【一粒のお米】

【一粒のお米】日曜の稲刈り。雨が心配されたが、なんとか終えることができた。たくさんの子どもたちが来てくれた。子どもの頃、食べ終わった茶碗にご飯粒が残っていると、叱られたものだった。。。。時代は変わり、今はどうだろうか・・・飽食の時代と言われ、物があり余る時代。
しかし今日、田んぼで、落ちた稲穂を拾い集める子どもたちを見て、少しホットした。
間違いのないのは、今の自分たちがあるのは「日本の農業」のおかげなのだ・・・。

【ザクザク!、キュッと結んで、頭をポンポン、天日干し(^^♪】

【ザクザク!、キュッと結んで、頭をポンポン、天日干し(^^♪】趣味と教育を兼ねてやっているからこそだが、今時の稲作では手作業は珍しいだろう。ザク、ザクっと稲刈り鎌で刈っては、束にして結わえ(昔のように藁ではない)、頭をポンポンと叩いて揃える。最後は一束づつオダにかけて、完了!!
稲束の頭をポンポンとするたびに、子どもの頃お手伝いをすると母が「いい子だいい子だ」といって頭をポンポンとなでてくれたのを思い出した。
父母はもちろん、ご先祖縁者様、農家だった我が家。今の日本は様変わりしてしまったが、このお米のおかげで今があります。感謝・・・。

【一隅を照らす】

ひとすみを照らす、という言葉がある。大きく広く世界を照らす人間は素晴らしい。一方で、決して広くはないが、その人の周囲だけが「ポッ」と明るくなるような人がある。毎日、散歩しながらごみを拾ったり草を取ったり。今日は自販機横の空き容器入れに手を突っ込み、ペットボトルのキャップを外していた。千葉市ではキャップは可燃ごみ扱いだが、我が町全体で集めている、再利用できる資源だ。「○○さん、いつもありがとうございます」と声を掛け合い、ホッとした明るい心持の一日が始まった(^^♪

【男と女の間には(^^♪】

【男と女の間には(^^♪】妻と外食。席についてもマスクをし、向かい合う妻との間にはアクリル板。話しかけてもマスクとアクリル板のせいで良く聞こえない。会話がなくなると、お互いにスマホをいじりだす。長年連れ添う妻との間には、それほど溝や壁があるとは思わないのに、結婚40年ほどになる今になってこの事態とは・・・(^^);

【飛んでは休み、休んでは飛ぶ】

【飛んでは休み、休んでは飛ぶ】あぜ道の草刈りをしていたらカマキリが飛び出してきた。稲穂に飛びついて、こちらを睨んでいる(それとも嘲笑っている?)。飛んで休んで、睨みつけたり、笑ったり。落ち着きのない・・・なんだか、自分の人生のようだなぁ(^^;

【稲穂に感謝】

【稲穂に感謝】百姓の息子に生まれた私。しかし、先祖代々の農業を継がず、我がままを通してしまった。それでも都会で始めたボランティアの米作りも10年になった。稲刈り準備のため、誤って仮払い機で(1週間早く)刈ってしまった稲穂を食卓に置いてみたら、なぜか胸がいっぱいになってしまった・・・この稲穂を代々守り続けたご先祖・ご縁者のおかげで、今の私や家族がある・・・感謝(^_-)-☆

【稲刈り、準備完了!】

【稲刈り、準備完了!】心配されたコロナによる制限も、なんとかクリアし次の日曜には稲刈り実施だ。また田植えのように親子連れで来てくれれば嬉しいのだが。
実りの秋は、確実に来ている!!

【コロナ禍、2度目の秋。実りの秋・・・】

【コロナ禍、2度目の秋。実りの秋・・・】黄金色に色づいてきた。2週間後には稲刈りだ。しかし、緊急事態の今、親子や子どもたちの稲刈りは難しそうだ・・・。
この感染症禍で、古き良き日本の伝統、文化まで喪失することにならぬよう、心から願う。

