【今年初出荷(^^)】

【今年初出荷(^^)】
町中から集まってくるペットボトルキャップ。駐車場が一杯になったので、回収に来てもらいました。
捨てればゴミ、集めれば資源!減らそうプラスチックごみ!つなごう未来へ!
私にできるCo2Co2(コツコツ)です(^^)/

【先輩は今】グレタさん、元気である。

【先輩は今】グレタさん、元気である。以前、国連気候サミットで皮肉られたトランプ氏へ、皮肉たっぷりのお返しだそうである。
 私は、この手の話題にはまったく興味がない。ただ、グレタさんに思うことはある。もう30年も前になるだろうか、セヴァン・カリス・スズキさんという少女のこと。9歳でECO(子ども環境NGO)を立ち上げ、環境活動を開始。12歳のとき、ブラジルで開催された「地球サミット」にECOの仲間たちと旅費を集めて参加。最終日に本会議で行った6分間のスピーチが世界中に感銘を与え、セヴァンは一躍環境運動の象徴的存在となった。
 スズキさん、今は40歳を超えている歳になるだろうが、環境活動家として健在だそうだ。
 ここで言いたいことは、大人たちを「何もしていない」「悪化させた」と詰ってみても、やがて自分もその「大人」になっていくということ。
 大切なことは、彼女だけでなく自分も含め、他人や社会を責めたり象徴的で小気味の良いリーダーやシンボルを担ぎ上げることではなく、自分も社会の一員として、一人一人が自分に何ができるかを考えることだと思う。
(写真はネットより、大人になったスズキさん、グレタさん)

【それでも、、、きっと春は来る!!】

【それでも、、、きっと春は来る!!】かつて、ソ連のゴルバチョフ書記長は日本を訪れた時に「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」と述べたという。
 民主主義国のつもりの今の日本人がどう考えるのか、自分も含めてだが興味が湧いたものだ。
 時が経て、しかし今こそ、考え直さなければいけない時、自分にできる何かを始める時、戦後教育のお陰で今は眠っている日本人の魂を呼び覚まし世界に示す時だと思う。(別に右翼思想ではありません!)
 世界最長の王朝(天皇家)国家の歴史を誇り、共生(人間だけでなく、他の生き物や環境も含めて)の為、己を隠し、和を尊ぶとされ、(昔は)国の為には命も惜しまないが、他人と違うことを嫌うように見られる日本人。神(他国の宗教とは異なり神とは大自然のこと)を信じ、仏に学ぶ日本人。武士道に始まる「道」を重んじ惻隠の情けに厚い日本人。
 「なんとか主義」などという戦後教育の教科書の言葉は別にして、祖先の生き方に学び、日本文化を見直し、そもそも「日本国の国境」は何でできているかを今一度考え直し、世界の情勢が日本に居ながらにして分かり、さらに「危機的状況」にあるこの時勢だからこそ「ここに日本人あり、大和魂あり」と世界に示すことこそが、自国の防衛とともに世界平和への道だと考えるのだが・・・
 こんなことを言いながら、クリスマスには他宗教のコスプレでごみを拾いながら街を歩き、ITなどと横文字の多い世界に身を置いている私。
 最近、誕生日が来るたびに、私は人と同じどころか、相当な変わり者になった、とも思うこの頃である(^^);

ファミマの駐車場にセブンの空き容器 【レイチェル・カーソン「沈黙の春」】

ファミマの駐車場にセブンの空き容器
【レイチェル・カーソン「沈黙の春」】
小鳥たちは鳴かず、花も木々の緑もない・・・そして人間たちはマスクなしでは生きられない!?
60年近く前に著されたこの本の警告を、信じなかった人間たち、そして何もしなかった自分がいる。

【捨てる!・・・自分が本当は何を捨てているのか、考えないんだろうなぁ】

【捨てる!・・・自分が本当は何を捨てているのか、考えないんだろうなぁ】こんなものや、こんなもの、そしてこんなものまで・・・
本当に捨てているのは、自分のこころ、自分の未来、愛する人や子どもたちの未来、そして人の心。切ないなあ・・・
ひえ~~~袋が一杯・・・拾いきれない!!( ;∀;)

