家族も暮らす町。町が荒れると、人も荒れますから」ご婦人「その通りですね。いつもありがとうございます」私「お気をつけて行ってらっしゃい」
よく考えると、私も自己中だ。自分と、自分の家族のことしか考えていない・・・しかし、これが自分にできる精いっぱいでもある・・・。
【秋?かなぁ(^^)】
【秋?かなぁ(^^)】
亀山ダム、片倉ダム。
暑い、熱い夏も、終わりが見えてきたかなぁ。
明けない夜はない。やまない雨はない。
四季それぞれの風を感じていたいものです。日本人として、人間として。(^^)/
【これが「ゴミ」になるなんて・・・想えば遠くにきたもんだ・・・】
【これが「ゴミ」になるなんて・・・想えば遠くにきたもんだ・・・】
都会の虫たちは、土に還ることもできない。・・・似ているなぁ・・・(;_:)
【お忍びで、墓参り(;_:)】
【お忍びで、墓参り(;_:)】
お盆は帰省して墓参り、そして旧友たちと語らい、祭りで神輿を担ぐ・・・。毎年の楽しみだったが、ここ3年はそれもかなわない。故郷に感染症を持ち込みたくはない・・・。
仕方なく、日帰りで、コソコソと墓参り・・・。
あ”~~~早く治まれ~~~!
【すかんぽ】
【沈黙の夏】
【いらない命?今朝の会話より】
【カラス~(^^)って歩行者?試された?】
【カラス~(^^)って歩行者?試された?】
車で田園が広がる交通量の少ない県道を走っていたら、なんとカラスが横断歩道を渡っているではないか!思わず減速して停まろうとしたら、真ん中あたりで回れ右してもと来た方に戻ってから、飛び立って行った・・・。道路を渡りたければ、飛んで渡ればいいのに・・・。私は、試されたのか・・・(^^);
道交法を調べたら・・・
<横断歩道等(横断歩道又は自転車横断帯)を横断していたり、横断しようとする歩行者や自転車がいる場合は、横断歩道等の手前で一時停止しなければなりません(道路交通法第38条第1項)>
・・・ということで、カラスは歩行者(人)ではないから停まらないでいい、ということだ。が、カラスが自転車に乗っていたら、一時停止しなければならない、ということがわかった(^^)/
イラストはネットより転載。
【学校教育の限界】
【学校教育の限界】路上ごみを拾っているとつくづく考える。人類が作り出すものは、その目的を真っ当したとき、あるいは必要なくなった時のことを考えていなかった。ただ、目の前から見えなくなればそれでいい・・・という考えだった。その残骸は間違いなく、どこかに蓄積されていただけなのに・・・。昨今、機運は高まってきたが、それでも消費者は他人事で、相変わらず様々なものが作られ、捨てられていく。私たちの地球環境は荒れる一方だ・・・。
「ポイ捨てはいけません」なんていう倫理道徳の授業では、どうにもならない。物事をすべて他人の責任にする生き方を筆頭に、生きていること、生きていられること、尊敬、感謝、悲しみ、愛すること、を自分のこととして一人ひとりが腹に据えないといけない。家庭・家族や家系、歴史、文化、地域社会、世情について、自分にも責任がある、と考えなければならない。
この歳になると分かってくる。つくづく「教育」には限界があり、その土台に「愛」がなければ、ダメなんだなぁって・・・。
【畔の草刈。あ!間違って刈ってしまった!!】百姓の血か・・・(^^)/
【畔の草刈。あ!間違って刈ってしまった!!】
熱波のなか、手元が狂った!
農家生まれの私は、なぜか罪悪感に苛まれる。家に持ち帰って、とりあえず供養を・・・(^^);
田んぼの仕事をすると、父・母、祖父母、ご先祖様を偲ぶのは、やはり百姓の血か・・・(^^)/