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【物は考えよう🙂明るく、前向きに考えたい😃】

【物は考えよう🙂明るく、前向きに考えたい😃】ヘルニアを患っている妻の通院に付き添った先日のこと、会計の受付番号が「499」。「死」「苦」などがイメージされそうな数字が並んでいる。眉をひそめる妻に私は笑顔で言ったものだ。
『「し」あわせ、「く」る「く」るだね~』
・・・楽天家 五十嵐の楽観でしたぁ(^^♪

【バレンタインチョコと「ハム太郎弁当」、とメジロ🙂】

【バレンタインチョコと「ハム太郎弁当」、とメジロ🙂
昼休み、妻の作ってくれた弁当を食べ終わってふと思った。昨日はバレンタインデー。以前は妻からチョコを(形式的だとしても)もらっていたが、ここ10年くらいは忘れられた存在だ。寂しい・・・
「いい歳をして」と思われるかもしれない。だが、枯れても男と女。若い頃はあった愛情も潰えたか?と考え込んでしまう意気地?のない男がここにいた。
・・・が、よくよく考えてみた。なにもバレンタインデーなどと、お菓子などの「ギョーカイ」の思惑だらけのイベントに踊らされて一喜一憂している自分は、いったい妻に対して普段、何ができているのだろう・・・。
妻はヘルニアを患って歩くことも儘ならないのに毎日、朝早く起きて弁当を作ってくれているではないか。そればかりか、こんな我がまま放題の私や家族の為に炊事、洗濯・・・若い頃は子育てまで。毎日毎日、来る日も来る日も、嫌になるような繰り返しであったろう・・・。
休日、ふと庭を見ると妻が好きな野鳥(メジロ)が、私が妻に頼まれてグミの枝に刺したリンゴをついばんでいる。日々繰り返す家事の合間に、ひとりで小さなこの食卓の妻の席から、好きな「餡子菓子」でも食べながら、窓のすぐ外に見える小鳥を眺め一息つく妻の姿を想った。
・・・ありがとう。普段から、充分な贈り物をありがとう。私も還暦を迎えた。そろそろ大人の愛を語れる人間になりたいものだ。お互い「何でもない日々こそ最上の贈り物であること」に感謝し、これからも二人で愛を育んでいきたいものだ。
来年のバレンタインこそ、二人でこんなことを語り合いたい・・・。
😞バレンタインを卒業したい還暦男のつぶやき😌

【占有離脱物横領罪😅】

私は毎日この罪を重ねています。路上に落ちている空き缶や紙屑、吸い殻などを拾って捨てているからです。中には、開栓していない飲み物や、おにぎり、パン、火のついていないタバコなどもあります。半分残った飲み物や弁当も。捨てるのがもったいなくて写真のように私が「預かって」いるものもあります。これらは交番に届けるべき物なのかもしれません。私はこの罪を重ねて既に16年、3,000回を超えました。あ~~神様、罪深い私は許されるでしょうかぁ・・・どなたか、有罪・無罪の裁定を・・・😅😀😔

【見て見ぬふり、、、ができない😅】

落し物を拾う・・・という行為。これが、案外簡単ではない。まずは、ゴミかどうか分からない?。現金であれば(欲しいが(^^);)人目が気になる?・・・それとも1万円と10円で行動が違う(^^);?。定期入れやお財布、車や自転車のキーなど、落とし主は困っているだろうなぁ・・・とは考える?。そんなものに関わっている時間がない?。気にはなるが、交番に届けるなんて面倒くさい?・・・・などなど。
毎日ごみ拾いをしていると、明らかにゴミはまだいいのだが、落し物らしきものも沢山拾う。駅の雑踏などでは、みんなが跨いで通るところを、人通りに気を遣いながら拾い上げる。交番に届けるのだが、書類を書くのが面倒なので「権利放棄」ということで処理してもらう常連となってしまった。(仕事とはいえ、私が捨ててしまえば済むようなものまで届け出られては、お巡りさんも手続きが面倒だろうなぁ、とも考える)
おそらく、100人、200人?・・いや、1,000人?が無視して通り過ぎるものを拾い上げる私は、相当な変人で暇人なのだろうなぁ、それともお人好しか偽善者かもしれない・・・。私は(病的に😅)大方が放っておくことを放っておけない・・・困ったものである😔
だが、こんな「絶滅危惧種」的人間がいてもいいではないか、と考える、こともある、かな・・・。ごみ拾い3,178日目。

【見て見ぬふりしますか?でも自分の愛する人が「見て見ぬふり」されたら、どうですか?】

日曜日。地元の社会福祉協議会が主催する「救命応急処置講習会」に参加した。安全確認、声掛け、状況確認、救急要請、心臓マッサージ、人工呼吸、AED操作、止血、気管詰まりの対処、など、一通り体験した。4回目くらいだが、慣れるものではない。あなたは、他人が倒れていたら積極的に関われますか?怖いですか?関係ないですか?