【祈り】

【祈り】毎年、正月になると街のあちこちにこの「紙垂」(しで)が奉納?される。私は信仰がないので詳しくはないが、禍(わざわい)を祓(はら)う神が宿るしるしであるという。
誰かわからないが、万民の為に「祈り」を捧げてくれるとは、ありがたいことである。

【あと30年・・・もつかな・・・】

【あと30年・・・もつかな・・・】
みんな、他人事なのかなぁ・・・
誰かが、何とかしてくれる・・・かな?
自分には、関係ないこと・・・かな?
私は自分勝手にも、愛する子どもたちにはツケを残したくはない。
とはいえ、自分にできることはこれくらいであるが・・・(^^)
3,579日目のお散歩にて。

【故郷を想う。感謝の七草粥】

子どもの頃、故郷の新潟・魚沼の山間の村では、正月7日頃といえば野山や田畑には雪が2mも3mも積もり、七草どころか白一面の世界に色のついたものを探すのが一苦労、という風景であった。そんな中でも、母があり合わせの野菜を組み合わせて作ってくれた七草粥はよく覚えている。それ自体はこれといってうまいものではないのだが、大根漬けや漬菜などを合わせるとこれが新鮮で、何杯もお替りしたのを覚えている。
大人になり、故郷を離れた今、スーパーに行けばセリ・ナズナ・・・でおなじみの「七草粥セット」が、乾燥食材として袋に入って売られている。
今どきの若い方々には、最早そんな風習は忘れられつつあるようだ。もちろん、それを子どもたちに伝えていない私自身に責任がある。
それでも、今年も無事「春の七草」が入ったお粥を食べることができた。
コロナ、コロナで大変な世の中だが、また一つ新しい年を迎えられただけで、ありがたいこと、と思わずにはいられない(^^)

【持続可能って他人事?政治の問題?よく考えれば、新型コロナ対策と同じなんだけどなぁ・・・】

【持続可能って他人事?政治の問題?よく考えれば、新型コロナ対策と同じなんだけどなぁ・・・】
Sustainable(サステナブル=持続可能)という言葉がよく使われるようになってきた。カーボンニュートラル、ゼロエミッション、ESG、SDGs、・・・なんで横文字が多いのかと疑問に思うが、その話は別にして・・・
街を歩けば、プラスチックごみ、空き缶などが子どもたちの目につくところに平気で転がっている。
これらは、排水や風で川に流れ込めば海を汚染する。
持続可能とは、自分の愛する家族や友人、子どもたちの未来を考えるということ。
コロナ対策を一人づつが自分のこととして考えなければ解決しないのと同じなんだけどなぁ・・・( ;∀;)

【コロナ差別・偏見】

【コロナ差別・偏見】新型コロナウイルス感染症に関して、感染者や濃厚接触者、医療従事者やご家族などに差別や偏見、誹謗中傷などがあるという。
なんでもかんでもオンラインでできる、と勘違いしている向きも多いと感じるが、ほんの少し考えればわかることだ。人間が安心して健康的な最低限の暮らしを維持するには、人間同士がどこかで接触しなければならないのは当たり前。モノを動かす、病気やけがを治す、弱者を労わる・・・。
自分が違うからと言って、見えないところで自分の暮らしを支えてくれている人々に心を向けられないのは「人間失格」といえる・・・こんなときだからこそ、「人間のこころ」を失くさずにいたいものだ。

【「ウッセー!」と「ありがとうございます」】

【「ウッセー!」と「ありがとうございます」】4つの挨拶。
 毎朝のこと。私がごみを拾いながらすれ違う方々に「おはようございます」と言うと返ってくる挨拶は3種類ある。①「おはようございます」②「おはようございます。ありがとうございます。(またはご苦労様です)」③無言、の3つである。
 ところが、今朝は4パターン目に出会った。金髪の髪が背中まで垂れ(カツラ?)、派手な柄のズボンとジャンパー、白ブチのサングラス、若くもなさそうな男である。私が「おはようございます」と言うと「ウッセー!」と大声で叫んで、スタスタと行ってしまった。なるほど、こういう挨拶も「アリ」なんだなぁ。先ほど、登校中の女子中学生が「ありがとうございます」と返してくれ、気分を良くしていただけに、いきなり崖から突き落とされた気分だ。
 そういえば以前「余計なことをしやがって!」と詰られたこともあったな・・・ということは5パターン目か・・・。
 様々な人間が暮らしている。このご時世、他人のことなど考える余裕はないのだ・・・

