【こんな日もある。生きている喜び】

【こんな日もある。生きている喜び】幸せになりたいものだ・・・だれでも。近くにいる人間ほど言えない言葉がある。それは「ありがとう」。感謝の言葉を素直に、心から、相手に伝えるのは難しいものだ。だがそれは、思った以上に相手にエネルギーを与える言葉である。「ありがとうございます。おかげさまで・・・」と感謝を伝えられたら、「あ~~~自分は生きていていいんだな」という気持ちにさせられる。
「沈黙の町」などと寂しさを吐露したことがあったが、今朝は偶然にも1時間ほどの間に「いつもありがとうございます」という言葉を5人の方々からいただいた。すれ違った方、日陰で休む方、二階の窓から顔を出した方、小学校の校長先生、通学途中の小学生。車の窓から「おはようございます」、中学校のグランドでは野球部、サッカー部、テニス部の生徒たちが「おはようございます」。
20年目の秋。どうやら、私はまだ生きていてもいいようだ・・・(^^)/

【芝を刈るワケ】

【芝を刈るワケ】お隣の町内会の知り合いが家の前の芝を刈っていた。「手入れをしないと、犬のフンや、ごみが捨てられるんだよね~(;_:)」
私は、町や人間も同じだと思った。手入れなしの草だらけ、ゴミだらけの町は、泥棒などの犯罪が増え、それなりの人種が棲みつき、人々の心は荒廃していく。
人の心(特に子どものこころ)も然りだ。周囲の愛で手入れしてあげないと、荒れてゆく一方なのだ。
<子らの声 元気に響けと 芝を刈る>
<ごみが増え 挨拶が減り 悪が増え>

【子どもたちへ】

【子どもたちへ】ミストをくぐって生き返った・・・暑い夏も終わろうとしている・・・あと少しの辛抱!
明けない夜はない、止まない雨はない。
君たちは、素晴らしい!(^^)!
雨だれ 石を穿つ!

【私を裏切らないもの(^^)】

【私を裏切らないもの(^^)】
土日は所用でできなかったごみ拾い。だけど大丈夫(^^)・・ゴミは裏切らない!しっかりと二日分、私を待っていてくれた!
最早捨てる人間が悪いわけでもない。いらないものがあれば捨てるのは道理だ。
誰が捨てただの、政治や行政がどうのだの、マナーがどうのではない。「地球というごみ箱が溢れている」という現実を、汚した張本人である人間として、どう考えるか?ということだ。

【あいさつは恥ずかしい?】

【あいさつは恥ずかしい?】小学校正門で子どもたちの挨拶に元気をもらった。大人はどうだろう・・・
子どもの頃元気にできたあいさつは、大人になるにつれ、次第に声が小さくなるようだ。恥ずかしさが故だろうか。初対面の相手は然り、増して通りすがりの他人になど、声が出よう筈もない。
挨拶は「礼儀」として教えられるもの。これはもちろん大事だが・・・私は・・・
「私という人間がここに生きています」
「あなた様はいかがですか」
という思いで声を出し表情に表すことを心掛けている。
そんな思いで挨拶を交わしていると、歳を重ねていくにつれ、相手を思いやったり、相手のトーンや表情から人間性や本心を伺い知れるようになってくる。
挨拶とは最大の自己表現であり、思いやりであり、コミニケーションツールであり、自己防衛の手段でもあると考える。
挨拶は、恥ずかしいこと、などではないのだ。

【稲刈り(^^)】

【稲刈り(^^)】田んぼに親子して出て、子らがあぜ道で遊ぶ、という風景。
これが、今はなき日本の原風景であるような気がする。
お米はどこで作るの?という問いに「スーパー」と答える子どももいるという。お米はどうやって作られているか、など大人だって関心がないのかもしれない。
日本の食文化も変化し、お米の消費自体も減っているという。
日本の文化(祭りや民謡など)は、農業や漁業、林業などの第1次産業に根差すものが多い。
これらを忘れた日本人が向かう先は、いったいどこなのだろう・・・。

【他人を労われない人々・・・】

【他人を労われない人々・・・】
久しぶりにバスに乗って千葉駅へ。
二人掛けの席が空いていたので、日が当たる窓側には座りたくなかったが、仕方なく窓際へ。座席はいくつか空いているが、立っている人が多い。よく見ると・・・日が当たるからか窓側が空いているのに通路側に座っていたり、座席に荷物を置いてあったり。
乗り込んでくる人たちも、それらに対して声をかけるのを躊躇うのか、席が空いたまま、どんどん混雑してくる。
すぐ前の入口脇の席では、窓側に荷物を置き、通路側に座ってスマホに集中している若い女性。
幸いにも、お年寄りや席を必要としそうな人はなさそうだ。
自分さえよければ、それでいい。周りなど見えないふりしていればいい・・・そんなところだろうか・・・