【空、あります?】

【空、あります?】
8月15日も過ぎ、全国に深刻な豪雨被害をもたらした夏の長雨も関東では一段落した。
雨が上がり、久しぶりにごみ拾いセットを持って歩いていると何かのプレートが落ちていた。見てみると・・・「空あります」と書いてある。どこかのアパートの空室広告だろう。
ふと思った。最近、暑い暑いと真夏の日差しを恨めしく思っていたが、それでも、空(そら)があるではないか。
76年前の8月6日。広島市は真夏の青空が、一瞬にして黒い雲に覆われ、やがて黒い雨が降り注いだ。放射能の雨だ・・・。
あれから76年が経ち、日本人(世界中)がそのことを忘れかけているのか。人間たちは戦争だけでなく、「平和なはずの科学」によって「空を壊し続けている」。
今、自分の問題として、子どもたちの未来のために、考え、行動したい。
黒い雨の画像は、ネット転載。

【想像力を働かせ、思いを寄せる】

【想像力を働かせ、思いを寄せる】「思いやり」と言われますが、人間、自分がその立場にならなければ解らないものです。時間に追われ、お金に追われ、(自分たちで招いた)様々な事件や災害に追われ・・・現代人は、更にさらに、「思いやり」から遠ざかろうとしています。
 今朝、バスを降り駅に向かう私の前を白杖をついた中年の男性(おそらく通勤途中)が慣れた様子で歩いていた。千葉駅は改札のある3階の高さまでエスカレータなどで上がらなければならない。エスカレータの手前で何気なく追い越そうとしたが、はっとしてそれを止めた。私が追い越しざま、もし白杖にでも触れ、男性の五感による判断に多少なりの影響でもあったらいけない・・・。目が見える人とさほど違わない歩きだが、私はその男性の後を歩いた。男性は白杖でエスカレータ乗り口左側の足元の壁を巧みに叩いて、スムーズに歩を進めてステップに乗り込んだ。今度は、どうやって降りるタイミングを感じ取るのか、と見ていたら、やはり白杖を使い、前の段との段差が次第に少なくなる(最後は段差がなくなり平らになる)ところを感じとっているらしい。まるで完全に見えているようにエスカレーターから3階のフロアーにスムーズに一歩を踏み出し、改札に向かって歩き始めた。
 私がもし目が見えなかったら・・・と、途中で少し目を閉じてみたが、エスカレータでは手すりがなければ立ってさえいられないほど・・・ましてや、そのまま街を歩くなど・・・。
 私は自分のことで精いっぱいで、他のことなどなかなか考えられない。しかし、このようにふとしたことで、自分の視野の狭さが情けなくなるのです(;;)
(画像は、ネットより転載)

【生きるのが精いっぱい、社会が悪い、邪魔・・・だから、ポイ!】

【生きるのが精いっぱい、社会が悪い、邪魔・・・だから、ポイ!】これらはやがて海へ・・・そして・・・
①橋のガード下で食事をしてポイ!土手を散歩しながらポイ!橋の上からポイ!。信号待ちでポイ!。風に乗って川面に落ちるポリ袋。側溝から川に流れ込むペットボトル。
②私はそこらにポイはしない。定められた資源ごみの回収日に、定められた方法で処分する・・・が・・・
①と②に大きな違いはない。罪は同じだ。
 人間は常識やマナー、道徳に頼って暮らし、それらが腐って手に負えなくなると「ルールや法律、罰」を作り出す。そしてそれを盾に(人間だけの)正義を語る。まさに理屈(頭)の世界である。そしてそれは「矛盾」(=人間の身勝手)だらけだ。
 理屈には内包し得ないものがある。宇宙、大自然から授かった自他の命への敬意である。
 無宗教の私が長年(19年目)こんなことをしながらたどり着いたことを、誤解を恐れずに言ってみたい。
理屈は人間が人間に都合の良いように作り出したもの。それにすがって生きていては、生物として自身の命を生きていないことと同じ。
 頭ではなく、生き物としての肚(はら)で生きてみたいものだ。土台に肚(はら)があり、その上に「頭」がある。
・・・人間が生物の一種類として宇宙に永く存在し続けることの、絶対条件だと思うが・・・
 核戦争については、人間の愚かさが招いたということはだれも疑わない。なにを意味不明な・・・と思われる方が多いだろうが、今世界を襲っているウィルスの脅威も、実は根っこは同じではないだろうか。
さて、日本人にとって何度目かの秋が来る。そして、人類にあと何度来るかは、人間一人ひとりの「肚」(はら)にかかっている・・・と思う。