【お金を払ってボランティア?】

千葉駅前のごみ拾いだが、平日は通勤電車に乗る前なので問題なし。土日など、仕事がお休みの時は、車で駅まで行き駐車料金を払ってごみを拾っている。つまりお金を払うボランティアなのだ。考え方次第だが、欲得に囚われない真の人間付き合い、様々な社会問題の真因など、ボランティアはお金を払ってでもやる価値のあるものだと思っている私は、、、、、やっぱ、変かなぁ😅

【ナゾナゾ:体に悪いものを、捨てるために買う。なぁ~~んだ?】

最近、火も点けずに捨てられているタバコが多いなぁ、なんて思っていたら、どうやら「電子タバコ」と云うらしい。火を点けず、煙も出ない。もはや「吸い殻」ではなく、「灰皿」もいらない訳だ。こうなると喫煙者にとっては、いつでもどこでも吸えるし、どこに捨ててもいい、という気分になるのだろう。(体に悪いものを)お金を払って買って吸い、そのままポイと捨てる・・・これは「進化」と言えるのだろうか・・・マナーを守る「愛煙家」にとっても、肩身が狭い「進化」ではないだろうか・・・ごみ拾い3,174日目

お隣さんが留守中に勝手に上がってお茶を飲んでいた?😄【孤独死とご近所付き合い】

日本中で「孤独死」が問題視されているようだ。わが地区でも例外ではない。4年前から行政(社会福祉協議会)の肝いりで「見守り活動」なる活動を行っている。私は、立ち上げ時から地元の社会福祉活動として「見守り委員」として携わってきた。見守りを希望する高齢者・障害者を、近所のボランティアを募り、それとなく(新聞は溜まっていないか、洗濯物が干し放しになっていないか、などを)「見守る」という活動である
そもそも、「昔は」お隣ご近所との「普通の」お付き合いがあれば、そんなことはわざわざする必要はなかったが、昨今はお隣さんの顔も知らない、ということも珍しくないようだ。私の故郷では昔は、「留守中に知り合いが勝手に上がり込んでお茶を飲んで待っていた」なんてことはザラだったのだが・・・。
誰にも知られずにひっそりと死んでいく・・・もちろん助かった命もたくさんあった筈だ。今、日本人の生き方はこのままでいいのか、疑問である。

【△にならないおにぎり😌】

【△にならないおにぎり😌】妻のヘルニアで家事全般を分担しているのだが、△のおにぎりが作りたいのに○にしかならない・・・不器用にもほどがあるなぁ😞昔、母が作ってくれたおにぎりは、まぁ~るくて、大きくて、海苔1枚まるごと使って包んであったっけ・・・梅干しか入っていないくて、文句を言ったっけなぁ・・・そんなシャレタことができる人ではなく、おまけに裕福ではない田舎の農家。かあちゃん、ごめんなさい、ありがとう🙂

【なま味噌で治るの?😌】

【なま味噌で治るの?😌】妻のヘルニアで家事の分担が続く。炊事、洗濯、掃除など・・・手が荒れて、生まれて初めて「あかぎれ」もできた。手を洗ったり、物が触れるとピリピリと痛む。「かあさんの歌」にあるように、生味噌なんかすり込んだら痛いだろうなぁ・・・とりあえずオロナインをすり込んで絆創膏を巻いた。この痛みのお蔭で母や妻の苦労に触れることができた。今さらだが・・・感謝・・・☺️
一句できたぁ<あかぎれに 母妻想う 水仕事>

【湧き水・沢の水を飲む】水の大切さ・・・

【湧き水・沢の水を飲む】水を店で買って飲む時代なのだ。ついには買った水を半分も飲まずに捨てる時代にまでなってしまったようだ。子どもの頃、両親について登った山間の田んぼの行き返り、カラカラに乾いた喉。途中にある沢の淵で腹ばいになって顔全体を水につけてゴクゴクと飲んだものだ。背後にそびえる守門の山に降った雪が、配下の山々の栄養豊かな土にろ過され、季節をまたいで麓の谷間に湧き出て沢の源流になる。一年を通じて流れるこの清水は、春先から夏、秋にかけて獣たちや山を訪れる人間たち、麓の田畑、そこに暮らす人間たちの水源として、貴重な命の水である。地元では「大沢」と呼んでいた。都会のカルキ臭い「水道」で命をつなぐ身となった私だが、あの大沢で喉を潤した命の営みを忘れることはない。
【ごみ拾い3,173日目】

【どれが「幸せなおにぎりとお米」でしょうか?