【あの子どもが今や・・・】

【あの子どもが今や・・・】
子どものころ、父の頭(髪)をバリカンで「刈る」のが私の役目だった。頭頂部が剥げていた父は、裾野だけ刈ればよかった。
・・・その私が今は、息子に髪を「刈って」もらっている。頭髪の量も、父に近くなってきた。
思えば、遠くにきたもんだ・・・(^^)/

【何が楽しいのか・・・】

【何が楽しいのか・・・】
本業の仕事やその他で結構忙しいくせに、ほぼ毎週の日曜日、所属するNPO法人(川に関する環境保護活動)の活動に参加している。
全員ボランティアで、草刈などの事業収入はすべて活動経費で消えてしまう。昼食は文字通り自腹の手弁当である。
ごみ拾いや生態系保全、子どもたちの環境学習イベントなどの環境活動のほか、年2回の川周辺の広大な面積の草刈事業を行う。
決して楽な活動ではなく、体力的にもきつい!
なぜやっているのか・・・と言われれば・・・
キレイゴトは一切省いて、一言。「30代~70代まで(とその家族など)の様々な人間の集まりで、ひとつの目的を達成することの喜びがある」からである。聖人君子どころか、欠点だらけの人間の集まりである。時には酒を酌み交わし、様々な世代の仲間と語らいながら、冗談や口論、そして尊敬、労り・・・。
それがあるから続けられていることに、間違いない!
誰かに従ったり、命令されているわけではない。
何か大きなものを得ている確信がある、素晴らしき仲間たちである(^^)/

【旧統一教会問題・・・政治と宗教】

【旧統一教会問題・・・政治と宗教】
私が特に憤っているのは、多くの政治家たちが、旧統一教会を認識していた、いないに関わらず、政治活動に利用し、かつ広告塔(政治家が名を連ねているなら、政治家が後援(講演)しているなら、と国民が信じてしまう)として利用されていた、ということ。そして旧統一教会が韓国に根があること。
一見、歴史認識問題では、韓国に毅然と対応しているように見せかけ、実は裏では手を握り、おんぶにだっこし、結果的に国民を食い物にして韓国に多額の援助をした・・・という事実に、腹が立っているのだ。旧統一教会問題が私にとって特別な理由だ。
今の政治は国を売ったに等しい!
(画像はネットより転載)

【川にごみを捨てたくなるのは?】

【川にごみを捨てたくなるのは?】
川土手の草刈と清掃。麻袋に3つ分のゴミの山。空き缶、ペットボトル(中身が残っているものも沢山)、空き瓶、プラスチック容器、マスク、ボロ切れ、衣類(女性用の下着まで!)、ビニール袋、CD、・・・。
人は、なぜ川にごみを捨てたくなるのか。
このゴミは放っておくとやがて川に流れ込み、海に流れ出し、漂流し、海底に蓄積されるか、魚たちが間違って食べるか・・・海は汚染され、その魚や海藻を人間が食べる・・・
人は、なぜ自分の首を絞めるのか?
今がよければ、自分さえよければそれでいい?
あまりにも「愛」が足りないではないか・・・(;_:)

【子どもたちに夢と目標を】

【子どもたちに夢と目標を】
朝、中学校のグランドで夏休みの部活動の生徒と挨拶を交わし声をかける。「昨日はロッテが勝ったぞ。試合見たか?」首を振る子どもたち。「そうか~。今日は佐々木 朗希が投げるぞ!」
そんな会話を子どもたちと交わすのが好きだ。
子どもたちには「夢や目標」が必要だ。これさえあれば、道を踏み外すことはない。そして大人は、それを子どもたちに示せる社会を作らなければならない。

【ナニしてるんだろう?】

【ナニしてるんだろう?】・・・と思われるでしょうね。でも、この方、私のお隣の町内会のトモダチ(かなり先輩)です。
毎日1万歩を目標に歩いているという。そのついでに、道端の草をとったり、あちこちの販売機の空き容器入れやごみ置き場のペットボトルからキャップを取り外しては、リサイクルに回してくれている。
達者に歩き回り、元気にお話ししてくれ、いつもパワーをもらっています(^^)/

【名前がカワイソ過ぎる(^^)】

【名前がカワイソ過ぎる(^^)】
我が家のツツジに巻き付いた蔓に花が咲いた。名前は「ヘクソカズラ」!
葉っぱを揉むと強烈な匂いがすることからついた名前のようだが、別名「サオトメカズラ」とも言うらしい。
それにしても、なんて可哀そうな命名だろう・・・。
私は「愛らしい」この花が気になって仕方ないのだが(^^)/

【未来電話】

【未来電話】家族旅行で行った昇仙峡。未来の自分と話ができる電話らしい。
私は怖くてできなかったが、わが息子は何を話したのやら・・・(^^)/

子どもたちの未来へつなぐ