【お迎えに行けないお盆・・・ネット参り】

【お迎えに行けないお盆・・・ネット参り】
自ら故郷を離れたのだから自分の罪なのだが・・・この歳になると切ない・・・。
毎年お盆のお墓参りと夏祭りだけは欠かさなかったのだが、今年は全て諦めた。
こうやってパソコンの写真に向かって掌を合わせても、帰ってきてくれるかどうか・・・。
父よ、母よ、ご先祖様、ご縁者様よ・・・感謝。

【「礼を重んじる国」ニッポン!他に力をもらう、与える!】

【「礼を重んじる国」ニッポン!他に力をもらう、与える!】オリンピックが終わった。賛否両論あったイベントだが、終わってみれば過去最高の金メダル27個!
選手たちがインタビューで一様に語った言葉がある。「開催してもらったことへの感謝と、応援してくれた方々への感謝」である。空手の喜友名選手の「礼」がすべてを物語っていると思う。
この輝かしい栄光を、陰でどれだけの人々が支えたことか。そしてその根底には、古めかしい言葉かもしれないが「日本人の魂」がある。
人を支えることにより貰う元気と勇気がある!
人は一人では生きていけない!
(写真はネットより転載)

【自分の家に帰れない恐怖。セブンイレブンの看板がたより】

【自分の家に帰れない恐怖。セブンイレブンの看板がたより】
いつものようにごみ袋を持って玄関を出て2分も経たなかった。通り沿いのファミレスの植え込みのブロックにお爺ちゃんが一人で腰かけていた。向かい側はセブンイレブンだ。何気なく前を通り過ぎようとしたら・・・「すみません」と声をかけられた。「○○はどっちの方角ですか?」。・・・私は「○○ならあっちのほうですが・・・道がわからなくなったのですか?」「はい。住所は○○〇丁目〇番地です。」
汚れたTシャツにスエットパンツ。何やらスッパイ匂いもする。どうやら、認知に障害がありそうだが、会話はしっかりして、名前も、住所もはっきりと答える。手に持ったスーパーの袋に新聞と飲み物の容器が見える。
道を教えて通り過ぎようとも考えたが、帽子も被らず炎天下の下、とても認知症の人間が一人で帰れる距離ではない。聞けば、近所のコンビニで買い物をして追い出され、歩いているうちに迷子になったらしい。目印はセブンイレブンの看板らしく、数多あるその看板を目当てに歩いては、どんどん遠くに来てしまったらしい。
「それは心細いですね。わかりました。迎えに来てもらいましょう。」と伝え、110番通報した。お爺さんから「親切にありがとうございます」と丁寧に礼を云われたが、警察からはパトカーが来るまではそこにいてくれ、と指示された。パトカーが来るまで40~50分はかかったろうか・・・身の上話など、出身地(北海道)や昔のことはよく話してくれた。
やがてパトカーが到着し、住所、名前などを答えて、解放された。
追い出されたコンビニや道を尋ねて無視された人々にも悪気があったわけではないだろう。ただ面倒に巻き込まれたくないし時間もないのだ。
このお爺ちゃん、今は生活保護を受けているが、小児麻痺を患った年少時代があり、辛い経験もしているようだった。
こういう人を見ると私は出稼ぎに出ていた父を思い出し、放ってはおけなくなる。
人は、なにかに頼らなければ生きていけない。亡き父も、寒村の地から東京に稼ぎに出て、私たち子どもを育ててくれた。
私も、父や母、そして周囲に助けられてここまで生きてきたのだ。
人は、一人では生きていけない。

【海の水は空から山へ、そして川から海へ戻る・・・】

【海の水は空から山へ、そして川から海へ戻る・・・】
4連休は川土手の草刈り!メチャクチャ暑かったぁ!
それにしても草むらから出るわ出るわ・・・人は川があると、何故ごみを捨てたくなるのかなぁ。
ここから2kmも下るともう海。食をはじめ、雨や雪の元となり、自然循環の一翼を担い、人間の命を支えてくれる海。
守れるのは(というより壊すのは)人間だけなんだけどなぁ”(-“”-)”

子どもたちの未来へつなぐ