昼間は若い衆に交じって神輿を担ぐ。
夜は鎮守の境内で酒を酌み交わし、ひたすら踊る。
・・・なにもない・・・音楽もなにもない。ただ、太鼓に合わせて、踊る。ひたすら、、、しかしその踊りの輪には、なにかがある😃
昼間は若い衆に交じって神輿を担ぐ。
夜は鎮守の境内で酒を酌み交わし、ひたすら踊る。
・・・なにもない・・・音楽もなにもない。ただ、太鼓に合わせて、踊る。ひたすら、、、しかしその踊りの輪には、なにかがある😃
生家を思い出す夜であった。何もない、何もいらない生活。しかし、なんと満ち足りたひと時だろう・・・(^^)
【子どもに返る】帰省中。なんと30年ぶりに川で泳いだ!!清流は冷たいが、なんと気持ちいいことか!!!
故郷の新潟・魚沼へ帰省。年に1度だが、待ちに待った「山海里」さんで、懐かしい仲間と時を忘れて(5時間!)、、、至福のひと時でした(^◇^)ノドグロ・・・ンまかったぁ~~~!!!
私個人のコメントなど必要ないですね・・・
報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
・・・以下転載 抜粋・・・
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
先日の日曜日。少し時間ができたので一人でドライブ。へ~~~芭蕉も訪れているんだぁ。清水の舞台と、どっちが高いかなぁ(^◇^)
【本当に押し付けられたの?改憲議論はさておき、事実としては・・・】原爆記念日によせて・・・憲法9条の条文。
『1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』
昨日のTBS報道特集。
『天皇制の維持と、戦争の放棄は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時)が連合国軍総司令官・マッカーサー(GHQ)側に提案した』という事実を、史実とその子孫への取材を重ねて報道していた。
「押し付けられた憲法」という主張をする向きもあるが、自衛隊云々は別として、少なくても「戦争放棄」に関しては「二度と戦争をしてはならない」という、日本人が自分で選択した、歴史上の重大な重い意味があることは間違いないだろう。日本人として、深い国民的議論を望むところである。
ヒアリに注意、のお知らせが千葉市から届きました。
これはこれで注意しなければなりません。が・・・外来生物とはいったいなんでしょう。外来生物によって生態系が乱れる、とか、在来生物が絶滅している、とかよく言われます。私自身も生態系の変化は日本の文化や精神に直結する大問題と考えています。が、しかし、人間はその飽くなき欲望によって「もっとおいしい外国のものを食べたい」「外国で遊びたい」「外国の珍しいものを見たい・飼いたい」「外国製品が欲しい」「外国に学べ」・・・などなど・・・矛盾する行動だらけではないでしょうか?日本人は今、どれだけ外国の食材を食べ、外国製品を消費しているでしょう。我々が求めれば求めるほど交易が盛んになり、そのリスクも高まるのを忘れてはならないでしょう。
そもそも、もともと日本に存在した生物とはどの範囲なんでしょう?
けっして、ヒアリがよい、と言いたいわけではありませんが、人間の欲望と身勝手も気になるこの頃なのであります・・・(^_-)-☆
アブラゼミが歩道で息絶えていた。アブラゼミは6年も地中で暮らし、地上では1週間しか生きないという。いのちは繋がったのだろうか。
蟻が、蝶の羽をはこんでいた。これで、どのくらいの蟻が命をつなぎ生まれるのだろうか。セミの遺骸も、他の生き物の命をつないでくれればいいが・・・。一方、人間はどうか・・・他の生き物の命をいただく(奪う?)が、守ったり、与えることはしていないように思う・・・( ;∀;)
先日、母がお世話になった特養の夏祭りを、家族会としてお手伝いする機会がありました。お年寄りの方が喜んで踊りの輪に入る姿、子どもたちの笑顔、太鼓の音、夜店・・・。夏休み、夏祭り・・・いくつになっても、イイなぁ(^◇^)
【怖~い?話(^^)】
私の生業はIT(システムエンジニア)です。
もはやITだけの領域ではありませんが、人口知能(AI)が近年注目を浴びています。IT業界では別に目新しい分野ではなく、私自身もAIに興味をもって勉強を始めたのは、IT業界に入ってから20年近く経ったころ(それでも第2次ブーム)で、更にそれからもう20年以上(今は第3次ブーム)たってしまいました。
最近では最年少プロの藤井棋士がAI将棋を相手に強くなったことは有名です。将棋や囲碁、チェスで人工知能が人間を負かすのはもはや珍しくありません。この分野では既に人間を超えたと言ってもいいでしょう。
私は機械が人間を超えることはないから、心配には及びません、などという気はありません。ある目的に向かって学習と経験を積み重ねることは、最早AIにはかなわない時代なのです。それは「AIを停められるのだろうか」、「そのうち人間が機械に征服されてしまうのでは」・・・という危惧さえ抱かせます。
しかし、人間が機械(AI)に征服されないキーワードがあると考えています。それは【間違った目的を与えないこと、AIを一人(?)にしないこと、機械であることを知らしめておくこと】です。AIが人工の「知能」だというならば、人間しか持ちえない知能がどうやって育まれるのか・・・人間の場合は生まれながらにして備えるものもありますが、そのほとんどは生まれてからの環境による「学習」によって育まれます。人間だって間違った学習をすれば、殺人を犯したり、戦争を始めたり・・・。大切なのは、AIがある結果を導き出したとき、自分に最終決定権がないことを認識し、人間や他のAIと相談し、判断を人間に委ねること、でしょう。そして、このようなAIを制作することはもちろん可能です。
しかし、AIの有無に関わらず、なにより大切なのは、最終判断を下す「人間」が「正しい」ことなのです。が・・・。画像はイメージです
【こら~~~(^◇^)・・・プールの中でするよりいいかぁ・・・代わってくれ~(^^)】恰好が夏休みバージョンになってる!これ見ると、なんか、ホッコリするんだよなぁ。着替えをしてくれている方・・・ありがとうございます!