<各種ボランティア25年。無宗教・無思想。ごみ拾い3,559日目を迎えて>

<各種ボランティア25年。無宗教・無思想。ごみ拾い3,559日目を迎えて>
誤解を覚悟で云いたいこと【元に戻らなくてもいいこと、戻るべきこと】
新型コロナ、1年が経とうとしている。外出自粛、マスク生活、経済活動の制限、各種行事や交流の中止・・・。親しい友人や親族との交流でさえ躊躇しマスクをつける。自粛する集会、直接会わないオンラインミーティング。感染を気遣う会話や食事。中止・簡略化される結婚披露宴やコンサート、通夜や告別式など。見送られる運動会や盆踊り、敬老会、子ども関係行事などの地域交流行事。
誤解を恐れずに云いたい。私自身も仕事(収入)が激減し、我慢の生活を強いられ、早く経済が回復してほしいと思うこともあることを前置きしておく。しかしこのまま戻らなくていい、この機会に考え直すべき、ということもある。膨れ上がった人口とそれが故の科学と経済の暴走(それに伴い格差の増大と環境破壊、戦争、人間性・国民性・伝統的文化の喪失などを招いた)がそれだ。一方で、元に戻らねばならない(いや、いっそ逆戻りすべき)こともある。人と人とが直接交流するコミニケーション、顔を隠さない外出、文化的・伝統的交流行事の実施などである。
「コロナの終息」を望む気持ちに違いはないが、暴走して破裂寸前の事態にストップがかかり、「ちょっと待てよ。この際一息入れてよく考えてみよう」という大事なことがあるのではないか、と強く思うこの頃である。
直接話をせず、誰もかれもがマスクをしうつむき、黙々とし、疑心暗鬼になり殺伐とした世の中。隣近所の子どもたちが野山や公園、校庭でのびのびと遊び、元気な声が飛び交う、古き良き日本に戻ってほしいと思うのは、私が歳を取っただけなのだろうか・・・。

【色メガネ】「生活保護受給者」

【色メガネ】「生活保護受給者」というと「税金からお金をもらって、働かなくても生活を保障されている人」というように見られる場合が多いようです。それに至った経緯も様々な理由があります。一般的には楽をして生きている、というように見られるのでしょうが、否定できない一方で、なんとかそこから抜け出したい、人並みに働いて自立したいという人も多いのです。また、国のこの制度も「自立を支援する」のが目的です。
まずは「生きる喜び」、「他人に喜んでもらえる喜び」を味わってもらいたい・・・そんな思いから「登下校時の旗振り」をお願いしてみました。
『子どもたちが「おはようございます」「ありがとうございます」って言ってくれるんだよ~』とうれしそうに話す様子を見ていると、「がんばれ!」と応援したくなります(^^)

【ボランティア】

【ボランティア】
 NPO法人として、活動資金のための事業である「川土手の草刈り」が終わった。これからはいつものボランティアとして、川の清掃や花壇つくり、米つくり、子どもたちの環境教育、などを行っていく。
 私たちは別に「世のため、人のため、いいことをしよう」などとは考えていない。ただ、老若男女、会社や地域のしがらみのない中での様々な人間関係が楽しくてやっているだけだ。自分で悩み作り上げていく人間関係は貴重だ。尊敬できる人間関係を得ることの喜びと、ときには考え方の違いで衝突もするが、それさえも貴重な社会勉強の場だ。
 それにしても、草刈り機や耕運機のエンジンをばらして修理してしまうオヤジたち、水道・配管や塗装、空調、建築、土木、発破、IT、小料理屋まで。若いころ少々羽目を外した者から、超生真面目な者まで。そして其々の子や孫まで。まるで大きな家族、いや小さな社会の縮図のようだ。だがこの人間たちが集まれば、できないことはない。なによりも楽しい。
 会社や職場では、我慢して命令に従って動いていればいい。それは楽でもあり、苦でもある。一方で、このような人間関係を自分で作り上げることが、如何に重要なことか。「お金には代えられないもの」がここにはある。

子どもたちの未来へつなぐ