【割り箸と月山】

割り箸を見ると、芥川賞小説「月山」を思い出す。もう40年以上も前のものだと思うが、読んだのは10年ほど前。山形の出羽三山(冬は6mを超す雪に閉ざされるという奥深く)にあるお寺の守り人のおじいさんが、ひたすら割り箸を削っては、村人に分け与えて生きていた。別に、彼が主人公ではない。抑揚のない、暗く、淡々としたストーリー(ドキュメンタリーと間違えるほど)なのだが、歳を重ねた今、分かるものがある。そのテーマは「生と死」であったろう。「生と死の境目なんて大したことはない」なのか、「それでも生きるしかない」なのか、「世の中、理屈じゃないんだよ」なのか、「都会と辺境の地を比しても空しい」なのか・・・それにしても、たかが「割り箸」である(^◇^)
p1

“現代のダビンチ”が提唱する「お金のいらない世界」。究極の理想郷「ザ・ヴィーナス・プロジェクト」が進行中

【格差・貧困・戦争・差別・・・】お金がない世界は、すべてを解決する!?そんな夢のような理論に基づいた実験(プロジェクト)が始まっています。私はこれを見守っていきます。この理論の成功の絶対条件は、最後はすべての人々の力が必要になる、というところだろうなぁ・・・

風を切って(^^)

【もう一度・・・風を切ってみたいなぁ(^^】中古で758,000円!!!車より高い!手が出ない!!俺のころは、4本マフラーのZ!・・・もう、乗れないなぁ( ;∀;)

父の日に・・・

【生きていればいいこともあるサ(^^)】p1

父の日に、子どもたちが時計とお酒をプレゼントしてくれました。時計は、以前妻にプレゼントしてくれたものとペアです。うれしい・・・ありがとう<m(__)m>( ;∀;)(^^♪

【「いのち」を捨てないで( ;∀;)】

ヘルメットが落ちて(捨てられて?)いた。原付やオートバイの若者の中には、頭にのせただけ、首に掛けただけ、ノーヘル、の若者も目立つ。かつて、私が高校生のころ、オートバイ仲間の同級生(親友)を、単独事故で亡くしました。顎ひもをせずにヘルメットを被り、転倒してヘルメットが飛ばされ、頭蓋骨陥没で・・・。いただいた命、もう一度よく考えなおしてみませんか、どうか・・・お願いします<m(__)m>
p1

猫(描)写技術

ギャラがいいんだろうなぁ(^^)【猫(描)写技術もさることながら、猫(表)情がゆたかだなぁ(^◇^)】同一猫(人)物とは思えない!

改正組織的犯罪処罰法成立

みんなでよ~く考えよう(^◇^)【共謀罪の趣旨を含む改正組織的犯罪処罰法成立】・・テロは怖いし憎むべきもの。しかし、今はまだ「まさか・・・」と思う人が大半でしょうが・・・(かつての五人組制度や治安維持法のように)監視・密告で疑心暗鬼の社会になるのはいやです!
法律や民主主義の行方には最大限の注意が必要です。
政治の暴走を防ぐのは最後は国民です。最後は、国民なのです。
平和な国だからこそ、今、真剣に、深く考えたいものです<m(__)m>

【難しいことではアリマセン(^_-)】

深夜、酔っぱらって帰ったのでピンボケ(^^;・・・少し乱してしまった履物を揃えました。これで、家族の心が「揃う」のであれば、お易い御用です(^^)/地元の中学校でも実践中です(^◇^)・・・トイレ掃除などもそうですが、揃っていて当たり前、キレイが当たり前ではなく、誰かがしてくれている・・・感謝ですね(^^)

【仏壇に手を合わせる意味って(^◇^)】

p1
代々我が家は、曹洞宗・・・らしい。我が家の仏壇の遺影が増えている。先祖や亡くなった両親はもちろんだが、お世話になった方々の葬儀に参列するとご遺族にお願いして頂戴したり、生前に自分で撮影したりしたものだ。断っておくが別に、収集癖があるわけではない(^_^);
子どもの頃から、仏壇のお参りを厳しく躾けられたわけでもない。お経も念仏も唱えられない。
若いころはごく一般的な社会常識として(言い換えれば意味も分からず)仏事に参加していただけであったが、40歳が近いころだったろうか。般若心経のほんの一節「色即是空 空即是色」の意味を知ったとき辺りからだ。「仏」の意味を自分なりに確信した。
目に見えない、形の無いものにこそ真実がある。我が身は、何もないところから生まれ、そして、また何もなくなってしまう。ただそれだけのこと。ところが、私が生きているうちに関わるあらゆる事物は、無くなりはしない。結婚をして家族を成す、偉業を成す、財産を成す、思想を遺す、芸術を遺す・・・。何でもよいのだが、それらは有形・無形を問わず、また本人の意思とは無関係に、遺る。
何故、仏壇に手を合わせるか。それは「今を幸せに感じて生きているか」の一言に尽きると考える。「生まれてこなければよかった」などと考えていては、我が身を成した歴史(祖先)を憎むばかりだろう。
「足るを知り」、今に感謝し、多くを望むよりいまの境遇を楽しんで生きる。そうすれば、自然と気も楽になるし、様々な感謝が生まれ、余計な競争や争いをすることもなくなる。そんなことを考えて生きるようになったら、自然と亡き両親やご先祖様、歴史そのものに感謝し、尊敬できるようになってしまっただけのことである。
仏は神と違って「祈る」、「願う」対象とは違う。「仏とは教わるもの」、「神とは恐れ崇めるもの=宇宙や大自然」と考えている。

【気遣い(^_-)】

特養の家族会の総会の出欠はがきの返信が届き始めた。返信はがきはこちらで用意したので、あて名は「五十嵐秀雄 行」となっている。「行」のままのものと、「様」と改められているもの・・・。特養に家族を預けているのだから、発信者は相当な年齢の方々であるのだが、「行」のままの葉書が結構多いのには驚かされる( ;∀;)
p1

【320円を燃やし、80円を捨てる】

吸い殻がちょうど20本。ライター付。1箱20本400円とし、1/5を残して消すとすると、吸い殻1本4円。20本で80円だ。400円を払い、健康を害し、環境を汚し、他人に迷惑をかけ、80円を捨てる・・・心ない輩へ!喫煙者が皆そう見られてしまいますよ!
p1

子どもたちの未来へつなぐ