子どもには高感度カメラがある。写した写真は心の奥深く留めておくことができる。「原風景」という言葉がある。その社会的背景を作ったり、地球環境を守るのは我々大人なのだが・・・子どもの原風景は、私たちの社会や地球の未来を創る基になるということを、思い知らなければいけないと思う。今日も中学校の前にはポイ捨てが・・・
こんな日もあるサ(^◇^)・・・朝、いつものように乗り込んだ千葉中央バスの運転手さん。言葉使いや対応がものすごく温かくて素敵でした。降りるお客さんに「ありがとうございます」。信号待ちでカードチャージを頼んだお客さんにも「ありがとうございます」。発車や停車など運転も優しい。細やかな心遣いのある言葉が、ヘッドセットマイクを通して車内に心地よく降り注いでくる。あ~~お陰様で今日はいいスタートが切れるなぁ・・・。こんな運転手さんにはいつも気持ちよく仕事をしてもらいたいから、バスを降りる際に「温かな応対をありがとうございます」とお礼を言って気持ちよくバスを後にした。これで+2ポイント。
・・・ところが・・・その直後、千葉駅の長いエスカレーターでのこと。
エスカレーターはなぜか右側は急ぐ人の為に空けておくのが慣例となっている。左側の人は上りきるまで動かず、急ぐ人は右側を歩いて上るのだ。私は大急ぎでもなかったが、右側を少し急ぎ目に上っていた。すると後ろから「早くいけよ、オラ~!」と怒鳴る声。後ろから威嚇され、何らかの危害が後ろから来そうで怖いので一層速足で上っていたが、再び「オラ~!」という怒鳴り声。2階で一旦エスカレータを降りるので、左に避けて顔を見てやろうと思ったらその間もなく、私の直後、左側から若者が「オラ~」と怒鳴りながら追い越して上って行った。なんと乱暴な奴だ!きっとモラルもマナーもない自己中な奴だろうな~。この先でトラブルを起こすかもしれないなぁ、なんて考えていたら、私と同じホームから同じ路線らしい。先発の電車ではなく、次発の列車の整列乗車の列に(一応)キチンと並んでいた。・・・なんだぁ?急いでいるんじゃないのかなぁ?・・・あ~~~・・・マイナス1ポイントになったぁ・・・( ;∀;)
1・2年前、山手線で同様のシチュエーションのときは、急いでいた若者に後ろから「どけよ!」と言われ咄嗟に『「先に通してくれませんか?」だろう!』と言ってあげられたのに・・・今回は、恐怖が先に立って何も言えない自分がいた・・・。写真はイメージです。
私の子どものころの家庭は、時間がたって変質し酸っぱい匂いのするようなご飯でも、捨てられずに水で洗って食べていました。大人になった私は、お店での食事でも、持ち寄りでの酒宴でも、手つかずの食べ物や、持ち帰れそうな食べ物は率先してできるだけ持って帰るようにしています。いつもそんなことをしていたら「五十嵐は生活に困っていて、ケチだ」という風評が流れ聞こえてきました・・・飽食の時代・・・余れば捨てる時代。それでも私は、躊躇なく捨てることを躊躇うのです・・・。歴史を積み上げて来てくれた祖先と、この時代・この日本に生まれたことに感謝しつつ(m〇m)・・・画像はイメージです。
ARIGATOUがプリントされたゴミ袋をもっていつものルートへ。14年前の7月9日に始め、今日で2,838日目。追い越してゆく隣町の自転車通勤の方から「おはようございます」、通り過ぎる大型重機の運転手は軽くクラクションでご挨拶。バス停に並んでいる街の方々と「おはようございます」。私の一年後から自発的に始めていただいた大先輩と偶然すれ違い、エール交換。23歳になる娘が中学生のころバレーボールの指導をしていただいた、元大手実業団バレーボールの大先輩である。後ろ姿を見送りつつ「ありがとうございます。どうぞお気をつけて」とつぶやいた。なにかが結ばれ、何かが積みあがるのを感じつつ、今日もゴミを拾う。15年目。私の後ろ姿はどう見えるのだろうか・・小さな雨だれは、硬い石を少しは凹ませたかなぁ(^^)・・・無宗教の私だが、何より大切なことを学ばせていただいた。それは「足るを知る」、「空即是色」、そして「3カン」=「関心・感動・感謝」である(^^♪