【どれが「幸せなおにぎりとお米」でしょうか?(^^;】①昨日(ヘルニアで動けない妻に代わって)次男のお昼用に私が握ったもの(奥に見えるのは妻と子どもたちの朝食用に私が作ったハムエッグ・・・みたいなもの(^^;)、②③今朝、千葉駅前ごみ拾いで回収したもの。
どのおにぎりが「幸せ」かなぁ・・・

【市原悦子 日本昔話】子どもに絵本を読み聴かせてほしいなぁ(^^

【市原悦子 日本昔話】婆ちゃんの『安寿と厨子王』
なんとも、残念である。もうあの優しさに溢れた声の語りで、日本の昔話を聴くことができないのか・・・ありがとうございました。
今時のパパ、ママは、子どもたちに絵本を読んで聴かせてくれているかなぁ?そういえば、うちの子どもたちが子どもの頃、休みの日や夜寝る前に読み聴かせていたあの「昔話全集」はどこにしまったっけ・・・。3人の子どもの内、一人だけは本が嫌いで、私の胡坐(あぐら)の中でじっとして聴いてくれなかったっけなぁ(^^)
私の両親は忙しく、あまり昔話を聴かせたり本を読んではくれなかったが、代わりに婆ちゃんが良く語って聴かせてくれたっけなぁ。。得意なのは『安寿と厨子王』(「山椒大夫」)だったな。婆ちゃんの語るクライマックスの「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」の切なげな語りは、目を閉じれば今でも聴こえて来るなぁ。子ども心に「こんなに悲しい別れは嫌だなぁ」なんて本気で思い、家族みんなで暮らしている安堵を覚えた記憶がある・・
昔話などの本や語り部は、日本の文化として、家庭の情操教育の重要な位置を占めていると思うのだが、今時はどうなのだろうか・・・早く孫が欲しいものである(^^)
画像はネットから転載です。

【あおり運転対策】

昨今の「あおり運転事件」には目を覆いたくなる。私の軽自動車にはドライブレコーダを付けている。運転していると無意識やうっかりで、ちょっとした他車への気遣いが遅れる事がある。そんな運転が相手の「勘に障る」ことがあるのだろう。こちらに非がありそうなときはできるだけハザードランプを上手に使うようにしている。また、こちらには何の責めもなく流れに乗って運転していても、相手の気の焦りによっては「モタモタ」しているように感じられることもあるだろう。
何度か「あおり」を受けたこともあるが、私が「あおり対策」として実行していることがある。単純なことであるが、できるだけ早めに広い場所を見つけて左ウィンカー(ハザードは停止を意味し、相手を刺激する危険がある)を点けて左端に寄って減速し、道を譲ってしまうのだ。
こちらに非が無ければやり過ごす。こちらに非がありそうなときは、窓を開けて手を出すなどして、早めにお詫びの意思を示すようにしている。
これが車でなければ「すみません」、「ごめんなさい」、「ありがとうございます」などとコミニケーションで回避していることである。車同士という、意思の疎通が簡単ではない状況だが、できるだけ「相手」の責めだけにせず、自分自身も顧みて、早めにコミニケーションを取るようにしたいものだ。
これは、普段の生活でもそうなのかもしれないが・・・

【祝!成人☺️】和装文化を大切に。責任ある大人に・・・

和服を着る日本の若者がまだまだ多いことに、少しホッとしています。千葉駅で、すれ違う和服の方々に「おめでとうございます」と声掛けしました。全国で約120万人が成人を迎えたということです。
大人を批判したり、大人になりたくない、今の社会はダメだ、などと批判していればいい年代は終わり、今度は批判される立場になるわけです。いつの間にか、若い頃に批判していたような大人になっていくことがないように、無関心ではなく、積極的に社会に関わってほしいものです。(写真と本文は無関係です)